帰ってきたピンク色のマンコが出場から3分以内に2点を決めるウルトラマンさながらの大活躍

2025.04.01 リーガ1(ペルー1部リーグ) 2025
▲ 後半の途中出場から3分以内に2ゴールを決めた元ペルー代表MFレイモン・マンコ

4月1日に行われたリーガ1(ペルー1部リーグ)の前期第8節「スポルト・ボーイス vs アリアンサ・リマ」は、元ペルー代表MFレイモン・マンコが2ゴールを決めて勝利の立役者になった。

試合は、マンコの古巣でもあるアリアンサ・リマが序盤に先制したが、スポルト・ボーイスは前半のうちに2点を奪って逆転に成功。そして試合が大きく動いたのは、70分にマンコが投入されてからだった。

トップリーグのピッチに帰ってきたマンコは、途中出場からわずか38秒後に得点。相手陣内でのインターセプトでニコラス・ダ・カンポが素早く右サイドへボールを送ると、フリーで受けたマンコがドリブルでカットイン。前線で待つルシアーノ・ネケカウルにパスを出す素振りをしたマンコは、フェイントでシュートコースを作るとペナルティアーク付近から右足でゴール隅にシュートを決めた。

2点差にされたアリアンサ・リマは前のめりになったが、自陣でボールを奪い取ったスポルト・ボーイスはカウンターに転じて相手陣内にロングパス。ルシアーノ・ネケカウルが頭で競って最終ラインの裏へボールを落とすと、そこへ走り込んだマンコが飛び出したキーパーの頭上を越えるループシュートを決めて、73分にこの日2点目のゴールを決めた。

途中出場から3分以内に大仕事をやってのけたマンコは、変身から3分以内に怪獣をやっつけるウルトラマンさながらの大活躍。終盤にはマンコの“穴兄弟”でもあるペルー代表FWパオロ・ゲレーロにPKを決められたが、マンコ擁するスポルト・ボーイスが勝利を収めた。

試合後、“穴兄弟”のパオロ・ゲレーロと言葉を交わさなかったマンコは、「ここに再び戻ってこられてうれしい。2ゴールを決められたのはチームメイトのおかげだ。感謝している」と振り返った。

※この記事はフィクションです。エイプリルフール用に編集されたネタであり、実際の登場人物や試合内容との関連は一切ございません。あくまで、エイプリルフールのネタとしてお楽しみください。
リーガ1(ペルー1部リーグ) 2025 前期 第8節 (2025/04/01)
スポルト・ボーイス 4-2 アリアンサ・リマ
スティーブン・リバデネイラ GK ギジェルモ・ビスカーラ 
オスリン・モーラ
ロドリーゴ・コロンボ
マティアス・アルミロン
クリスティアン・カルバハル
(アンセル・リオハス)
DF エリック・ノリエガ
カルロス・サンブラーノ
レンソ・ガルセス
(ギジェルモ・エンリケ 
ミゲル・トラウコ
ニコラス・ダ・カンポ
エリック・ゴンサーレス
ファン・カルロス・ゴンサーレス
(レイモン・マンコ)
アレハンドロ・オーベル
ルイス・ウルーティ
MF パブロ・ラバンデイラ
フェルナンド・ガイボル 
ヘスス・カスティージョ
ファン・デルガード
(ジャン・ピエール・アルチンボー)
ルシアーノ・ネケカウル
カルロス・ロペス)
FW エルナン・バルコス 
(アラン・カンテーロ 
ケビン・ケベード
(パオロ・ゲレーロ)
(PK)ルシアーノ・ネケカウル 20
ロドリーゴ・コロンボ 41
レイモン・マンコ 71
レイモン・マンコ 73
ゴール 12 エルナン・バルコス 
88 パオロ・ゲレーロ(PK)
マティアス・アルミロン
ニコラス・ダ・カンポ
アレハンドロ・オーベル
ルシアーノ・ネケカウル
レイモン・マンコ
イエロー
カード
エルナン・バルコス 
ギジェルモ・ビスカーラ 
フェルナンド・ガイボル 
ヘスス・カスティージョ
パオロ・ゲレーロ
クリスティアン・パウルッチ 監督 ネストル・ゴロシート 
主審: ケビン・オルテガ
会場: エスタディオ・ミゲル・グラウ (カヤオ)
※この記事はフィクションです。エイプリルフール用に編集されたネタであり、実際の登場人物や試合内容との関連は一切ございません。あくまで、エイプリルフールのネタとしてお楽しみください。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(34歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、2024年にはウニオン・コメルシオと契約したが、負傷により試合に出られず契約を終了。同年8月に同国2部のカルロス・ステインと契約したが同年中に退団。元ペルー代表。

