同性愛蔑視発言が発覚 同性愛へのヘイトスピーチで開催国に罰金の制裁が下る

2019.06.27 コパ・アメリカ 2019

▲ ボリビア代表GKカルロス・ランペ(右)に向けて浴びせられた「ゲイ」の同性愛蔑視表現

CONMEBOL(南米サッカー連盟)は27日、CBF(ブラジルサッカー連盟)に対して1,500万ドル(日本円で約16億円)の罰金を科したと発表した。ボリビア戦におけるブラジル代表サポーターの同性愛蔑視発言が、その理由とされている。

CONMEBOLが制裁の対象としたのはコパ・アメリカの開幕戦「ブラジル vs ボリビア」で、ボリビア代表GKカルロス・ランペがピッチに登場するたびに、モルンビーのスタンドから「bicha(ビシャ)(ポルトガル語で「ゲイ」)」という叫び声が聞こえたためだ。ランペの性癖を揶揄した発言であり、これはCONMEBOLの懲戒規則の第8条〜第14条に該当。「肌の色を初め、いかなる手段においても他人または集団の人の尊厳を侮辱・軽蔑・否定することを全面的に禁じる」と定めた条項に違反するとの判断がなされたとされる。

この決定に対する上訴は認められておらず、さらにこの決定における罰金は、CBFが今後受け取る賞金から天引きされることも決まっている。

ちなみに、AUF(ウルグアイサッカー協会)にも27日にに罰金が科される決定がなされた。理由は、アレーナ・ド・グレミオで行われた「ウルグアイ vs 日本」の試合で遅刻したためで、1千万ドル(日本円で約11億円)の支払いが命じられたという。

ピンク色のマンコはやる気満々 「スポルト・ボーイスを残留させるために貢献したい」

2019.06.20 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2019

▲ スポルト・ボーイスへの加入が決まったレイモン・マンコ(写真はスポルト・ボーイスが作った合成)

首都リマの隣にある港町カヤオを本拠地とするスポルト・ボーイスへの加入を決めたレイモン・マンコが、ラジオ・オバシオンのインタビューで今回の移籍について口を開いた。スポルト・ボーイスへの移籍を決めた経緯だけでなく、他にオファーをくれたチームにも言及した。

レアル・ガルシラッソを5ヶ月で退団したマンコには、主にペルー国内から複数のオファーが届いていた。その中でスポルト・ボーイスを選択した理由について、マンコはそこで掲げている目標を添えて語った。

「私はただスタメンで出たいだとか給料面などの理由であれば、スポルト・ボーイスには来ない。(前期で最下位だった)スポルト・ボーイスにはリーガ1(1部)残留という明確な目標があり、そのために私が力になれるならと思ったのが移籍の理由だ。そして入団はしなかったものの、私を戦力として考えてくれたビナシオナルにも感謝している」

マンコの獲得は、選手の古巣ウニオン・コメルシオも積極的に検討していた。このことにもマンコは触れている。

「ウニオン・コメルシオとも連絡を取り合った。クラブの会長とは良好な関係を築けているが、私は家族のことも考慮した上で、最終的にスポルト・ボーイスを選んだ」

マンコには病床に伏している父親が、首都リマの病院に入院している。スポルト・ボーイス(港町カヤオ)は、レアル・ガルシラッソ(クスコ)やウニオン・コメルシオ(ヌエバ・カハマルカ)と比較してもリマに近く、父の容態を気にかけているマンコにとって、カヤオで生活することは他の理由にも優ったという。

マンコは、新天地でやる気だ。それは彼の言葉からも存分に感じ取れる。

「スタメンで試合に出られるようにしっかりと準備するだけ。プレッシャーは他のチームよりも小さいかもしれないが、ここでは残留というプレッシャーがあるし、ファンの期待に応えるためにも、これからここでチャレンジしたい。これからが楽しみだ」

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(28歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団した。

ピンク色のマンコが誕生 最下位に甘んじた名門スポルト・ボーイスを残留に導く救世主となるか

2019.06.18 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2019

▲ スポルト・ボーイスへの加入が決まったレイモン・マンコ(写真はスポルト・ボーイスが作った合成)

