マンコを苦しめた“最悪の悪魔” パオロ・ゲレーロとの不倫も明かした元妻との悪夢を語る

2023.08.25 コパ・ペルー 2023

▲ 元ペルー代表MFレイモン・マンコ(右)にとって、10年前に結婚したモデルのフィオレーラ・アルサモーラさん(左)との婚姻生活は不健全だったという

元ペルー代表MFレイモン・マンコのYouTube冠番組である「Cojo y Manco(コホ・イ・マンコ)」に出演したマンコが23日、元妻との関係を暴露して「最悪の悪魔」とこき下ろした。

マンコは2013年7月にペルー人モデルのフィオレーラ・アルサモーラさんと結婚。しかし半年後には別居して、その後離婚に至っている。当時の婚姻生活について、マンコが口を開いた。

(前略)…そして、この女、フィオレーラ・アルサモーラの話をする。私がこれまでに付き合った女性の中で、間違いなくワースト1。“最悪の悪魔”だった」

当時マンコの妻だったフィオレーラ・アルサモーラさんは、マンコとの別居期間中に「マンコから家庭内暴力を受けた」と主張。彼女いわく、「私はレイモン・マンコから100回以上殴られた」と訴えてマンコを強く非難した。しかしマンコは家庭内暴力を繰り返し否定しており、両者の主張は平行線のまま。それでも当時の妻は、別居中のマンコに繰り返し電話をかけてきて、家庭内暴力の被害を訴えてきたという。当時を振り返ってマンコは「ひどいものだった」とあきれ顔だった。

フィオレーラ・アルサモーラさんはその後、再び結婚して離婚しバツ2になっただけでなく、マンコとの婚姻関係中にペルー代表FWパオロ・ゲレーロと不倫していたことも暴露。さらに、「私はあと7回くらい結婚するつもり」と謎のエリザベス・テイラー宣言をするなど奔放な人生を送っている。こうした事実を踏まえれば、マンコの言うように彼女は“最悪の悪魔”だったのであろう。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

マンコが試合をボイコットした? 地元サポの一部が“指名手配”する事態になり本人が声明

2023.08.10 ペルーのアマチュア大会

▲ カニバンバFCの熱狂的なインチャ(サポーター)がマンコの捜索を開始!?

ペルー国内にて、マンコが試合をボイコットしたとの報道が出て物議を醸している。

アメリカの7人制サッカーなどにも契約・出場したり、YouTubeで自身の冠番組を配信するなど精力的な活動をしている元ペルー代表MFレイモン・マンコは現在、ペルー北西部の標高2,641mに位置する山間部の中腹の町オトゥスコを本拠地とするカニバンバFCというアマチュアクラブに、期限付きで加入している。

オトゥスコで開催中の選手権で、カニバンバFCは準決勝に駒を進めていた。そして迎えた準決勝のピッチやベンチに、マンコの姿はなかった。ちなみに、カニバンバFCも出場中の選手権では、35,000ペルーソル(日本円で136万円)の賞金も設定されていたため、サポーターとしてもこの選手権については真剣に応援している経緯がある。

前述の事情を踏まえて、現地メディアは「マンコが失踪した」「マンコが試合をさぼった」と報道。準々決勝までチームに多大な貢献をしていたマンコが、身勝手な意志決定で試合を欠場したかのように報じられ、カニバンバFCを応援するサポーターの一部は「マンコの居場所を突き止めろ!」と、さも“指名手配”でもするかのような勢いでマンコの捜索を開始した。

こうした一連の報道を受けてマンコが反応。自身の行動は試合のボイコットではないと訴えた。

「ハッキリさせておきたいのは、私がアメリカからリマに到着したのが8月6日。5日の試合に出てほしいとの連絡が事前にあればもっと早く帰国していたし、クラブから出場を打診する連絡も来ていなかっただけ。だからボイコットなんてしていない」

マンコは誤報を拡散したメディアに対しても憤りを覚えており、「一連の誤報を正さないのならば、訴訟を起こす。証拠はある」と強気な姿勢を貫いている。果たして、この騒動は今後泥沼化するのか。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

実は“二番目の女”だったマンコの元カノ 「午前3時に追い出された直後に“本命”がやってきた」

2023.07.24 リーガ1(ペルー1部リーグ)

