【注意】Cartão Vermelhoの月刊誌創刊はエイプリルフールの嘘

2023.04.01 月刊誌「Cartão Vermelho」創刊!?

平素は、南米サッカーゴシップサイト「Cartão Vermelho」をご愛顧いただきまして、誠にありがとうございます。

▲ 満を持して創刊されることになった(!?)月刊誌「Cartão Vermelho」

当サイトのtwitterアカウントから「Cartão Vermelho」の月刊誌が新創刊されたとの情報が発信されていますが、エイプリルフールの演出による嘘なので一切信じないでください。

だって、考えてみてください。レイモン・マンコ、アナ・マンコ、エロス・マンクーソを中心にピックアップしているサイトが、月刊誌なんて発行できるわけがございません。それこそ、日本の印刷会社がマンコの文字列を出力したら「有害図書」確定です。「Cartão Vermelho」が紙媒体として世に出回る可能性は、限りなくゼロに近いです。否、ゼロです!

▲ 創刊号を買うと、レイモン・マンコを特集したスペシャルフォトブックが付録に付いてくる!?

ネタで掲示した雑誌パロディのデザイン、ご覧になりましたか? 価格にご注目ください。690円です。由来はもちろん「シックスナイン」です。こんなふざけた雑誌が市販されるわけがないことくらい、勘の良い方ならすぐにわかるはずです。

もう一度書きます。Cartão Vermelhoの紙媒体創刊に関する記事と、関連するツイートについてはすべてフィクションである旨をお伝え申し上げます。
以上、エイプリルフールのネタでした。お楽しみいただけましたでしょうか?

敬具

殴られたマンコは無事? 当のマンコは加害者と笑顔で写真撮影に興じて問題なしをアピール

2023.03.27 7人制サッカー

▲ 25日の試合でトニート(55番)が元ペルー代表MFレイモン・マンコ(左)の顔面を殴った場面

25日の試合中に殴られたマンコには、わだかまりはない。試合を終えた元ペルー代表MFレイモン・マンコは、自身を殴った“トニート”ことアントニオ・ゴンサーレスを「許した」。

25日の試合中にトニートに顔面を殴られたマンコは、その場で転倒。そのマンコを殴ったトニートはその後主審への暴言でレッドカードを受けて退場になった。

退場の直前にはマンコが差し出した右手に応じない様子からして、トニートはマンコへの恨みを募らせているようにも映ったが、当事者間にわだかまりはない様子。試合後にマンコは、トニートと肩を組んで笑顔で写真撮影に興じていて、試合中のトラブルはピッチに残してきたことをアピールした。

▲ 試合後にマンコ(左)がトニート(右)と和解の写真を撮った場面

Instagram には「マンコとトニートが経験した、なんと豊かな決闘でしょう」「偉大な人格者トニート、そのすべてはサッカーの一部だ」との投稿がなされ、マンコを殴った選手とマンコとの間にわだかまりはないことが証明された。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

マンコが試合中に顔を殴られて転倒 マンコを殴った選手はイエローカードへの猛抗議で退場

2023.03.26 7人制サッカー

▲ 殴られて転倒したマンコに近づいて睨む“トニート”ことアントニオ・ゴンサーレス(写真右)。その後(写真左)、イエローカードの判定に不服を唱えて主審からレッドカードを出された

約半年ぶりに試合に出たマンコが、ピッチで顔面を殴られて転倒した。

元ペルー代表MFレイモン・マンコが出場したのは、7人制サッカーの「スーペルリーガ・フッボル7」の「アリアンサFC vs エンバハドゥル・クレーマ」。3-2 とアリアンサFCの1点リードで迎えた後半の17分に、マンコは殴られた。カウンターに転じたアリアンサFCは、左サイドにいたマンコに素早くボールを預けた。

ゆっくりドリブルを始めたマンコはセンターラインを越えて相手陣内に入ると、フェイントを交えてカットインしたところで“トニート”ことアントニオ・ゴンサーレスに左手で顔を殴られた。殴られたマンコはバランスを崩して尻餅をついたが、激怒することはなく近づいてきたトニートに右手を差し伸べて自分を起こすようなジェスチャーを見せたが、トニートは憤っていたのか、マンコが差し出した右手から自分の右手を遠ざけて敬遠。結局マンコは、味方の右手によって立ち上がることになった。