ピンク色のマンコが、ペルー代表への復帰を目指して活動することになった。ペルー1部のスポルト・ボーイスは18日、元ペルー代表MFレイモン・マンコの加入を発表した。

スポルト・ボーイスは、首都リマの隣町でもある港町カヤオをホームタウンとする1927年創立の名門だが、今年のアペルトゥーラ(前期)は18チーム中最下位に甘んじた。このままの調子がクラウスーラ(後期)も続けば降格もありうるため、チームは即戦力となる選手の補強を検討していた。マンコは、そんな低迷するチームの救世主として指名されたのであった。

レアル・ガルシラッソを退団したマンコに対しては、古巣のウニオン・コメルシオも獲得を検討していて、オファーまで出していた。だが、マンコが選んだユニフォームの色は、赤でなくピンク色だった。

ピンク色のユニフォームがチームカラーでもあるスポルト・ボーイス。マンコにピンク色は似合うのか、そしてピンク色のユニフォームに袖を通すマンコはスポルト・ボーイスを1部残留に導くことができるのか。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(28歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団した。

マンコがクスコから動く レアル・ガルシラッソとの契約を解除して移籍先を検討へ

2019.06.14 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2019

▲ レイモン・マンコはコパ・アメリカの開幕日にレアル・ガルシラッソとの契約解除を表明した

コパ・アメリカが開幕した日に、マンコが動いた。元ペルー代表MFレイモン・マンコは14日、クスコをホームタウンとするレアル・ガルシラッソとの契約解除に合意した旨を、自身の Instagram に投稿した。

ペルー代表への復帰を目指しているマンコは、今年の1月14日にさらなる飛躍を目指してレアル・ガルシラッソと契約。加入当時にチームを率いていたチリ人のエクトル・タピア監督(当時)は、マンコを気に入っていて積極的にスタメンで起用。同監督の期待に応えるかのように、マンコはリベルタドーレスのグループリーグ予備戦で推定飛距離約50mのスーパーロングシュートを決めるなど、クスコで順調なスタートを切っていた。

▼ 2019年1月29日にマンコが決めた約50mのスーパーロングシュート

ところが、リベルタドーレス敗退を受けて監督がペルー人のファン・レイノーソ監督に代わると、マンコの置かれている状況も一変。スタメンで遣われなくなったマンコは、ベンチスタートの日が増えて、後半途中からの出場が目立った。マンコの遣い方について記者から問われたレイノーソ監督は「コンディションが悪ければ最初からマンコを使うわけにはいかない。彼は70分以上試合に出ていられないだろ? プロ選手ならば心身ともに整えてもらいたい」とマンコを突き放すようなコメントを残すほどだった。
昨年所属していたウニオン・コメルシオでのパフォーマンスと比較すると、物足りなさは否めず、かつマンコはレイノーソ監督との関係が悪かったのだった。

レアル・ガルシラッソ入団からちょうど5ヶ月後にある6月14日にレアル・ガルシラッソを去ることになったマンコは、サポーターに向けて感謝の言葉を並べた。

「残念ながらこの時期に退団することになったが、私はレアル・ガルシラッソとそのサポーターに感謝している。美しいクスコの街と人々はとても温かく、私はクスコに来られたことを嬉しく思っていた。ありがとう。これは別れではなく、いつか訪れる再会の約束だよ」

マンコは移籍先を探すことになったが、すでにペルー国内から3つのクラブチームがオファーを出しているという。ペルーのスポーツサイト「Libero」によれば、古巣ウニオン・コメルシオのほか、スポルト・ボーイス、ビナシオナルの3チームとのこと。

コパ・アメリカは来年も開催予定で、マンコは代表復帰と来年の出場を目指して新天地を検討することになった。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(28歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに所属し、ボランチやサイドハーフで活躍している。

