マンコの古巣に“ビンラディン”加入!? 19年前の米同時多発テロの翌年に生まれた18歳の正体は

2020.10.16 ペルー1部リーグ 2020

▲ かのテロリストと同名が付いている18歳のオサマ・ビンラデン・ヒメーネス・ロペス

2017〜2018年にレイモン・マンコも在籍していたウニオン・コメルシオに、不気味な名前の若き選手が加入した。その名は、「オサマ・ビンラデン・ヒメーネス・ロペス」。なんと、2001年にニューヨークなどで発生した米同時多発テロの首謀者であるウサマ・ビンラディン容疑者(故人)と同名なのだ。

オサマ・ビンラデン・ヒメーネス・ロペスは2002年生まれの18歳で、ユースのカテゴリーでは若くして頭角を現していた。登録名は「Osama(オサマ)」だが、テロ組織アルカイダの元首謀者と同名であることから、当人は幼少期に友だちをつくる際に苦労や悩みがあったことを吐露。しかし、かつては不快に捉えていたことであっても、事実を踏まえて強く生きることを選んだと本人は述べている。

なお、アルカイダの元首謀者は日本では「ウサマ・ビン・ラディン」と称され、アルファベットのスペルは「Osama Bin Laden」であるため、アルファベットの文字列は異なっている。しかし、「V」を唇噛まずに発音するスペイン語では、かのテロリストとも同じ名前に響くことから、兼ねてから物議を醸す名前であったことは記すまでもない。

果たして、ペルーの若き“ビンラディン”は、今後どのような活躍をみせてくれるのか。

ペルー国内で渦巻くブラジル戦の誤審 テレビ観戦していたマンコもチリ人主審を猛烈に批判

2020.10.14 ペルー代表

▲ 13日の「ペルー vs ブラジル」を裁いたチリ人主審のフリオ・バスクニャン氏(中央)

10月13日にペルーの首都リマで行われたワールドカップ南米予選の第2節「ペルー vs ブラジル」はブラジルが逆転勝利を収めたが、この試合での判定を巡ってペルー国内では当該の試合を裁いた主審への批判が渦巻いている。

当該の試合を裁いたのは、チリ人のフリオ・バスクニャン氏で、ペルー人を筆頭とするペルー代表を応援する人たちが異口同音に怒っているのが、79分の場面だ。右からの折り返しでゴールエリアへ駆け込んだネイマールが転倒すると、チリ人主審は迷わずカルロス・サンブラーノのファウルを取ってブラジルにPKを与えた。このときのネイマールの転倒がサンブラーノとの明確な交錯によるものでなかったとの見解から、ペルーのイレブンは主審に詰め寄って抗議したが判定は覆らなかった。

両者の命運を左右する場面での“誤審”に、ペルー国内のメディアは激怒。全国紙「El Comercio」は「ペルー代表はブラジル相手に良い試合をしたが、主審の誤ったジャッジが敗北につながった」との論調を掲載。また、全国紙の「La República」は「スキャンダル」と表現して、「ネイマールが倒れた場面で存在しないはずのPKを指示した」と辛辣な批判を展開した。

さらに同国のスポーツサイト「Diario Depor」は「暴行だ!」と強烈な表現でチリ人主審のミスジャッジを糾弾しており、前述の誤審だけでなく他にもブラジルに忖度した誤審が複数あったと言及した。

そんなブラジル戦を観戦して怒りを募らせているのが、レイモン・マンコ。当該の試合をテレビ観戦していたマンコは、自国のメディアと同様にチリ人主審への憤りを表現した。

「彼(チリ人主審)は我々から盗んだ! 79分の場面でネイマールが倒れたのは、本当にサンブラーノのせいなのか!? ふざけるな! 泥棒!」

このたびの誤審疑惑については、ペルーのマルティン・ビスカラ大統領も「ブラジルは審判に忖度する必要もないくらい強いだろう」と皮肉を表現していて、試合中のジャッジに憤りを示している。こうした経緯から、ペルーとブラジルの間に新たなわだかまりが生じる可能性も指摘されている。

かくして、マンコの憤りはどのような影響をもたらすのか。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(30歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アトレティコ・グラウに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ活躍の場を移している。元ペルー代表。