このファウルに対し、主審はトニートにイエローカードを提示。するとカードを出されたことに激昂したトニートは主審に食ってかかり、そのときに暴言を吐いたのか、主審はカードの色を黄色から赤に変更。マンコを殴った加害者は退場処分となった。

なお試合は、アリアンサFCが 3-2 でリードを守りきり、勝利を収めた。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

マンコがオランダで凋落したのは「舐められた」から? マンコが舐められた過去を回想

2023.03.25 エールディヴィジ(オランダ1部リーグ) 2008

▲ 元ペルー代表MFレイモン・マンコはオランダのPSVにいた2008年当時のピッチ外について裏話を語った

マンコがスターダムから凋落したのは、オランダへの移籍が遠因だったのか。32歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコは、自身の冠番組でもある「 Cojo y Manco 」に出演して、弱冠18歳で渡ったPSVアイントホーフェン(オランダ)や、その後貸し出されて在籍したヴィレムⅡで目の当たりにした、オランダのサッカー選手らの行動を明らかにした。

2007年のU-17南米選手権ならびにU-17ワールドカップで一躍有名になり、当時は同世代のコロンビア代表MFハメス・ロドリゲスよりも高い評価を得ていたマンコ。彼の元にはPSVのほかにも、レアル・マドリー(スペイン)からもオファーがあったが、マンコはレアル・マドリーよりPSVを選んだ。理由のひとつに、“先輩”ジェフェルソン・ファルファンの轍があったことはマンコも認めているが、その先輩(ジェフェルソン・ファルファン)のようなキャリアをマンコは歩めなかった。

PSVとヴィレムⅡのユニフォームに袖を通した当時を回想したマンコは、当時のオランダで目にした衝撃的な場面を言葉で表現。当時未成年だったマンコの目には、どのように映ったのか。

「私はオランダでプレイしたことがある。当時、試合で勝つと、帰りのバスでは(コーチやスタッフらも含めて)選手らほぼ全員がタバコを吹かして『しゃぶって』いたんだ。当時17歳に私は酒を飲まなかったけれど、当時の帰りのバスでは監督やコーチ、スタッフ、そして当時の選手がこぞって酒を飲んだり、タバコをしゃぶっているのを目撃したよ」

※ マンコが口にした chupando は、スペイン語で「しゃぶり」という意味。ちなみに chupar(チュパール) はスペイン語で「舐める」で、日本でもおなじみのお菓子「チュッパチャプス」のチュッパも chupar が語源だ。

マンコが憤るところに、ペルー国内での報道の仕方もある。マンコが口を開く。

「サッカー選手が酔っ払ったり、女ったらしだったり、家族への責任を問われたりなどということが、なぜまとめられてメディアに挙がるのか。それが私には心底わからない」

現在の奥さんとの間に2人の子どもを授かり、32歳の今も現役を続けているマンコ。彼の捉え方として、ペルー国内での偏向報道に嫌気が差していることを、現地メディアは重く受け止めたほうがいいかもしれない。

マンコは今年、アメリカのジャクソン・テネシー・ブーム、ペルーのアリアンサFCと2つの7人制サッカークラブに所属することになっている。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。

マンコに“2つめの所属先” 古巣アリアンサ・リマの7人制サッカー部門が加入を発表

2023.03.23 スーペルリーガ・7スターズ(7人制サッカー)

▲ 古巣アリアンサ・リマの7人制サッカー部門で新戦力としての加入が決まった元ペルー代表MFレイモン・マンコ

マンコが2016年12月以来、約6年ぶりに愛する古巣のユニフォームに袖を通す。ペルーの名門アリアンサ・リマは22日、32歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコの加入を発表した。ただし、11人制のサッカーでの補強ではなく、7人制サッカーの部門(アリアンサFC)での補強。