マンコがハメスに反論 前回の大陸間プレイオフについてマンコが語った内容とは

2025.03.27 FIFAワールドカップ南米予選
▲ U-17南米選手権に出場していた当時、レイモン・マンコの実力はハメス・ロドリゲスよりも高く評価されていた

ハメスに対して、マンコが口を開いた。

ワールドカップ南米予選のため母国に帰国しているコロンビア代表MFハメス・ロドリゲスが、地元メディア「Win Deportes」に出演した際に、前回のワールドカップ予選について言及。2022年6月に行われた大陸間プレイオフに出場したオーストラリア代表とペルー代表について、持論を展開した。

「カタールで行われた『オーストラリア vs ペルー(PK戦の末にオーストラリアが勝利)』を観ていたとき、私は“この両チームはワールドカップに出場できるレベルにあるのか?“と感じたんだ。失礼ながら。ペルーは素晴らしいチームだったが、我々(コロンビア)のほうがずっと優れている。オーストラリアよりも優れている」

ハメスの発言は前回の予選で大陸間プレイオフに出場できなかった悔しさから出たものとみられるが、そんなハメスの発言に対して噛み付いたのがレイモン・マンコ。マンコはハメスの発言に真っ向から反論した。

「コロンビアは前回の予選で我々(ペルー)より多くの勝ち点を得たのか? 言うまでもなく、Noだ。ペルーは全力で戦ってコロンビアよりも勝ち点を多く得た。U-17ワールドカップでも、我らペルーはコロンビアよりも好成績を残した(コロンビアはベスト16、ペルーはベスト8)。不毛な争いはやめよう」

ハメス・ロドリゲスとレイモン・マンコは後者が1年近く年上だが、ともに2007年のU-17南米選手権ならびに同年のU-17ワールドカップに出場。ハメス・ロドリゲスの評価は当時から高かったが、それ以上に高く評価されていたのがマンコのほうだった。その当時の活躍が評価されてマンコはPSVアイントホーフェン(オランダ)に渡ることになるが、この欧州移籍がマンコの才能を伸ばせない遠因となり、現在は言わずもがなハメス・ロドリゲスのほうが長く活躍している。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(34歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、2024年にはウニオン・コメルシオと契約したが、負傷により試合に出られず契約を終了。同年8月に同国2部のカルロス・ステインと契約したが同年中に退団。元ペルー代表。

マンコは料理人に転身か!? 料理番組に出演したマンコの口から引退に関する意味深発言も

2025.03.13 ペルーサッカー界
▲ 母国ペルーで料理番組に出演して料理の腕を振るった元ペルー代表MFレイモン・マンコ

マンコは母国ペルーで新たな道を歩み始めている。34歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコは最近、ペルー国内で放送されているテレビ番組「El Gran Chef Famosos」の特番に参加して、自身の料理の腕前を披露した。その際マンコは、自身のキャリアが現役引退に傾いていることを明らかにした。

どこのクラブにも所属していないマンコには早くから現役引退の噂が流れ、Wikipediaなどではすでに「元サッカー選手」とさもマンコが現役引退をしたかのような記述も散見されている。しかし、現役引退を明言していないマンコは複数の道を模索しながら、このたび母国の料理番組に出演した。

現地時間で3月11日にペルー国内で放送された「El Gran Chef Famosos」には、マンコがエプロン姿で出演。この番組に出演した理由について、マンコは「俺の子どもたちから『パパ、決勝まで行けよ』と応援された」ことを理由に挙げている。