立ち上がりにハマったマンコの実質アシスト ピンポイントのフィードで先制点をお膳立て

2020.10.03 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ 4分にレイモン・マンコが先制ゴールをお膳立てするロングフィードを出したときの図解写真

10月2〜3日にペルーの首都リマで行われたリーガ1(ペルー1部リーグ)の前期第16節。「スポルティン・クリスタル vs アトレティコ・グラウ」で、元ペルー代表MFレイモン・マンコが先制ゴールをお膳立てする絶妙なアシストを披露した。

マンコが光り輝いたのは、キックオフ直後のこと。4分、センターサークル付近でボールを持ったレイモン・マンコが得意の右足で前線にフィードすると、最終ラインの裏に抜け出して顔面でトラップしたジェフェルソン・コラソスが右足のトゥーキックでシュート。キーパーが体に当てたものの、その背後へ流れたボールをコラソスが再び右足のトゥーキックで、今度は無人のゴールにシュートを決めてアトレティコ・グラウが先制した。

スポルティン・クリスタルはその後何度も決定機を演出したが、キーパーのファインセーブに遭って追いつけない。それでも41分、マルティン・タバラのロングシュートがポストの内側に当たってゴールラインを割り、スコアをタイに戻した。

後半はスポルティン・クリスタルが何度も絶好機を作り出したが、アトレティコ・グラウはキーパーのファインセーブを筆頭に堅い守備でゴールを守り抜いた。すると最少失点で切り抜けたアトレティコ・グラウは、後半のアディショナルタイムにアクセル・サンチェスのロングシュートが直接ゴールに吸い込まれて貴重な勝ち点3を手に入れた。

先制点であるジェフェルソン・コラソスのゴールは一旦キーパーによって止められかけたため、マンコにアシストは記録されなかったが、実質的にマンコのアシストがチームの勝利に一役買った内容。この勝利でアトレティコ・グラウは16位に浮上した。

リーガ1(ペルー1部リーグ) 2020 前期 第9節 (2020/10/04)
スポルティン・クリスタル 1-2 アトレティコ・グラウ
レナート・ソリス GK ベルナルド・メディーナ
レンソ・レボレード
(カルロス・カベージョ)
ジャンフランコ・チャベス
オマール・メルロ
ジュニオール・ウエルト
(ホアン・マドリー)
DF ジョナタン・アカシエーテ
マルセーロ・ガオーナ
ブラックソン・レオン
ピエロ・アントン
マルティン・タバラ
ホルヘ・カスーロ
(ヘスス・カスティージョ)
ホセ・インガ
(ジョン・マルチャン)
MF ネイル・マルコス
アクセル・サンチェス
デニルソン・ゴンサーレス
(カリ・コレーア)
レイモン・マンコ
クレイベル・パロミーノ
(ファン・ネイラ)
ワシントン・コローソ
エマヌエル・エレーラ
ケビン・サンドバル
(クリストファー・オリバレス)
FW ジェフェルソン・コラソス
マルティン・タバラ 41 ゴール 04 ジェフェルソン・コラソス
90+4 アクセル・サンチェス
マルティン・タバラ
レナート・ソリス
ホルヘ・カスーロ
イエロー
カード
ベルナルド・メディーナ
クレイベル・パロミーノ
ピエロ・アントン
ロベルト・モスケーラ 監督 ラファエル・カスティージョ
主審: レンソ・カスタニェーダ
会場: エスタディオ・ウニベルシダー・サン・マルコス (リマ)

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(30歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・ビナシオナルに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ活躍の場を移している。元ペルー代表。

マンコの積極的な攻めでPKを獲得 勝ち点を得たアトレティコ・グラウは最下位を抜け出す

2020.08.27 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ 52分にペナルティエリアで倒されてから立ち上がったレイモン・マンコ(中央)

8月25〜27日に首都リマで行われたリーガ1(ペルー1部リーグ)の前期第8節。「アトレティコ・グラウ vs アリアンサ・ウニベルシダー」は、引き分けに終わった。

試合は、アリアンサ・ウニベルシダーが45分に先制。左サイドで仕切り直して上がったクロスをヘルマン・パチェーコがヘディングで折り返すと、リオナール・パホイが頭でゴールに押し込んだ。