マンコは昨年所属していたファン・アウリッチを退団して以降は無所属で、移籍先を探していた。一部報道では引退を示唆する記事も上がったが、引退についてマンコは「そのときは自分から口にする」と発言。引退の噂を否定したが、2023年の年始は移籍先が決まらないまま移籍市場が閉鎖したことにより、同年7月の移籍市場再開まではペルー国内でチームに所属できない事態になっていた。

そんな折、3月18日にアメリカの7人制サッカーチームのひとつである「ジャクソン・テネシー・ブーム」というクラブチームが、マンコの加入を発表。これにより、マンコは6月にノースカロライナ州で開幕するTSTチャンピオンシップに選手として出場することになったが、それ以外の時期は引き続きフリーの状況にあった。

ペルーサッカー界の規定により、7月までは11人制のサッカー選手としてペルー国内のどこにも加入できないマンコ。そんなマンコに声をかけたのが、マンコの古巣でもあるアリアンサ・リマだった。アリアンサ・リマにある7人制サッカー部門(アリアンサFC)の選手として古巣への復帰が叶ったマンコは、ペルー国内で開催される「スーペルリーガ・7スターズ」に参戦。早ければ、3月24日のトーナメント初戦にも出場する可能性があるという。

補足までに、選手の価値を評価する国際的な機関によれば、マンコの現在の価値は17万5千ユーロ(日本円で約2,500万円)。マンコが2008年にアリアンサ・リマからPSV(オランダ)へ移籍した当時の価値は、150万ユーロ(日本円で約2億1,500万円)だった。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。

【急転】マンコが北米で現役続行へ 移籍先はアメリカ中部テネシー州のクラブチーム

2023.03.18 北米サッカー

▲ アメリカの「ジャクソン・テネシー・ブーム」というクラブチームがマンコの加入を発表した

マンコの選手生命は、まだ終わらない。アメリカ中部テネシー州のジャクソン・テネシー・ブームというクラブチームは18日、元ペルー代表MFレイモン・マンコの加入を発表した。

昨年はリーガ2(ペルー2部リーグ)のファン・アウリッチでプレイしたが、退団後は無所属だったマンコ。2月末にペルー国内での移籍市場が閉鎖したことで、ペルー国内でマンコがプレイするには7月まで待たなければならない状況にあった。そのため、フリーの期間中は解説者やユーチューバーになるのではとも報じられていたほどだった。

そんなマンコを戦力として評価したのが、アメリカのクラブだった。ジャクソン・テネシー・ブームは地元の TST World Championship という賞金総額100万ドルの大会に臨む予定で、優勝のためにマンコのお力添えを賜ることにしたようだ。

ジャクソン・テネシー・ブームは、マンコの獲得について「賞金100万ドルを懸けて争う TST World Championship に臨むための、最初の国際的な契約としてレイモン・マンコを発表できることを光栄に思う」との声明を出している。

マンコが北半球でプレイするのは、サモーラFC(ベネズエラ)に所属した2017年以来、6年ぶりとなる。

◆ TST ワールドチャンピオンシップ 2023

開催時期:
2023年6月
開催地:
アメリカ合衆国ノースカロライナ州
仕様:
7人制のサッカーイベント
優勝賞金:
100万ドル

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。

マンコが母親とともに料理番組に初登場 女子バレーボール選手との料理対決へ

2023.03.08 ペルー代表

▲ 母アンジェラ・アルバラシンさんと親子で出演した元ペルー代表MFレイモン・マンコ(右)

現役引退はしていないが、今年の上半期は所属クラブのない元ペルー代表MFレイモン・マンコが、ペルーのテレビ番組に出演する。

マンコが出演する番組は、毎週日曜日に放送している「Mi mamá cocina mejor que la tuya(私の母はあなたの母より上手に料理します)」という番組。司会はエテル・ポソ氏(42歳女性)とイアコ・エスケナーシ氏(43歳男性)の2人で、いかに美味しい料理を作れるかを競う料理バラエティー番組だ。マンコがこの手の番組に出演するのは、今回が初めてになる。