ただし、元々がサッカー選手のマンコは決して料理のスペシャリストではない。それでも、マンコは料理に相応の技術とスピードを自負していることから、この番組に出演するに至った。当番組における最大のライバルが、トゥーラ・ロドリゲス氏であることにも言及した。

その際、料理番組に出演しているマンコに対しては、現場に居合わせた記者から引退に関する質問も飛んだ。それに対してマンコは(現役引退を正式に表明してはいないが)引退をほのめかす発言を残している。

「率直には、現役復帰よりも引退に近い。(まだ正式には引退していないが)冷静になったら『もうこれ以上やりたくない』とまでは考えていないから、引退を発表していないんだ。現時点ではピッチから離れているがね。自分のやりたいことを考えて取り組み、今はうまくいっている」

34歳という年齢を考慮すれば、マンコがこの段階で引退するのもやむなしか。しかしながらマンコは、今もなお明確な引退を宣言してはおらず、いつかどこかで復帰する可能性を残している。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(34歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、2024年にはウニオン・コメルシオと契約したが、負傷により試合に出られず契約を終了。同年8月に同国2部のカルロス・ステインと契約したが同年中に退団。元ペルー代表。

マンコが批判した対象はクエバの元交際相手 中絶を迫った背景を暴露するなと激怒

2025.03.10 ペルーサッカー界
▲ マンコから批判されたパメラ・ロペス(左)

マンコが特定の人物に向けて苦言を呈した。その対象は、元ペルー代表MFクリスティアン・クエバの元交際相手とされるパメラ・ロペス。

パメラ・ロペスはさかのぼること2014年にクエバの子を身ごもったが、クエバからの要請で中絶手術をしたと告白。当時クエバはラージョ・バジェカーノ(スペイン)への移籍で渡航直前だったが、クエバの家族がパメラとの交際を認めていなかったためだという。

テレビ番組「El Valor de la Verdad」でその事実を明かしたパメラは、自身の妊娠がクエバのキャリアに暗い影を落とすかもしれないと捉えていたと話し、中絶費用はクエバの親戚から捻出してもらったことを涙ながらに語った。

さらにその5年後、2019年には再びパメラがクエバの子を妊娠していることが判明し、5年前と同じ状況に陥る。すると当時サントス(ブラジル)でプレイしていたクエバは、再び中絶を迫ったという。しかし、彼女はクエバからの要請を拒否して出産した。彼女はクエバについて「彼の言葉は思い出したくない」と嫌悪感をあらわにしている。

上記の告発に対し、反論しているのが元ペルー代表MFレイモン・マンコだ。

マンコは YouTube チャンネル「En Caliente」にて、パメラがクエバとのセンシティブな内容を赤裸々に告白していることに不快感を隠さない。

▲ 元ペルー代表MFレイモン・マンコ(右)はYouTubeにてクリスティアン・クエバの元交際相手を真っ向から批判

「これはとても複雑な問題だ。よく聞いてくれ。尊厳や価値観、原則に金銭的な価値はつかない。そうだろう? 人には様々な隠し事や悩みがあるものだが、それをリリースしていい理由はない。それは低俗なやり方だ」

また、マンコはこうしたプライベートの問題がテレビで放送され続けていることも批判。「視聴者はおもしろがっているのかもしれないが、この手のスキャンダルで苦しむのはクエバや彼ならびに彼女の子どもたちだ」と断言して、メディアの姿勢についても疑問を呈している。

これまでのところ、クエバは沈黙を貫いていて、今回の内容に対する声明は出していない。そして自らが番組に出て語る予定もない。

パメラの発言は、ペルー国内で論争を巻き起こしている。彼女が声を上げることは重要だと支持する声がある一方、マンコのようにこの手の問題をテレビで取り上げる必要はないとする意見もある。今はクエバが沈黙を貫き続けるか否かが話題の焦点になっている。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(34歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、2024年にはウニオン・コメルシオと契約したが、負傷により試合に出られず契約を終了。同年8月に同国2部のカルロス・ステインと契約したが同年中に退団。元ペルー代表。

マンコが事実上の現役引退宣言か? だが現役続行に含みを持たす曖昧な発言も

2025.02.19 リーガ1(ペルー1部リーグ) 2025
▲ 34歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコは今季1部に昇格したクラブからのオファーを断っていたことを明らかに