▲ 18歳当時に元ペルー代表MFレイモン・マンコと交際していたシルレイ・アリカさん

ペルー人モデルのシルレイ・アリカさんは、過去に出演した番組「A las 10」で元ペルー代表MFレイモン・マンコとの恋路を語っている。そこで明らかになったのは、シルレイ・アリカさんはマンコの本命ではなかった事実だった。

1989年6月27日生まれの34歳であるシルレイ・アリカさんは、18歳の頃にマンコと交際。本人の談話によれば、2人はペルーの首都リマ南部のディスコで出会い、その日のうちにベッドイン。順調に愛を育んでいたが、マンコがその翌年に開催した新年のパーティーによってシルレイ・アリカさんは失恋した。

「彼(マンコ)が私をガールフレンドとして紹介してくれると聞いていたから、興奮して彼の家に行ったの。でもその夜、彼は午前3時まで私と一緒にいたのに、3時で私は出て行かされたのよ」

シルレイ・アリカさんは、なぜ午前3時に突然マンコの家を退出させられたのか。彼女が続ける。

「女性には第六感があり、何か嫌な臭いを感じたの。彼(マンコ)の家を出てから帰らず、近くに停めていた車の後部座席にいたら、そのあとに“本当のガールフレンド”(本命の彼女)が家に入っていくのを目撃したのよ…ガッカリした。そして彼ともう一度会いたいとは思えなくなった」

“本命”だと思っていたのに、“二番目の女”だった事実を突きつけられた当時18歳のシルレイ・アリカさん。巨乳美女を傷つけた当時10代のマンコの罪は、決して軽くない。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

マンコの元カノが暴行沙汰で出演番組を追放処分に バスルームで共演者を殴った疑い

2023.07.24 リーガ1(ペルー1部リーグ)

▲ 番組からの追放処分が決まり目に涙を浮かべるシルレイ・アリカさん

マンコの元カノがテレビ番組で暴行事件を起こして、出演番組を降板する処分を受けていたことがわかった。

マンコの元カノことペルー人モデルのシルレイ・アリカさんが降板したのは、アメリカのケーブルテレビで視聴可能な放送局 Telemundo (テレムンド)が放送しているリアリティ番組「Los 50」。男女50人のセレブが日常から切り離された豪邸で共同生活を送りながら、大胆なノックアウトチャレンジに挑戦。ゲームに勝って共演者をそぎ落とし、最後に残った1人に賞金35万ドル(日本円で約4,950万円)が与えられる内容になっている。また、この番組は視聴者参加型で、最後の一人を予想して見事に的中すると5万ドルの賞金を得られる。

拡散した動画では、「Los 50」のマンコの元カノがメキシコ人女優のタリー・ガルシアさんとバスルームでトラブルになり、暴力沙汰になった。マンコの元カノが「歯磨きするときにバスルームに人がいるのは嫌だから出て行って」と述べると、タリー・ガルシアさんは「ちょうど入ってメイクを始めたところだから、今出るつもりはない」と反論。すると互いに罵り合うようになり、激昂したマンコの元カノがタリー・ガルシアさんの側頭部を平手打ちしたという。

番組の制作側は「いかなる状況においても、あらゆる暴力は許されない」として、マンコの元カノを番組から追放する決定を下した。

傷ついたマンコ 年始に2つのクラブと交渉するも決裂… その理由は辛辣なものだった

2023.05.03 リーガ1(ペルー1部リーグ)

▲ 元ペルー代表MFレイモン・マンコは2023年にリーガ1でのプレイを希望していたが…

マンコが厳しい現実に直面していたことを告白した。

元ペルー代表MFレイモン・マンコは2023年の上半期を7人制サッカーの分野で選手を続けているが、当初はリーガ1(ペルー1部リーグ)でのプレイを希望して、年末年始も交渉を怠らなかった。だが、そのうち交渉した2つのクラブから突きつけられた評価は、厳しいものだったという。

マンコが自身の希望する報酬額を伝えたところ、そのうち1つのクラブからは「マンコと契約するくらいなら、その金額でハイレベルなアルゼンチン人選手を2人加入させたほうがマシだ」と言われたとのこと。ちなみに、マンコが交渉した2つのクラブについて、クラブ名は明かされなかった。