マンコは実の母親とともに登場すると、司会者と談笑。そしてゲスト席に座る母に見守られながら、マンコは食材を持ってきて料理に専念した。

この番組は、2組のゲストが料理対決をする内容で、マンコが出演した収録では女子バレーボール選手のカルラ・ルエーダさんも母娘で出演。番組の最中には余興もあり、マンコは腰を回してぶら下げたボールを振って空き缶に当てるゲームにも挑戦した。

【YouTube】Mi mamá cocina mejor que la tuya

マンコが出演する放送回は、3月19日の午後7時(日本時間では翌20日の午前9時)に放送予定。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。

古巣のクスコ戦をどうしても観たかったマンコ 7月頃まではフリーの身で喫緊の引退は否定

2023.03.13 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2023

▲ 中継映像で観客と笑顔で記念撮影に興じている様子が映し出された元ペルー代表MFレイモン・マンコ(左)

3月11日にペルーの首都リマで行われたリーガ1(ペルー1部リーグ)の「アリアンサ・リマ vs クスコFC」を、元ペルー代表MFレイモン・マンコがスタンドから生観戦。その様子が地元メディアによって報じられた。

アリアンサ・リマの下部組織出身で過去に二度所属したこともあるマンコは、以前から自身がアリアンサ・リマのファンであることを公言している。この日も応援したい一心でマトゥーテ(アリアンサ・リマのホーム、エスタディオ・アレハンドロ・ビヤヌエバの愛称)に足を運んだマンコは、アリアンサ・リマの勝利( 2-0 )を見届けると、ハーフタイムや試合の前後にはサポーターとの写真撮影にも興じるなど、自身もプロ選手としてのファンサービスを怠らなかった。

マンコについては以前、現役引退を推測する記事も出たが、最近のインタビューでは「愛するアリアンサ・リマで引退したい」と述べたマンコ。ペルーでは2023年初頭の移籍市場が閉鎖(終了)しているため、7月頃までは1部、2部すべてのクラブチームが選手を加入させられない。しかし、「引退するときはちゃんと話す」と宣言しているマンコは現在までに引退を表明してはおらず、7月頃までは無所属(フリー)の状況にあるだけ。

7〜8月になれば、マンコは再びユニフォームに袖を通すのか。加入先はアリアンサ・リマか、スポルト・ボーイスか、それとも?

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。

マンコの嫉み ガレカ前監督が依怙贔屓したクエバとは対照的に自分には「走れ」と要求か?

2023.03.08 ペルー代表

▲ ペルー代表の前監督であるリカルド・ガレカ氏に重宝されていたペルー代表MFクリスティアン・クエバ(左)の試合中での走行距離について、元ペルー代表MFレイモン・マンコ(右)は苦言を呈しているが…

マンコのペルー代表復帰を妨害したのは、ガレカ前監督だったのか? 現役引退も検討している元ペルー代表MFレイモン・マンコが、2023年になって同国代表前監督の要求と、それに対して“特別扱い”されていた選手への言及をして物議を醸している。

2007年にU-17ワールドカップや、その南米予選などで一躍名を馳せたマンコは、「ペルーサッカー界の至宝」とまで絶賛されたが、PSVアイントホーフェン(オランダ)へ移籍して以降は尻つぼみのキャリアとなっている。そんなマンコが最後にペルー代表に招集されたのは2013年8月で、以降は一度も代表復帰を果たせぬまま10年近い歳月が流れた。

本人が兼ねてから懇願していただけでなく、ノルベルト・ソラーノ氏ら一部の先輩も“マンコ待望論”を唱えていたのに、マンコはなぜペルー代表に復帰できていないのか。その理由を、マンコ自身が2023年になって明かした。

「“ティグレ(リカルド・ガレカ前監督の愛称)”は、選手に1試合の走行距離として許容しうる距離を走るよう要求する考えの持ち主だった。だが、一人だけティグレの要求に従わなくても代表に招集され続けた選手がいた。クリスティアン・クエバだ。(10番を着けて司令塔としての役割も担った)クエバが1試合あたり何キロ走ったかは知らない。だが、私はティグレが(他の選手に向けて)要求した距離をクエバが走っていないことだけは確信している」

