マンコがオランダで凋落したのは「舐められた」から? マンコが舐められた過去を回想

2023.03.25 エールディヴィジ(オランダ1部リーグ) 2008

▲ 元ペルー代表MFレイモン・マンコはオランダのPSVにいた2008年当時のピッチ外について裏話を語った

マンコがスターダムから凋落したのは、オランダへの移籍が遠因だったのか。32歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコは、自身の冠番組でもある「 Cojo y Manco 」に出演して、弱冠18歳で渡ったPSVアイントホーフェン(オランダ)や、その後貸し出されて在籍したヴィレムⅡで目の当たりにした、オランダのサッカー選手らの行動を明らかにした。

2007年のU-17南米選手権ならびにU-17ワールドカップで一躍有名になり、当時は同世代のコロンビア代表MFハメス・ロドリゲスよりも高い評価を得ていたマンコ。彼の元にはPSVのほかにも、レアル・マドリー(スペイン)からもオファーがあったが、マンコはレアル・マドリーよりPSVを選んだ。理由のひとつに、“先輩”ジェフェルソン・ファルファンの轍があったことはマンコも認めているが、その先輩(ジェフェルソン・ファルファン)のようなキャリアをマンコは歩めなかった。

PSVとヴィレムⅡのユニフォームに袖を通した当時を回想したマンコは、当時のオランダで目にした衝撃的な場面を言葉で表現。当時未成年だったマンコの目には、どのように映ったのか。

「私はオランダでプレイしたことがある。当時、試合で勝つと、帰りのバスでは(コーチやスタッフらも含めて)選手らほぼ全員がタバコを吹かして『しゃぶって』いたんだ。当時17歳に私は酒を飲まなかったけれど、当時の帰りのバスでは監督やコーチ、スタッフ、そして当時の選手がこぞって酒を飲んだり、タバコをしゃぶっているのを目撃したよ」

※ マンコが口にした chupando は、スペイン語で「しゃぶり」という意味。ちなみに chupar(チュパール) はスペイン語で「舐める」で、日本でもおなじみのお菓子「チュッパチャプス」のチュッパも chupar が語源だ。

マンコが憤るところに、ペルー国内での報道の仕方もある。マンコが口を開く。

「サッカー選手が酔っ払ったり、女ったらしだったり、家族への責任を問われたりなどということが、なぜまとめられてメディアに挙がるのか。それが私には心底わからない」

現在の奥さんとの間に2人の子どもを授かり、32歳の今も現役を続けているマンコ。彼の捉え方として、ペルー国内での偏向報道に嫌気が差していることを、現地メディアは重く受け止めたほうがいいかもしれない。

マンコは今年、アメリカのジャクソン・テネシー・ブーム、ペルーのアリアンサFCと2つの7人制サッカークラブに所属することになっている。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。