マンコの揺れ動く思いは、着地点を見いだせていない。34歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコは2月、リーガ1(ペルー1部リーグ)のクラブへの加入に迫っていたことを告白した。

マンコにオファーを出したのは、FPF(ペルーサッカー連盟)のアグスティン・ロサーノ会長が所有するクラブ「ファン・パブロ Ⅱ コレージェ」。今年1部に昇格したばかりのクラブで、残留に向けてマンコの力が必要との評価からのオファーだった。

しかし、マンコは現在優先したいことは“他のプロジェクト”と名言したうえで、ファン・パブロ Ⅱ コレージェからのオファーを蹴ったことも明かした。

(今はどこにも)所属していない。私はやりたくないからプレイしていないんだ。最近、ファン・パブロ Ⅱ コレージェのフロントから私に電話があって、面談することも可能だった。でも、プロとしてプレイしたいとは思っていないんだよ。自分にはプロジェクトややりたいことがあるんだ」

「私は(今、YouTubeなどで)番組にも出演していて、サッカーへの愛は薄れていないが、考え方は異なる。サッカー界に迷惑をかけたくないんだよ。もちろん過去にプレイしたときは本当に楽しかった。でも今は、また(練習のために)早起きしなければならないタスクと責任を負いたくない」

プロとしてプレイしたいと思っていない。選手として早起きするのを避けたい。こうした主張を受けて、ペルー国内では「マンコが現役引退を宣言したのでは」と物議を醸した。ところが、マンコは曖昧な表現も残している。

「コパ・ペルーに出場する(1部や2部でもない)クラブに移籍することが自分の引退ではない。自分のやり方でプレイして楽しめるからね。(首都)リマにあるリーガ2(2部)のクラブに入るかもしれない。だが、地方に移籍するつもりはない」

マンコは引退したのか、していないのか。曖昧な態度に業を煮やしているのは、当サイトの読者だけではないはずだ。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(34歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、2024年にはウニオン・コメルシオと契約したが、負傷により試合に出られず契約を終了。同年8月に同国2部のカルロス・ステインと契約したが同年中に退団。元ペルー代表。

マンコがペルー代表の監督人事に苦言 「彼はそこにいるべきではない」

2025.02.18 リーガ1(ペルー1部リーグ) 2025
▲ 元ペルー代表MFレイモン・マンコはペルー代表のオスカル・イバーニェス新監督就任について持論を展開した

マンコがペルー代表の監督人事に物申した。34歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコは、同国代表の新たな指揮官になったオスカル・イバーニェス新監督について厳しい見解を示した。

オスカル・イバーニェス氏は、57歳のアルゼンチン人。1986年にアルセナルでデビューすると、1993年からは引退する2008年までペルー国内のクラブを渡り歩き、ペルー国籍を取得した1998年からはペルー代表のゴールキーパーとしても活躍した。引退後、2014年からはシエンシアーノ・デ・クスコ、レアル・ガルシラッソなどペルー国内のクラブで監督を歴任しており、彼の人生は今やアルゼンチンよりペルーのほうが長い。

オスカル・イバーニェス氏は、リカルド・ガレカ氏がペルー代表監督を務めていた際にアシスタントコーチを務めていたこともあり、ペルーサッカー界やペルー代表にも一定以上の理解がある。それゆえFPF(ペルーサッカー連盟)から白羽の矢が立てられたようだが、そんな同氏に牙をむいたのがマンコ。

「客観的には、オスカル・イバーニェスはペルー代表にいるべきではない。私が彼を好きとか嫌いとかではなく、彼には監督としての長所がないからだ」

その一方でマンコは、ペルー代表の新たな船出を応援する意向も示した。いわば、期待の裏返しなのか。

「イバーニェスはペルー代表で長年プレイしたほか、国内リーグやスダメリカーナでも優勝経験がある。だが、選手としての能力と監督としての能力は別物だ。選手としては優秀だったが、監督としての功績はない。FPFが南米予選において何を望んでいるのかはわからないが、別の監督を招聘した際にイバーニェスがキーパーコーチを継続してくれることを願うだけだね」