ガレカ氏がペルー代表監督を務めたのは2015〜2022年で、マンコがペルー代表に招集された最後が2013年であることから、それ以降マンコがペルー代表に戻れなかった遠因にガレカ前監督があるとみても不思議ではない。ただ、因果関係は定かでなく、ガレカ前監督がマンコの代表復帰を妨害したとまでは断定できない。

マンコの主張を汲み取って「クエバが依怙贔屓されていた」と捉えるのか。それとも、マンコの妬みに過ぎないと捉えるかは、人それぞれ。果たして、マンコはもっと走る意欲を高め、それを所属チームでも実践していれば、ガレカ監督のペルー代表にも名を連ねたのだろうか。真相は闇の中だが…

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。

引退へ傾くマンコに古巣からの熱心なオファー 現役続行なら「ピンク色のマンコ」再誕も?

2023.02.25 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2023

▲ 2019年にスポルト・ボーイスでピンク色のユニフォームを着てプレイしていた元ペルー代表MFレイモン・マンコ(写真は2019年9月7日のもの)

現役引退に気持ちが傾いていると報じられた元ペルー代表MFレイモン・マンコに対してここ数ヵ月もの間、現役続行を信じて何度もオファーを出してきているクラブチームがあることがわかった。ペルーのスポルト・ボーイスだ。

スポルト・ボーイスは、マンコが2019年6〜12月に所属していた古巣で、このときは18試合に出場して2ゴール3アシストとまずまずの結果を残したが、2020年のチーム構想外となったため2019年末で退団している。

2022年には自身のキャリアで初のペルー2部に挑戦したが、ペルー代表歴がある選手としては案外な内容に終わったマンコ。昨年のパフォーマンスにマンコ自身が落胆したことが、現役引退に傾いたのではとの憶測もある。

そんなマンコに向けて何度も熱いラブコールを送っているスポルト・ボーイスの、チームカラーはピンク色。2019年に加入が決まった際にも当サイトで報じたように、マンコがスポルト・ボーイスに加入すれば、ピンク色のユニフォームに袖を通すことになるマンコは「ピンク色のマンコ」だ。

現状、スポルト・ボーイス以外でマンコにオファーを出しているクラブはない。ゆえに、マンコの気が変わって現役続行を選択した場合は、約3年ぶりにピンク色のマンコが再誕することになるが、果たして。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。

アナ・マンコさんが8年ぶりの帰省で母国の現状を報告 以前の帰省と比べて確実に良化か

2023.02.20 ベネズエラの芸能界

▲ 8年ぶりに母国に戻ったベネズエラ人女優のアナ・マンコさん

アナ・マンコさんはベネズエラの政情不安が深刻化した2015年に、生活拠点をU.S.A.(米国)に移した。ベネズエラ人ながら国外で8年間を暮らしたのち、アナ・マンコさんは母国に戻った。戻ってみてアナ・マンコさんが受けた印象を、率直に語っている。

「素晴らしい地形に木々もあり、古き良き時代のカラカスが取り戻されたようです。(首都のカラカスは)活発で、通りには人がいっぱいいて、たくさんの物資も供給されていて、交通量も多い。楽観的で、勤勉で、とても良い雰囲気が漂っていました。もちろん改善すべき点はまだまだあるけれど、そこに期待ができる状況であることに魅力を感じます」

アナ・マンコさんは母国の現状を絶賛している。その理由について、マンコさんは自身が母国に帰省した直近の様子を添えて、当時と比べて今が改善されたことを強調した。

「治安がとても悪く、物資も食料も医療品もなく、高速道路はガラガラ。あのときは、もうベネズエラには帰りたくないと感じました」

薬や食料を買うたびにID提示を要求されていたことも吐露したアナ・マンコさん。しかも当時はその購入時にパスポートの提示まで要求されていて、期限切れになっている場合の更新でも手を焼いたことを明かしている。