後半、アトレティコ・グラウは52分にペナルティエリア付近でパスを受けたレイモン・マンコが、フェイントで一人を抜いてドリブルを仕掛けると、ペナルティエリアに入ってさらにもう一人を抜こうとしたところで背後から押し倒されてPKを獲得。マンコの積極的な攻めの姿勢によって得たPKを、ジェフェルソン・コラーソスが決めて追いついた。

8月19日に行われた前節では得点に絡むシーンもなかったマンコだが、この日は積極的に仕掛けたドリブルでPKを誘発するなど、見せ場を作った。なお、この引き分けで勝ち点1を得たアトレティコ・グラウは最下位を脱出した。

リーガ1(ペルー1部リーグ) 2020 前期 第8節 (2020/08/27)
アトレティコ・グラウ 1-1 アリアンサ・ウニベルシダー
ベルナルド・メディーナ GK ディエゴ・モラーレス
ジョナタン・アカシエーテ
ジョナタン・アビラ
ジャイル・イグレシアス
ロベルト・セスペデス
DF エリーアス・ラモス
ホセ・カノーバ
ジャンマルコ・ガンベッタ
クリスティアン・カルバハル
アクセル・サンチェス
カルロス・カナーレス
ガリ・コレーア
(マエロ・レアテギ)
レイモン・マンコ
(ジャイルシーニョ・ゴンサーレス)
バンバレン・オオシロ・タケウチ
MF オスカル・ビルチェス
ファン・モラーレス
ヘルマン・パチェーコ
(フラービオ・ゴメス)
フリオ・ランダウリ
ルイス・セリ
(ジェフェルソン・コラーソス)
FW リオナール・パホイ
エンソ・マイダーナ
(エルナン・レンヒーフォ)
(PK) ジェフェルソン・コラーソス 54 ゴール 45 リオナール・パホイ
ジャイル・イグレシアス
ジョナタン・アビラ
カルロス・カナーレス
イエロー
カード
ホセ・カノーバ
オスカル・ビルチェス
ジャンマルコ・ガンベッタ
ラファエル・カスティージョ 監督 ロニー・レボラル
主審: 
会場: エスタディオ・ビヤ・デポルティーバ・ナシオナル (リマ)

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(30歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・ビナシオナルに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ活躍の場を移している。元ペルー代表。

アナ・マンコさんがカミングアウト COVID-19(新型コロナウイルス感染症)に家族全員感染

2020.08.18 ベネズエラの芸能界

▲ 家族全員がCOVID-19の陽性者であると明かしたアナ・マンコさん(左)

COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の感染者数・死者数ともに世界最多の米国で、新たな感染者が発覚した。米国で暮らすベネズエラ人女優のアナ・マンコさんとその家族だ。18日、アナ・マンコファミリーが揃って感染したことが明らかになった。

COVID-19の陽性反応こそ出たものの、アナ・マンコさんとその旦那や子どもたちはいずれも無症状だという。アナ・マンコさんは次のように説明している。

「私と我が家族は全員観戦していました。我々家族は病院に行って、COVID-19に感染している診断結果を得ました。ただ幸いなことに、私たちは健康で元気です」

アナ・マンコさんは先日、自身の Instagram にマスク姿の写真を投稿していたが、自身の感染を予期しての予防策だったのかもしれない。

◆ アナ・カリーナ・マンコ

本名:
アナ・カリーナ・マンコ・グスマン
生年月日:
1970年12月17日生まれ(49歳)
出身:
ベネズエラ(首都カラカス)
最終学歴:
サンタマリア大学、ベネズエラ中央大学
配偶者:
ビセンテ・イグナシオ・ペレス
子ども:
ディミトリ・ニコラス・ペレス・マンコ(息子)
アレクサ・カテリーナ・ペレス・マンコ(娘)
職業:
女優、モデル、声優、弁護士
twitter:
@akmanco
Instagram:
anakarinamanco
公式サイト:
anakarinamanco.com

4人兄弟の末っ子で、母は1960年代にラジオ番組のパーソナリティとして活躍したノルマ・テレーサ・マンコ・グスマンさん。13歳で舞台役者となったが、一旦芸能界から離れて17歳に復帰すると、複数の映画やドラマなどで主役や脇役を熱演した。1995年には当時の恋人ルイス・フェルナンド・キンテーロさんを旅客機墜落事故により失う不幸に遭遇したことで、1年間の休養を余儀なくされた。2002年5月25日に31歳でビセンテ・イグナシオ・ペレスさんと結婚して、二人の子どもに恵まれた。現在は米国のマイアミで家族と暮らしている。