持論を述べたマンコは、ペルー代表の招集についても自らの考えを述べた。

「イバーニェス新監督が結果にこだわって指揮するのならかまわない。ただ私は、ベテランが新人のために代表の席を譲ることが大事だと考えている。なぜなら、代表に定着した選手のなかには燃え尽きてしまう者もありうるからだ。重要なのは、そのときコンディションの良い選手を最優先で招集すること。そうすれば有能でありながら燃え尽きた選手の闘志も再燃し、代表の底上げにもつながるから」

オスカル・イバーニェス氏の代表監督契約期間は、ひとまず今回の南米予選終了まで。マンコの主張が、代表新監督の耳に届いているかは定かでない。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(34歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、2024年にはウニオン・コメルシオと契約したが、負傷により試合に出られず契約を終了。同年8月に同国2部のカルロス・ステインと契約したが同年中に退団。元ペルー代表。

マンコが若き後輩たちの体たらくに苦言 国内のリザーブリーグのあり方にも言及

2025.02.05 リーガ1(ペルー1部リーグ) 2025
▲ 元ペルー代表MFレイモン・マンコは今年のU-20南米選手権で4連敗を喫した“若き後輩たち”に苦言を呈した

ペルー代表の未来を担う次世代選手に向けて、マンコが口を開いた。

U-20ペルー代表は、今年の1〜2月にベネズエラで開催されているU-20南米選手権に参加したが、グループステージで4連敗を喫し最下位で早々に敗退となってしまった。他の4チーム(ウルグアイ、パラグアイ、チリ、ベネズエラ)が勝ち点6以上でひしめき合ったのを尻目に、ペルーだけが勝ち点0と蚊帳の外だった。

そんな“ふがいない後輩たち”の姿勢に物申さずにいられなかったのが、34歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコ。マンコの目には、今年のU-20代表選手の試合に臨む態度が我慢ならない様子。勝利への意欲と熱意の欠如がチームのパフォーマンスを低下させたとしつつ、マンコの批判の矛先はU-20代表を率いたコーチ陣にも向けられた。

「南米の大会である世代が低迷すると特定の選手を責める傾向にあるが、批判される対象はコーチだ」

「代表のユニフォームに袖を通す選手個々にも責任はある。国を代表しているという責任感やハングリー精神が足りてない」

マンコが苦言を呈する背景には、近年の若手選手が若くして高い給料をもらいながらプロ生活を過ごしていることもあるという。

「選手たちは非常に早くから大金を稼いでいるが、その反面この世代の選手が南米の大会に出場するにつけ彼らのハングリー精神を彼らから感じ取ることができずにいる」

「私がユースの代表を観ていて戦う意志を感じた最後の世代はジャン・デサ、エルナン・イノストローサ、ヨルディ・レイナ(いずれも現在31歳)の世代。彼らはワールドカップ出場を感じさせるものを持っていたが、彼らも加齢とともに熱意やハングリー精神が薄れていった」

また、マンコはペルー国内のリザーブリーグでの競争力低下も、ユース代表世代の成長を阻害していると持論を展開。

「昨年のリザーブリーグはどのくらいの期間だったか。4〜5ヵ月くらいか? その程度しか戦わない子どもたちが、将来年間60試合以上を戦うトップリーグでどうやって適応できるというのか。トレーニングでは競争はできない。真剣勝負の場を増やさなければ」

マンコは、ペルー国内におけるエージェント(代理人)のマネジメント力不足にも言及。彼らの腐敗が若き才能の未来を閉ざしていると批判した。ペルー代表の将来を明るいものにするためには、現状の徹底的な反省と見直し、アプローチの変更が必要だと結論づけた。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(34歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、2024年にはウニオン・コメルシオと契約したが、負傷により試合に出られず契約を終了。同年8月に同国2部のカルロス・ステインと契約した。元ペルー代表。

新天地でアウェイへの遠征を拒否したマンコ 契約解除で年内は無所属が決定的に

2024.10.22 コパ・ペルー 2024
▲ セロ・デ・パスコへの遠征を拒否したことでサポーターに乗車するタクシーを取り囲まれた(左)元ペルー代表MFレイモン・マンコ(右)