コロンビア戦での完敗が契機に ペルー国内で再び湧き上がる「マンコ待望論」

2019.06.11 ペルー代表
▲ コロンビア戦での低たらくを受けて再び湧き上がっている「マンコ待望論」の当事者レイモン・マンコ

ペルー国内が密かにざわついている。先の親善試合でコロンビア代表相手に 0-3 と完敗したからだ。これを受けて「マンコ待望論」も再燃の様相を呈している。

コロンビア戦に臨んだペルー代表は、パオロ・ゲレーロやクリスティアン・クエバなどベストといえる布陣だったが、結果・内容ともにペルー国民を失望させるのに十分なものだった。退場者や負傷者も出るなどで90分間満足に戦えたわけではなかったものの、それを差し引いてもペルー国民の不安は増すばかり。

すると、コロンビア戦から一夜明けた10日には、今からでも代表に入ってほしい選手の名前が挙がり始める。主立ったところは、FWクラウディオ・ピサーロやMFクリスティアン・ベナベンテなどだが、とりわけFacebook上で最も取り上げられた名前はレイモン・マンコ。「ハメス・ロドリゲス中心のチームと互角に渡り合えるのはマンコだけ」といった意見も挙がっている。

マンコについては、過去にノルベルト・ソラーノ氏ら複数の関係者も待望論を唱えていたことがあるが、リカルド・ガレカ監督は今回の代表メンバーにマンコを入れていない。

ただし、コパ・アメリカの登録選手変更についてCONMEBOL(南米サッカー連盟)は、「重大なケガの場合に限り」各国代表の初戦の24時間前と定められていて、今後1〜2日の間に重傷者が出なければ、ピサーロもベナベンテもマンコも今年のコパ・アメリカへは出場できない。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(28歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに所属し、ボランチやサイドハーフで活躍している。

マンコの元妻が脱いだ!? フィオレーラさんがスペインのビーチでのトップレス(?)動画を投稿

2019.06.03 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2019
▲ 舌を出しておどけるフィオレーラさん。右の赤丸は彼女の豊胸手術痕とみられる傷

マンコの元妻がおっぱい丸出しのトップレス動画を投稿か!? 元ペルー代表MFレイモン・マンコの元妻であるフィオレーラ・アルサモーラさんが、現在の旦那とスペイン南部のビーチへ遊びに行ったときの様子を Instagram に投稿。その動画がトップレスになっている一幕があったとして、話題になっている。

フィオレーラさんが訪れたのは、スペイン南部のマルベーリャ。動画からわかるのは雲ひとつない青空の下で、ガタイの良い男性と向かい合っているフィオレーラさんがスマートフォンで自撮りしているひとコマ。おっぱい丸出しになったフィオレーラさんに男性が黒い水着を着けさせようとしていて、その際に男性の腕に当たった麦わら帽子が、強い浜風によって飛んでしまいそうなところを、フィオレーラさんが制止しようとして発した声も収録されている。

旦那とみられる屈強な男性は、フィオレーラさんの胸元に両手を伸ばして黒い水着をフロントホックで留めている様子が映っていて、その間フィオレーラさんは楽しそうな表情で時折舌も出すなどおどけてみせた。水着が装着されるまでの間も、二人は周囲の目を気にすることなく自撮りに勤しんでいた。

なお、投稿された動画には最後に胸を右側から撮影した瞬間があり、そこには豊胸手術を施した痕とみられる傷が水着からはみ出るように映り込んでいた。

フィオレーラ・アルサモーラさんは、2013〜2014年頃にレイモン・マンコと婚姻関係にあったが、その後離婚していて、以降は結婚と離婚を繰り返している。本人は「21世紀のエリザベス・テイラーを目指す」と豪語したこともあり、奔放なプライベートがしばしば現地メディアにも取り上げられている。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(28歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに所属し、ボランチやサイドハーフで活躍している。

およそ90年前のウルグアイサッカー史に燦然と輝く「聖なるマンコ」の功績を紐解く

2019.05.31 ウルグアイ代表 (第1回FIFAワールドカップ)
▲ ウルグアイ代表の集合写真で切断した右腕を左手で隠しながら写る元ウルグアイ代表FWエクトル・カストロ氏