それでも、アナ・マンコさんが母国に戻った理由は何か。それは、彼女がこれまでの人生で培ってきた愛する人(友人・知人ら)の親交を取り戻すためだったという。

アナ・マンコさんは続ける。

「権力者がこの状況を鑑みて、多くのベネズエラ国民が失った自信と尊厳を取り戻すことを心から願っている」

アナ・マンコさんの想いはひとつ。愛する母国ベネズエラの平和と安定だ。

◆ アナ・カリーナ・マンコ

本名:
アナ・カリーナ・マンコ・グスマン
生年月日:
1970年12月17日生まれ(52歳)
出身:
ベネズエラ(首都カラカス)
最終学歴:
サンタマリア大学、ベネズエラ中央大学
配偶者:
ビセンテ・イグナシオ・ペレス
子ども:
ディミトリ・ニコラス・ペレス・マンコ(息子)
アレクサ・カテリーナ・ペレス・マンコ(娘)
職業:
女優、モデル、声優、弁護士
twitter:
@akmanco
Instagram:
anakarinamanco
公式サイト:
anakarinamanco.com

4人兄弟の末っ子で、母は1960年代にラジオ番組のパーソナリティとして活躍したノルマ・テレーサ・マンコ・グスマンさん。13歳で舞台役者となったが、一旦芸能界から離れて17歳に復帰すると、複数の映画やドラマなどで主役や脇役を熱演した。1995年には当時の恋人ルイス・フェルナンド・キンテーロさんを旅客機墜落事故により失う不幸に遭遇したことで、1年間の休養を余儀なくされた。2002年5月25日に31歳でビセンテ・イグナシオ・ペレスさんと結婚して、二人の子どもに恵まれた。現在は米国のマイアミで家族と暮らしている。

【急転】レイモン・マンコが現役引退へ セカンドキャリアはコメンテーター兼タレントに転身か

2023.02.17 リーガ2 (ペルー2部リーグ) 2022

▲ 元ペルー代表MFレイモン・マンコの冠番組「Cojo y Manco(コホ・イ・マンコ)」がペルー国内でスタートする

マンコがピッチを去るときが来たようだ。ペルー国内の記事によれば、元ペルー代表MFレイモン・マンコは32歳で現役を退くことになりそうだという。

マンコは5日前の報道によれば、ファン・アウリッチから契約更新を拒絶されたことが明らかになったものの、本人はまだ現役の道を模索するとあった。ところが、この数日で心変わりがあったのか、マンコから現役続行の気持ちは薄れていったものとみられる。

現地時間で2月16日に公開されたプロモーション映像では、ペルーのスポーツポータルサイト「Movistar Deportes」のスポーツジャーナリストであるオラシオ・シメルマン氏と並んでソファーに着席したマンコが、左手に大きな容量のポップコーンを持ち、右手でポップコーンを頬張りながらシメルマン氏と軽妙なやりとりをする様子が流れている。

▲ 新番組「Cojo y Manco(コホ・イ・マンコ)」のプロモーション映像で、スポーツジャーナリストのオラシオ・シメルマン氏(左)と軽妙なトークを繰り広げながらポップコーンを頬張る元ペルー代表MFレイモン・マンコ(右)

映像ではシメルマン氏が試合を楽しむ際の自分の好みについて、マンコとフランクに意見交換をしている様子が確認できる。この様子から、マンコのセカンドキャリアはコメンテーターかタレントに転身して、メディアに露出する仕事を選ぶ可能性が高そうだ。

公開された映像には、「Cojo y Manco(コホ・イ・マンコ)」というロゴも登場。Cojo はスペイン語で「ラメ」であり、「ラメとマンコ」という意味にあたるが、新番組とされる「Cojo y Manco(コホ・イ・マンコ)」については、初回放送日などの詳細情報が一切出ていないため、真偽不明とする見解もある。

2006年に16歳でプロデビューを果たし、2007年のU-17南米選手権では母国を4位に導き、自身は大会MVPを獲得。当時の評価は同世代のコロンビア代表MFハメス・ロドリゲスよりも高く、「ペルーサッカー界の有望株」と若手の頃は期待値も高かったマンコ。17年間のプロ生活にピリオドを打つときが来たのか。マンコ本人から引退に関する公式発表は、まだない。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。