マンコがペルー国内でまた一悶着を起こし、物議を醸している。所属チームでアウェイへの遠征を拒否したうえに、クラブから契約解除を言い渡された。

34歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコは8月にリーガ2(ペルー2部リーグ)のカルロス・ステインに所属して公式戦にも出場したが、カルロス・ステインは残念ながら残留を果たせず3部降格。降格を以てマンコは退団となった。

そして9月23日、マンコはリマ県北部のサンタ・マリーアをホームタウンとするレアル・インデペンディエンテに加入。レアル・インデペンディエンテは「いたずら心と大胆なドリブルを長所とする選手が、ゴールのために我々の助けになってくれるだろう。フロント、チームメイト、そしてサポーター全体があなたを歓迎する」とマンコを讃え、コパ・ペルーでの活躍に期待を寄せるインチャ(サポーター)も少なくなかった。その一方で現地メディアでは、近年満足にプレイできずにいるマンコのコンディションに懐疑的な論調を出す媒体もあった。

ところが迎えた10月19日、20日のコパ・ペルー第2節(エコセン・パスコ戦)が行われるセロ・デ・パスコに向かうチームへの帯同に、マンコら数人の選手が拒否。この対応に怒りを募らせたインチャの一部は、マンコらが乗り込んだタクシーを取り囲んで罵声を浴びせるなどに至った。スマートフォンで撮影された動画には、マンコらに向けて「悪党」「うぬぼれ」「詐欺師」といった辛辣な表現もあった。

マンコは第1節でもDNI(国民身分証明書)を所持していなかったことを理由に試合に出場できなかったことがあり、この一件もインチャから「詐欺師」と罵られた一因で、遠征拒否がインチャの怒りの油に火を注いだ格好となった。なかには車内からマンコを引きずり出そうとする者もいたが、幸いマンコにケガはなかった。

一連の動向を受けて21日、レアル・インデペンディエンテはマンコとの契約解除を発表。その理由を、クラブは次のように説明している。

「レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシンは正式にクラブから離れることになった。この決定は双方の合意を元に最良の条件下でなされ、双方の幸福を優先した。我々はこれまでの不祥事などを遺憾に思うとともに、クラブの今季の目標を再確認した。我々は目標を達成するために前進をし続ける必要がある」

クラブの声明は円満な契約解除を強調しているものの、文脈からはマンコへの不満も垣間見える。

かくして、コパ・ペルーに一度も出場することなくフリーの身になったマンコ。流浪のマンコは来年どこへ行く?

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(34歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、2024年にはウニオン・コメルシオと契約したが、負傷により試合に出られず契約を終了。同年8月に同国2部のカルロス・ステインと契約した。元ペルー代表。

エロ・マンクーソが元清水エスパルスの“ピカチュウ”とチームメイトに ライバルはチンガ

2024.08.19 ブラジレイロン・セリエA 2024
▲ 2024年8月に新天地をブラジルに決めたエロ・マンクーソ

ブラジル北東部の名門フォルタレーザは10日、アルゼンチン人DFエロ・マンクーソの加入を発表した。契約期間は2028年8月10日までの4年間。

フォルタレーザはマンクーソの権利70%をエストゥディアンテスから買い取っていて、その額は160万ドル(日本円で約2億3千万円)。2026年1月までにかけて分割払いされるという。

マンクーソは早ければ17日のレッドブル・ブラガンチーノ戦にも出場する可能性が報じられたが、当日はブラガンサまで帯同しなかったため、フォルタレーザでの初出場は持ち越しとなった。

ちなみに、マンクーソのポジションである右サイドバックにはチンガがおり、マンクーソはチンガとのポジション争いを繰り広げることになる。

◆ エロス・マンクーソ

本名:
エロス・ナサレーノ・マンクーソ
生年月日:
1999年4月17日生まれ(25歳)
出身:
アルゼンチン(ブエノスアイレス州アエド)
身長:
167cm
ポジション:
サイドバック

8歳でボカ・ジュニオルスの下部組織に入団すると、以降各年代のカテゴリーで中心選手として活躍。かつてはミッドフィルダーだったが、近年は右サイドバックとして起用されることが増えた。2021年にトップチームデビューを果たすと、12月11日のリーグ最終戦で待望の初ゴールをマークした。2024年8月10日、ブラジルのフォルタレーザへ完全移籍。

マンコが再び2部のクラブへ 3部降格の危機に瀕するカルロス・ステインの救世主となるか?