その昔、フットボールの世界最強国であったウルグアイに、歴史に名を残す輝かしいレジェンドがいた。元ウルグアイ代表FWエクトル・カストロ氏のことで、「エル・マンコ」、「エル・ディビーノ・マンコ」の異名で人気を博した。“マンコ”ことカストロ氏が残した功績は、今もウルグアイのサッカー史に燦然と輝く。

1921年に首都モンテビデオで生まれたカストロ氏は、幼い頃からサッカーボールを蹴って遊ぶのが大好きなどこにでもいる少年の一人だった。同氏に不幸が襲ったのは13歳の頃で、電動ノコギリで右腕切断の重傷を負ってしまう。片腕を失ったことから、同氏はやがて「エル・マンコ」と呼ばれるようになった。スペイン語で「manco」は隻腕(片方の腕=片腕)を指す。

“エル・マンコ”ことカストロ氏がデビューしたのは、かつて首都モンテビデオに存在したアトレティコ・リトというクラブチーム。19歳だった1924年には名門ナシオナル・モンテビデオに移籍して、3度のリーグ優勝など主力として活躍した。1932年からの1年間だけ、アルゼンチンの名門エストゥディアンテスに移籍していた時期もある。

▲ ナシオナル・モンテビデオでのリーグ優勝でチームメイトから肩車をされる元ウルグアイ代表FWエクトル・カストロ氏

ウルグアイ代表としても長く活躍し、代表での初タイトルは1926年のコパ・アメリカで6ゴールを決めて優勝に貢献。翌年には準優勝にも貢献すると、1935年には2ゴールを決めて自身二度目のコパ・アメリカ優勝を経験した。他では1928年のアムステルダム五輪での優勝にも貢献し、そして何より自国開催の第1回FIFAワールドカップで優勝に貢献したことが特筆すべきところであろう。このワールドカップでも、カストロ氏は2ゴールを決める活躍をみせており、ウルグアイでもトップクラスのストライカーであったことから、やがてカストロ氏の異名は「エル・マンコ」から「エル・ディビーノ・マンコ」へと変わっていった。現役時代の活躍が、同選手を「聖なるマンコ」にさせたのであった。

1936年に引退したカストロ氏は、1939年から古巣ナシオナル・モンテビデオで監督としても結果を出したが、1960年に55歳の若さでこの世を去った。「聖なるマンコ」は夜空に輝く星になったのだ。

事故で右腕を切断する不幸があっても、ウルグアイサッカー史に燦然と輝く結果を残した「聖なるマンコ」は、後輩たちの雄姿を天国から見守っているに違いない。まもなく始まるブラジルでのコパ・アメリカでは、ウルグアイ代表の躍進に期待したい。

◆ エクトル・カストロ

生年月日:
1904年11月29日生まれ
出身:
ウルグアイ(首都モンテビデオ)
死没:
1960年11月15日(享年55)
ポジション:
フォワード (現役時代)

1921年に16歳の若さでデビューすると、1924年からは名門ナシオナル・モンテビデオのストライカーとして長く活躍。ウルグアイ代表としての活躍も広く知られ、1928年にオランダの首都アムステルダムで行われたオリンピックで金メダルに貢献すると、1930年に行われた第1回ワールドカップでは2ゴールをマークして優勝に貢献した。1936年に現役を退くと、3年後の1939年には監督としてナシオナル・モンテビデオを5度のリーグ制覇に導くなど、その手腕を発揮した。13歳の頃に電動ノコギリで右腕を切断する事故に見舞われ、片腕しかないことから「エル・マンコ(隻腕)」、「エル・ディビーノ・マンコ(神聖なる隻腕)」と呼ばれた。スペイン語で「manco」は隻腕(片方の腕がないこと)を指す。

試合中にチームスタッフの頬を平手打ち なぜ叩いた?と炎上も“被害者”は笑って応対

2019.05.24 コンメボル・スダメリカーナ 2019
▲ 「アルヘンティノス・ジュニオルス vs デポルテス・トリーマ」の83分にアルベルト・ガメーロ監督がフィジカルトレーナーのアルベルト・アリアス氏を平手打ちした場面