キャリアの晩年は中国? その場合、マンコにはどんな漢字が割り当てられるのか

2020.08.14 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ アトレティコ・グラウのウィンドブレーカーを着てトレーニングを行うレイモン・マンコ

ユースカテゴリー時代にU-17ペルー代表として一躍脚光を浴びたレイモン・マンコが、ファンを驚かせる発言で物議を醸した。

マンコが物議を醸したのは、自身の Instagram でのサポーターとのやりとり。現在アトレティコ・グラウにいるマンコは、兼ねてからファンと公言しているアリアンサ・リマでプレイしたいのか、はたまた中国スーパーリーグに活躍の場を移したいのかを問われて、次のように述べた。

「中国かもね。だって人は愛で生きていけないじゃない」

マンコは愛よりもカネを選んだのか。ちなみに最近の南米選手では、元アルゼンチン代表MFハビエル・マスチェラーノや元ブラジル代表FWウッキ、元U-20アルゼンチン代表MFダリオ・コンカ氏など、名だたる名手が相次いでキャリアの晩年に中国に渡っている。そうした往年のベテランが過ごした晩年のように、マンコもまた中国スーパーリーグへの移籍に希望的観測を抱いているのかもしれない。

余談だが、マンコが中国に移籍した暁には、どのような漢字の当て字が振り分けられるのか。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(29歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・ビナシオナルに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ活躍の場を移している。元ペルー代表

5ヵ月ぶりの再開初日に発生した暴動に怒るマンコ 卑猥な暴言を投稿するもすぐに削除

2020.08.08 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ 5ヵ月ぶりの再開初日に発生した暴動の煽りを受けて不快感をあらわにしたレイモン・マンコ

COVID-19(新型コロナウイルス感染症)により3月上旬以降中断していたリーガ1(ペルー1部リーグ)が、8月7日に再開した。ところが、再開を飾るべき「アカデミア・カントラオ vs ウニベルシターリオ・デポルテス」の試合後に、ウニベルシターリオの一部サポーターがスタジアム近辺で発煙筒を炊くなど暴徒化。これがCOVID-19の感染予防策に反しているとして、8日と9日に行われる予定だった前期第7節の残り試合がすべて延期となるハプニングに見舞われた。

突然の決定に対して不満を隠せないのが、アトレティコ・グラウの一員となっているレイモン・マンコ。マンコは、顕著な不快感を以て再開直後の中断・延期に思うところをぶちまけている。

「自分自身をサッカーファンと称している怠け者、無能者、犯罪者の群れにとってサッカーとは一体何なのか。そして、なぜ彼らは破壊行動に及ぶのか。ストリップ、インp**** (下品な表現のため規制)

上記のようなコメントを一旦は instagram に投稿したマンコだったが、数時間後には当該の投稿を削除した。

マンコの主張はさておき、今回の混乱を受けてペルー国内ではリーガ1の実施を取りやめようとする政府の動きも出ている。IPD(ペルースポーツ研究所)の会長は「暴動が起こらない保証がない限り、公式戦の再開は許可できない」とご立腹で、ペルー国内で結果を出したい選手にとっては穏やかでない日々が続きそうだ。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(29歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・ビナシオナルに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ活躍の場を移している。元ペルー代表。

アナ・マンコさんも心配するベイルートの大爆発事故 「この光景は信じられない!」

2020.08.05 ベネズエラの芸能界

▲ レバノンの首都ベイルートで4日に発生した大規模な爆発事故

8月4日、レバノンの首都ベイルートで大規模な爆発事故が発生。この事故でこれまでに73人の死亡が確認されたほか、日本人1人を含む3,700人以上が負傷した。一時は他国や反体制による攻撃かとまでささやかれたが、現在は爆発物処理の不備による爆発事故との見方が大勢を占めている。

この大爆発に心を痛めているのが、米国在住のベネズエラ人女優アナ・マンコさん。公私問わず過去にベイルートを訪れたアナ・マンコさんは、自身の記憶を交えて今回の事故に憂いを示した。