2023年上半期の移籍市場はすでに閉鎖されているため、マンコがリーガ1のクラブでプレイできる時期は最速で2023年7月になる。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

怠け者だったマンコ ペルー勢が国際舞台で躍進できない理由を問われて明かした所以

2023.04.24 リベルタドーレス

▲ ペルーのクラブチームがリベルタドーレスなどの国際舞台で勝ち上がりにくい事情を説明した元ペルー代表MFレイモン・マンコ

元ペルー代表MFレイモン・マンコは、自身が出演する番組「Cojo y Manco(コホ・イ・マンコ)」でペルーのクラブチームが国際舞台において好成績を収められない理由を説明した。

番組でマンコは、ペルーのクラブチームと選手が抱える難点について持論を展開した。

「ペルーのサッカー選手は、多くの試合をこなすことに慣れていないんだ。過密日程への適応力が低い。それは彼らが対応できないわけではなく、我々選手が怠け者だからなんだ」

続けて、マンコはペルーのサッカー選手を批判しているわけではないことも強調。

「私はペルーの選手を悪く言っているわけではない。私自身、17年間プロとしてプレイしてきた。私は怠け者だった」

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

高校を卒業していないと明かしたマンコ 勉学の意欲はあり年内にも高卒資格を取得する見込み

2023.04.13 リーガ1(ペルー1部リーグ)

▲ 2023年4月現在で高校を卒業していない事実を明かした32歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコ

マンコの最終学歴は、高校中退だった。元ペルー代表MFレイモン・マンコは、自身の番組「Cojo y Manco」に出演して、高校を卒業していない事実を明かした。

マンコは17歳のときに U-17 南米選手権で大会MVPに輝き、2007年のU-17ワールドカップにも出場。当時は、同世代のコロンビア代表MFハメス・ロドリゲスよりも高い評価を得ていた。しかし、2008年に17歳の若さでPSVアイントホーフェン(オランダ)に移籍した際に、通っていた高校を中退したという。

以降、国内外で長くプロサッカー選手として現役を続けているマンコ。2023年は7人制サッカーの分野に活躍の場を移したが、11人制のプロサッカーからは一時的に距離を置いているため、今年はプロ生活で初めて空き時間が多めに確保できる年になった。マンコは、空き時間を活用して勉学を再開する意向を示している。

「今は、通信制の高校に通って学び直しているんだ。夜は勉強している。オンラインで授業を受ける日もあるよ。(勉強するのに)遅すぎることはない。私は高校卒業の資格を得ることを、我が子に約束したんだ」

高校3年のときに中退したことを明かしたマンコだが、早ければ年内にも高卒の資格を取って最終学歴を高校中退から高卒にアップデートする意向だ。

また、17歳で渡ったオランダで言葉が通じなかったことが、キャリアアップの足かせになっていた過去を明かしたマンコ。当時はマンコと妹の二人でオランダに移住したそうで、「オランダ語を理解できず、コミュニケーションに苦労した。せめて英語が話せれば違ったかもしれない。英語の勉強は大事だね。英語ができれば、オランダでも幾分違ったかもね」とも述べた。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

【注意】Cartão Vermelhoの月刊誌創刊はエイプリルフールの嘘

2023.04.01 月刊誌「Cartão Vermelho」創刊!?

平素は、南米サッカーゴシップサイト「Cartão Vermelho」をご愛顧いただきまして、誠にありがとうございます。

▲ 満を持して創刊されることになった(!?)月刊誌「Cartão Vermelho」

当サイトのtwitterアカウントから「Cartão Vermelho」の月刊誌が新創刊されたとの情報が発信されていますが、エイプリルフールの演出による嘘なので一切信じないでください。

だって、考えてみてください。レイモン・マンコ、アナ・マンコ、エロス・マンクーソを中心にピックアップしているサイトが、月刊誌なんて発行できるわけがございません。それこそ、日本の印刷会社がマンコの文字列を出力したら「有害図書」確定です。「Cartão Vermelho」が紙媒体として世に出回る可能性は、限りなくゼロに近いです。否、ゼロです!

▲ 創刊号を買うと、レイモン・マンコを特集したスペシャルフォトブックが付録に付いてくる!?