5月23日にアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで行われたコンメボル・スダメリカーナの「アルヘンティノス・ジュニオルス vs デポルテス・トリーマ」で発生した出来事が、試合後に物議を醸した。デポルテス・トリーマのアルベルト・ガメーロ監督が、試合中に自分のチームのフィジカルトレーナーをビンタしたのだ。同監督はなぜビンタしたのか。

問題のシーンは、0-0 で迎えた83分。ピッチサイドで戦況を見つめていたガメーロ監督が足元につばを吐き捨てると、近くに立っていたアルベルト・アリアス氏に近寄り、二言三言話しかけるや否や、おもむろに右手でアリアス氏の左頬を平手打ちした。叩いてすぐ離れるガメーロ監督の頭を、今度はアリアス氏が叩こうとしたが、こちらは空振りした。

一連の出来事は、映像がSNSですぐに拡散されて炎上した。

この件について記者から質問されたアリアス氏は、笑いながらそれらが冗談の一環であると説明した。
「彼はいつも私にちょっかいを出してくるんだ。ある意味誰よりも友人だよ」

上記の出来事はあくまで二人の間では冗談なのだろう。しかし、この映像を扱った報道機関は、「ガメーロ監督がスタッフに暴力を振るった」と報道した。

なお、この試合は、後半のアディショナルタイムに先制したアルヘンティノス・ジュニオルスが勝利を収め、2nd.Leg は 0-0 で終了。ガメーロ監督率いるデポルテス・トリーマは、敗退となった。

◆ アルベルト・ガメーロ

本名:
アルベルト・ミゲル・ガメーロ・モリージョ
生年月日:
1964年2月3日生まれ(55歳)
出身:
コロンビア(マグダレーナ州サンタ・マリア)
身長:
168cm
ポジション:
ディフェンダー (現役時代)

現役時代はコロンビア国内でディフェンダーとして活躍し、1998年に引退。2003年からコロンビア国内でクラブチームの監督を歴任している。

ペルーで生まれた「マンコのうた」 マンコ自身もリツイートして反響が広がる

2019.05.01 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2019
▲ レイモン・マンコを応援した歌“ Oh, Rey ” を弾き語りする様子が YouTube や Facebook などに公開された

日本で平成から令和に元号が変わった5月1日、遠く離れたペルーでは名曲が生まれた。元ペルー代表MFレイモン・マンコもリツイートした、いわゆる「マンコのうた」が今、多くの人から反響を得ている。

レイモン・マンコに捧げる「マンコのうた」を捧げたのは、現地ペルーでマンコを応援しているとみられる男性で、マンコの可能性を信じて、マンコのペルー代表復帰を熱望している者の思いが、新曲を生んだとみられる。“ Oh, Rey (ああ、王様)” と名付けられたこの曲は、アコースティックギターでの弾き語りで、ノスタルジックなメロディーに仕上がっている。ギターは前半アルペジオで奏でて、後半はストローク中心の演奏に切り替わっている。

歌詞には、若かりし頃にPSVアイントホーフェン(オランダ)へ移籍したものの、ヨーロッパでは進化・成長しなかったマンコへの憂いも表現されていて、「あなたは王冠のない王になった。人生は引き返せない」とも歌っている。この歌では、マンコを王に見立てている。

往年のディエゴ・マラドーナ氏のように、背中を押す歌まで作ってもらったマンコ。歌い手や共感者の想いを胸に、ペルー代表への復帰とコパ・アメリカへの出場なるか。

※ マンコに捧げた「マンコのうた」“ Oh, Rey ” を聴きたい方は、下記よりご視聴ください。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(28歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに所属し、ボランチやサイドハーフで活躍している。

チームを敗北から救ったのはマンコの右足 フリーキッカーとして同点ゴールをアシスト

2019.04.19 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2019
▲ 左サイドのライン際まで開いたレイモン・マンコ(左)は、マークを背にしながら股抜きヒールキックで味方にパスを出した

4月19〜22日に行われたリーガ1(ペルー1部リーグ)の前期 第8節。クスコで行われた「レアル・ガルシラッソ×アリアンサ・リマ」は、レアル・ガルシラッソが終盤に追いついて引き分けに持ち込んだ。