「ベイルートはとても素晴らしい街なので、この光景は信じられない! 神様はこの局面にあるすべての人々に寄り添うはず」

ベネズエラでのガソリン高騰にも異議を唱えるなど、庶民に寄り添う姿勢を崩さないアナ・マンコさんは、今回もレバノンの首都ベイルートで被害に遭われたであろう人々に思いを馳せた。

◆ アナ・カリーナ・マンコ

本名:
アナ・カリーナ・マンコ・グスマン
生年月日:
1970年12月17日生まれ(49歳)
出身:
ベネズエラ(首都カラカス)
最終学歴:
サンタマリア大学、ベネズエラ中央大学
配偶者:
ビセンテ・イグナシオ・ペレス
子ども:
ディミトリ・ニコラス・ペレス・マンコ(息子)
アレクサ・カテリーナ・ペレス・マンコ(娘)
職業:
女優、モデル、声優、弁護士
twitter:
@akmanco
Instagram:
anakarinamanco
公式サイト:
anakarinamanco.com

4人兄弟の末っ子で、母は1960年代にラジオ番組のパーソナリティとして活躍したノルマ・テレーサ・マンコ・グスマンさん。13歳で舞台役者となったが、一旦芸能界から離れて17歳に復帰すると、複数の映画やドラマなどで主役や脇役を熱演した。1995年には当時の恋人ルイス・フェルナンド・キンテーロさんを旅客機墜落事故により失う不幸に遭遇したことで、1年間の休養を余儀なくされた。2002年5月25日に31歳でビセンテ・イグナシオ・ペレスさんと結婚して、二人の子どもに恵まれた。現在は米国のマイアミで家族と暮らしている。

吉報! COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の抗体検査でマンコが「陰性」と事後報告

2020.07.25 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ 自身の Instagram でCOVID-19の抗体検査で陽性であった事実を報告するレイモン・マンコ

ペルーから吉報が発せられた。マンコがウイルスに感染していないことと、抗体検査でも陰性であることが明らかになった。マンコ自身が Instagram で公表した。

8月10日の国内リーグ再開に向けて準備を進めているペルーでは、各クラブチームで感染症対策が講じられている。レイモン・マンコが所属するアトレティコ・グラウでは、24日にクラブ内で抗体検査が実施された。そこでマンコの検査結果が「陰性」であることが明確になった。

「みんな!私は陰性だ! 素敵な土曜日を過ごしてね」とのメッセージを添えて投稿したマンコは、黒いマスクで口を覆いながらも元気そうな様子でピースサインまで披露した。

マンコの加入を受けて、アトレティコ・グラウの“ラフォ”ことラファエル・カスティージョ監督は「マンコを熟知している。彼はチームに多大な貢献をすると確信している」と太鼓判を押していて、抗体検査で陰性と判明したことにより、“ラフォ”は国内リーグが再開すれば積極的にマンコを起用する意向をほのめかしている。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(29歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・ビナシオナルに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ活躍の場を移している。元ペルー代表

マンコに届いていたエクアドルからのオファー しかしマンコは母国のグラウを選ぶ

2020.07.22 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ アトレティコ・グラウの一員として練習に汗を流すレイモン・マンコ

レイモン・マンコは来たる国内リーグ再開に向けてアトレティコ・グラウで準備を進めているが、実はデポルティーボ・ビナシオナルの退団からアトレティコ・グラウへの移籍を決める間に、エクアドルのクラブチームからもオファーを受けていたことを明かした。

「私はエクアドルへは行かないほうがいいと判断した。心は揺れ動いたが、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)のパンデミックもあるからエクアドルへは行かないほうがいいと思ったんだ。アトレティコ・グラウとで条件面の差異はあまりなかった。エクアドルへ行くよりはペルーで今年をしっかり過ごすことが、来年以降の自分のキャリアにおいて重要だと感じたんだ」

マンコがアトレティコ・グラウを選択した他の理由として、監督の存在を挙げている。現在アトレティコ・グラウを率いているラファエル・カスティージョ監督とは、2018年に所属したウニオン・コメルシオでも師弟関係にあった。マンコはラフォ(ラファエル・カスティージョ監督のあだ名)の下でプレイすることが、自分にとって有益と判断したとみられる。