ネタで掲示した雑誌パロディのデザイン、ご覧になりましたか? 価格にご注目ください。690円です。由来はもちろん「シックスナイン」です。こんなふざけた雑誌が市販されるわけがないことくらい、勘の良い方ならすぐにわかるはずです。

もう一度書きます。Cartão Vermelhoの紙媒体創刊に関する記事と、関連するツイートについてはすべてフィクションである旨をお伝え申し上げます。
以上、エイプリルフールのネタでした。お楽しみいただけましたでしょうか?

敬具

殴られたマンコは無事? 当のマンコは加害者と笑顔で写真撮影に興じて問題なしをアピール

2023.03.27 7人制サッカー

▲ 25日の試合でトニート(55番)が元ペルー代表MFレイモン・マンコ(左)の顔面を殴った場面

25日の試合中に殴られたマンコには、わだかまりはない。試合を終えた元ペルー代表MFレイモン・マンコは、自身を殴った“トニート”ことアントニオ・ゴンサーレスを「許した」。

25日の試合中にトニートに顔面を殴られたマンコは、その場で転倒。そのマンコを殴ったトニートはその後主審への暴言でレッドカードを受けて退場になった。

退場の直前にはマンコが差し出した右手に応じない様子からして、トニートはマンコへの恨みを募らせているようにも映ったが、当事者間にわだかまりはない様子。試合後にマンコは、トニートと肩を組んで笑顔で写真撮影に興じていて、試合中のトラブルはピッチに残してきたことをアピールした。

▲ 試合後にマンコ(左)がトニート(右)と和解の写真を撮った場面

Instagram には「マンコとトニートが経験した、なんと豊かな決闘でしょう」「偉大な人格者トニート、そのすべてはサッカーの一部だ」との投稿がなされ、マンコを殴った選手とマンコとの間にわだかまりはないことが証明された。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

マンコが試合中に顔を殴られて転倒 マンコを殴った選手はイエローカードへの猛抗議で退場

2023.03.26 7人制サッカー

▲ 殴られて転倒したマンコに近づいて睨む“トニート”ことアントニオ・ゴンサーレス(写真右)。その後(写真左)、イエローカードの判定に不服を唱えて主審からレッドカードを出された

約半年ぶりに試合に出たマンコが、ピッチで顔面を殴られて転倒した。

元ペルー代表MFレイモン・マンコが出場したのは、7人制サッカーの「スーペルリーガ・フッボル7」の「アリアンサFC vs エンバハドゥル・クレーマ」。3-2 とアリアンサFCの1点リードで迎えた後半の17分に、マンコは殴られた。カウンターに転じたアリアンサFCは、左サイドにいたマンコに素早くボールを預けた。

ゆっくりドリブルを始めたマンコはセンターラインを越えて相手陣内に入ると、フェイントを交えてカットインしたところで“トニート”ことアントニオ・ゴンサーレスに左手で顔を殴られた。殴られたマンコはバランスを崩して尻餅をついたが、激怒することはなく近づいてきたトニートに右手を差し伸べて自分を起こすようなジェスチャーを見せたが、トニートは憤っていたのか、マンコが差し出した右手から自分の右手を遠ざけて敬遠。結局マンコは、味方の右手によって立ち上がることになった。

このファウルに対し、主審はトニートにイエローカードを提示。するとカードを出されたことに激昂したトニートは主審に食ってかかり、そのときに暴言を吐いたのか、主審はカードの色を黄色から赤に変更。マンコを殴った加害者は退場処分となった。

なお試合は、アリアンサFCが 3-2 でリードを守りきり、勝利を収めた。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

マンコがオランダで凋落したのは「舐められた」から? マンコが舐められた過去を回想

2023.03.25 エールディヴィジ(オランダ1部リーグ) 2008

▲ 元ペルー代表MFレイモン・マンコはオランダのPSVにいた2008年当時のピッチ外について裏話を語った

マンコがスターダムから凋落したのは、オランダへの移籍が遠因だったのか。32歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコは、自身の冠番組でもある「 Cojo y Manco 」に出演して、弱冠18歳で渡ったPSVアイントホーフェン(オランダ)や、その後貸し出されて在籍したヴィレムⅡで目の当たりにした、オランダのサッカー選手らの行動を明らかにした。