レアル・ガルシラッソは立ち上がりにアルゼンチン人MFアルフレード・ラムーアが右足で直接フリーキックを放ったが、ボールはキーパーが左手で外へ弾き出した。一方、セットプレイからアルゼンチン人FWエマヌエル・エレーラのヘディングシュートでチャンスを作ったスポルティン・クリスタルは、34分に先制。右サイドからのクロスをキーパーがパンチングして、オマール・メルロが右太ももでトラップしたところにキーパーが飛び出したが、メルロはフェイントでキーパーを振り切り左足を振り抜いた。ゴールエリアで待ち構えていたエマヌエル・エレーラが右足を伸ばしてゴールに押し込んで、スポルティン・クリスタルに先制点をもたらした。

後半、スポルティン・クリスタルには追加点を奪えるチャンスがあったが、フリーで右足を振り抜いたエマヌエル・エレーラのシュートはキーパーが身を挺して弾き出す。すると、60分にレイモン・マンコを投入したレアル・ガルシラッソは、マンコがトリッキーな足技で攻撃の起点となるなど、チームのリズムを変えていった。そして85分、左サイドでセットプレイを得たレアル・ガルシラッソは、マンコが右足で間接フリーキックを放つと、ゴールに背を向けながら前進したミンスン・キーナがバックヘッドでゴールに沈めて 1-1 とした。

勝ちきれなかったスポルティン・クリスタルは、首位浮上ならず。一方、マンコのフリーキックを起点とする同点劇で敗北を免れたレアル・ガルシラッソは、暫定3位につけている。

リーガ1(ペルー1部リーグ) 2019 前期 第8節 (2019/04/19)
レアル・ガルシラッソ 1-1 アリアンサ・リマ
ダニエル・フェレイラ GK パトリシオ・アルバレス
ウィリー・リバス
(グスターボ・ドゥラント)
アンドレス・ロブレス
ミンスン・キーナ
ホアオ・オルティス
DF ホアン・マドリー
レンソ・レボレード
オマール・メルロ
ハイル・セスペデス
パブロ・ミゲス
アルフレード・ラムーア
(ダニーロ・カランド)
クリスティアン・ソウサ
ハビエル・ヌーニェス
MF パトリシオ・アルセ
ホルヘ・カスーロ
フェルナンド・パチェーコ
(ヘスス・プレテル)
クリスティアン・パラシオス
クリスティアン・オルティス
(オラシオ・カルカテーラ)
アレハンデル・レカロス
(レイモン・マンコ)
エルナン・レンヒーフォ
FW エマヌエル・エレーラ
(マルティン・タバラ)
ミンスン・キーナ 85 ゴール 34 エマヌエル・エレーラ
ウィリー・リバス
ダニーロ・カランド
ホアオ・オルティス
イエロー
カード
ホアン・マドリー
ホルヘ・カスーロ
パトリシオ・アルバレス
クリスティアン・オルティス
ハイル・セスペデス
ファン・レイノーソ 監督 クラウディオ・ビバス
主審: ミゲル・サンティバーニェス
会場: エスタディオ・インカ・ガルシラッソ・デ・ラ・ベガ (クスコ)

柔軟なマンコはクスコの高さを気にしない ピンポイントのスルーパスで見せ場を演出

2019.04.07 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2019
▲ アリアンサ・リマに勝った直後にピッチサイドで GolPerú のインタビューに応じるレイモン・マンコ

マンコにしてみれば、クスコの高さなどたいした問題ではない。

7日の試合に後半途中から出場したレイモン・マンコは、試合後のインタビューでクスコでの生活について何ら支障がないことを明言した。

レアル・ガルシラッソのホームタウンであるクスコは、アンデス山脈にあるインカ帝国の首都で、その標高は3,399mと富士山の八合目より100m以上も高い。西に太平洋を望む首都リマと比較すれば、酸素の薄さは説明の余地もなかろう。そんな高地クスコで、マンコは今シーズンを過ごしている。

7日に行われたアリアンサ・リマ戦に62分から出場したマンコは、得点にこそ関与しなかったが、離れたところからピンポイントのスルーパスを出すなど、調子の良さをアピールした。そして試合終了後にマイクを向けられると、マンコは試合回顧とクスコでの現在について口を開いた。