そんなマンコは、アトレティコ・グラウで結果を出すことでペルー代表復帰にもつながると話しており、新天地での躍進に意欲的だ。ちなみに、マンコにオファーを出したとされるエクアドルのクラブチームについては、チーム名を明らかにしていない。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(29歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・ビナシオナルに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ活躍の場を移している。元ペルー代表

念願のペルー代表復帰をあきらめていないマンコ Atl.グラウ移籍で夢の実現を目指す

2020.07.11 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ アトレティコ・グラウの練習場に笑顔で親指を立てるレイモン・マンコ

ペルーの前年王者であるデポルティーボ・ビナシオナルを離れた29歳のレイモン・マンコが移籍した先は、2020年の前期で最下位に沈むアトレティコ・グラウ。レアル・ガルシラッソ(現在のクスコFC)からスポルト・ボーイスに移籍してチームの1部残留に貢献した昨年のように、マンコはグラウでも光り輝くのか。その先にマンコが描いている未来予想図は、念願のペルー代表復帰だが…。

アトレティコ・グラウへの移籍が決まる前に、マンコには名門アリアンサ・リマへの復帰の噂もあった。このことについてマンコは自身の見解を述べている。

「アリアンサ・リマに戻ることは私の夢でもある。父がアリアンサ・リマのインチャ(サポーター)でね。私自身も幼い頃から父の影響でアリアンサ・リマのファンとして育った。引退すれば、アリアンサ・リマの試合を観に息子を連れて行きたいんだ。私自身も選手としてアリアンサ・リマで再びプレイしたい願望はある。だが、移籍先は必ずしも自分の思い通りに決まるものでないことも承知しているよ」

そんなマンコは、アトレティコ・グラウに移籍した自身の環境変化を悲観していない。マンコはどんな環境でもリカルド・ガレカ監督からお声がかかることを願って日々目の前の仕事に集中している。

「アトレティコ・グラウは、昨年のスポルト・ボーイスほど(2部降格に)深刻な状況ではないが、これ以上低迷するとさすがに危なくなる。勝ち点を重ねなければならない立場であり、そんなチームのために自分が最善を尽くして貢献すれば、ペルー代表への復帰も不可能ではないと信じている。そのためにはそれに見合うパフォーマンスを発揮することが条件だけどね」

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(29歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・ビナシオナルに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ活躍の場を移している。元ペルー代表

マンコが愛するアリアンサ・リマからオファーはあったのか? 当のマンコはその噂を否定

2020.07.10 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ 2020年6月にアトレティコ・グラウへの加入を決めたレイモン・マンコ

2020年6月にデポルティーボ・ビナシオナルとの契約を解除したレイモン・マンコは、その数日後にアトレティコ・グラウへの加入を発表した。実は、ビナシオナル退団直後に、マンコの古巣でもある名門アリアンサ・リマへの移籍が噂されていたことがわかった。しかし、マンコ自身はそれを否定している。

マンコは2020年、前年王者のデポルティーボ・ビナシオナルに加入して、国内リーグはもちろんリベルタドーレスでの活躍にも期待が寄せられていた。だが、先のCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)のパンデミックにより公式戦が中断し、それに伴う広告収入などが途絶えたことによってクラブの収入が落ち込んだのを理由にクラブ側がマンコの給与削減を持ちかけたところ、それに反発したマンコは契約解除を提案して両者の関係は壊れた。

マンコがビナシオナルの退団を表明した頃、アリアンサ・リマではウルグアイ人FWアドリアン・バルボアの退団を受けてその後釜を探しているところだった。アルゼンチン人FWルシアーノ・ポンス、チリ代表FWパトリシオ・ルビオ、アルゼンチン人FWベルナルド・クエスタらが補強の対象になっていた。結局、加入したのはパトリシオ・ルビオだった。

パトリシオ・ルビオはアリアンサ・リマへの加入に際して「このような名門の一員になれて嬉しい」と述べつつも、深掘りする質問への回答は避けた。

いずれは「大好きなアリアンサ・リマで引退したい」と公言しているマンコだが、その夢はまだまだ先になりそうだ。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(29歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・ビナシオナルに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ活躍の場を移している。元ペルー代表