2007年のU-17南米選手権ならびにU-17ワールドカップで一躍有名になり、当時は同世代のコロンビア代表MFハメス・ロドリゲスよりも高い評価を得ていたマンコ。彼の元にはPSVのほかにも、レアル・マドリー(スペイン)からもオファーがあったが、マンコはレアル・マドリーよりPSVを選んだ。理由のひとつに、“先輩”ジェフェルソン・ファルファンの轍があったことはマンコも認めているが、その先輩(ジェフェルソン・ファルファン)のようなキャリアをマンコは歩めなかった。

PSVとヴィレムⅡのユニフォームに袖を通した当時を回想したマンコは、当時のオランダで目にした衝撃的な場面を言葉で表現。当時未成年だったマンコの目には、どのように映ったのか。

「私はオランダでプレイしたことがある。当時、試合で勝つと、帰りのバスでは(コーチやスタッフらも含めて)選手らほぼ全員がタバコを吹かして『しゃぶって』いたんだ。当時17歳に私は酒を飲まなかったけれど、当時の帰りのバスでは監督やコーチ、スタッフ、そして当時の選手がこぞって酒を飲んだり、タバコをしゃぶっているのを目撃したよ」

※ マンコが口にした chupando は、スペイン語で「しゃぶり」という意味。ちなみに chupar(チュパール) はスペイン語で「舐める」で、日本でもおなじみのお菓子「チュッパチャプス」のチュッパも chupar が語源だ。

マンコが憤るところに、ペルー国内での報道の仕方もある。マンコが口を開く。

「サッカー選手が酔っ払ったり、女ったらしだったり、家族への責任を問われたりなどということが、なぜまとめられてメディアに挙がるのか。それが私には心底わからない」

現在の奥さんとの間に2人の子どもを授かり、32歳の今も現役を続けているマンコ。彼の捉え方として、ペルー国内での偏向報道に嫌気が差していることを、現地メディアは重く受け止めたほうがいいかもしれない。

マンコは今年、アメリカのジャクソン・テネシー・ブーム、ペルーのアリアンサFCと2つの7人制サッカークラブに所属することになっている。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。

マンコに“2つめの所属先” 古巣アリアンサ・リマの7人制サッカー部門が加入を発表

2023.03.23 スーペルリーガ・7スターズ(7人制サッカー)

▲ 古巣アリアンサ・リマの7人制サッカー部門で新戦力としての加入が決まった元ペルー代表MFレイモン・マンコ

マンコが2016年12月以来、約6年ぶりに愛する古巣のユニフォームに袖を通す。ペルーの名門アリアンサ・リマは22日、32歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコの加入を発表した。ただし、11人制のサッカーでの補強ではなく、7人制サッカーの部門(アリアンサFC)での補強。

マンコは昨年所属していたファン・アウリッチを退団して以降は無所属で、移籍先を探していた。一部報道では引退を示唆する記事も上がったが、引退についてマンコは「そのときは自分から口にする」と発言。引退の噂を否定したが、2023年の年始は移籍先が決まらないまま移籍市場が閉鎖したことにより、同年7月の移籍市場再開まではペルー国内でチームに所属できない事態になっていた。

そんな折、3月18日にアメリカの7人制サッカーチームのひとつである「ジャクソン・テネシー・ブーム」というクラブチームが、マンコの加入を発表。これにより、マンコは6月にノースカロライナ州で開幕するTSTチャンピオンシップに選手として出場することになったが、それ以外の時期は引き続きフリーの状況にあった。

ペルーサッカー界の規定により、7月までは11人制のサッカー選手としてペルー国内のどこにも加入できないマンコ。そんなマンコに声をかけたのが、マンコの古巣でもあるアリアンサ・リマだった。アリアンサ・リマにある7人制サッカー部門(アリアンサFC)の選手として古巣への復帰が叶ったマンコは、ペルー国内で開催される「スーペルリーガ・7スターズ」に参戦。早ければ、3月24日のトーナメント初戦にも出場する可能性があるという。

補足までに、選手の価値を評価する国際的な機関によれば、マンコの現在の価値は17万5千ユーロ(日本円で約2,500万円)。マンコが2008年にアリアンサ・リマからPSV(オランダ)へ移籍した当時の価値は、150万ユーロ(日本円で約2億1,500万円)だった。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。