「難しい試合だったが、勝ち点3を獲れたことには満足している。クスコの標高については、もはや神話だね。すぐに慣れたし、今の私はどこに行ってもこれまでと同じようにプレイする自信がある」

アリアンサ・リマをクスコで破ったレアル・ガルシラッソは、(4月7日現在で)国内リーグの4位につけている。リーグ制覇を目指すチームにとって、マンコは欠かせない戦力となっている。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(28歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに所属し、ボランチやサイドハーフで活躍している。

立ち上がりに踏みつけてしまったマンコにレッドカード 退場になったマンコは次節出場停止に

2019.03.02 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2019
▲ 10分にレイモン・マンコがリカルド・ラゴスの左足をスパイクの裏で踏みつけてしまった瞬間

3月2日に行われたリーガ1(ペルー1部リーグ)の前期 第3節「カルロス A. マヌッチ×レアル・ガルシラッソ」で、マンコが勢い余ってレッドカードを食らってしまうハプニングがあった。

マンコにレッドカードが出されたのは、開始早々の10分。相手陣内の右サイドで競ったボールをマイボールにしようとしたレイモン・マンコが勢い余って、スライディングでクリアしたリカルド・ラゴスの左足をスパイクの裏で踏みつけてしまう形となった。マンコの踏みつけに故意はなかったが、ラゴスが踏まれた箇所を押さえて悶絶すると、主審は躊躇せずマンコにレッドカードを出した。レアル・ガルシラッソは立ち上がりにマンコを失うこととなった。

レアル・ガルシラッソは44分にハンドで相手にPKを与えてしまったが、ニヘル・ベガのPKがポストを直撃したことによって失点を免れた。

後半、ジャン・ピエール・フエンテスに二枚目のイエローカードが出されたことによって、レアル・ガルシラッソは58分に数的不利を解消。すると、67分に左サイドを崩す攻撃から、最後はウルグアイ人MFパブロ・ミゲスが右足でシュートを決めて待望の先制点を奪取した。そしてこのゴールが決勝点となった。

レアル・ガルシラッソは勝って5位に浮上したが、レッドカードをもらったマンコは第4節を欠場することになった。

リーガ1(ペルー1部リーグ) 2019 前期 第3節 (2019/03/02)
カルロス A. マヌッチ 0-1 レアル・ガルシラッソ
マヌエル・エレーディア GK リカルド・ファロ
ロベルト・ビジャマリン
ホアキン・レンシアス
パブロ・デ・ミランダ
リカルド・ラゴス
DF ヘスス・アリスメンディ
アンドレス・ロブレス
ミンスン・キーナ
アレクシス・コッシオ
ジャン・ピエール・フエンテス
ニヘル・ベガ
(ハイル・コルドバ)
マリオ・タヒマ
ゴンサーロ・ラモス
(ホセ・コトリーナ)
ルイス・ベニーテス
(レリ・フェルナンデス)
MF パブロ・ミゲス
ジャン・ピエール・アルチンボー
(パウロ・ゴジョネーチェ)
レイモン・マンコ
アルフレード・ラムーア
ハビエル・ヌーニェス
(エルナン・レンヒーフォ)
トゥーリオ・エチェマイテ FW ダニーロ・カランド
(クリスティアン・ソウサ)
ゴール 67 パブロ・ミゲス
ロベルト・ビジャマリン
ジャン・ピエール・フエンテス
リカルド・ラゴス
マリオ・タヒマ
パブロ・デ・ミランダ
ホセ・コトリーナ
イエロー
カード
ヘスス・アリスメンディ
パブロ・ミゲス
リカルド・ファロ
エルナン・レンヒーフォ
ジャン・ピエール・フエンテス レッド
カード
レイモン・マンコ
ホセ・ソト 監督 エクトル・タピア
主審: ビクトル・カリージョ
会場: エスタディオ・マンシーチェ (トルヒージョ)

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(27歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。現在はウニオン・コメルシオに所属し、トップ下としてスタメン出場している。