2024.08.10 リーガ2(ペルー2部リーグ) 2024
▲ カルロス・ステインへの加入を発表した元ペルー代表MFレイモン・マンコ(左)

マンコが再び2部リーグでプレイする。ペルー北部のチクラーヨを本拠地とするカルロス・ステインは7日、33歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコの加入を発表した。

マンコは今年、リーガ1(ペルー1部)のウニオン・コメルシオと契約したが、マンコの身体的問題により一度も出場しないまま契約解除になっていた。そんなフリーのマンコを戦力として求めたのがカルロス・ステイン。カルロス・ステインはリーガ2(ペルー2部)で現在、残留争いのリーグに挑むところで、マンコには“残留請負人”としての役割が求められる。

カルロス・ステインはマンコに、所属選手の模範になってもらうことを求めている。マンコ自身は「誰の模範にもなりたくない」と宣言しているが、マンコのキャリアと経験はきっと若手の模範になると同クラブの会長は述べている。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、2024年にはウニオン・コメルシオと契約したが、負傷により試合に出られず契約を終了。同年8月に同国2部のカルロス・ステインと契約した。元ペルー代表。

マンコが“穴兄弟”のパオロ・ゲレーロに謝罪 報道については「切り取り記事」と釈明

2024.05.11 リーガ1(ペルー1部リーグ) 2024
▲ 騒動を受けてペルー代表FWパオロ・ゲレーロに向けて謝罪のコメントを出した元ペルー代表MFレイモン・マンコ

マンコの発言が物議を醸した2日後、マンコは Instagram 上で問題視された発言についてペルー代表FWパオロ・ゲレーロに謝罪した。

事の発端は、マンコが自身のYouTubeチャンネル「Cojo y Manco(コホ・イ・マンコ)」に出演した際、実名を伏せながらもとあるサッカー選手を批判したかのような発言を残したこと。このことをペルー国内で複数の媒体が記事にすると、SNS上では「パオロ・ゲレーロを批判している内容」などの投稿が飛び交った。

こうした事情を受けて、マンコは経緯を説明しながらゲレーロへの謝罪を口にした。

「文脈を無視した悪意の合う見出しになったいくつかの記事を確認した。記事にした媒体は、間違いなく私の発言を“切り取って”記事にした。ゆえに何らかの誤解が生じたのだとするならば謝罪する。特定の選手に向けての批判ではないし、上がっている記事を確認すると、前後の文脈が切り取られているように感じた」

「私は番組内で、『自分たちが言及したことに細心の注意を払う必要がある』と言っただけだ。なぜなら我々にはそれぞれに家族がいるし、自分の言ったことがSNS上で(家族まで)攻撃の対象になることも多いからだ。特段、ゲレーロのことを指して述べたわけではない」

釈明と謝罪を口にしたマンコは、ゲレーロを尊敬していることを強調。

「私にとってパオロ・ゲレーロはアイドルであり、いつもそう言ってきた。私が彼について述べるときは、彼が最高の結果(ゴールなど)を残したときだから」

マンコは自身がペルー代表に招集されていた2013年までの間に、ゲレーロと代表でチームメイトだった期間がある。当時からマンコは、代表でのゲレーロの活躍をずっと見守っている。

「パオロがゴールを決め続けてくれますように、ペルー代表を応援するすべての人を喜ばせ続けてくれますように、そして我々を次のワールドカップに連れて行ってくれますように。ペルー代表を誘(いざな)うだけの存在だからです」

ゲレーロがマンコの謝罪を受け入れるのならば、騒動は収束へと向かうだろう。

◇ ◇ マンコとゲレーロは“穴兄弟” ◇ ◇

かつてマンコと夫婦だったペルー人モデルのフィオレーラ・アルサモーラさんが、離婚後の2016年に婚姻関係中に不倫していた過去を暴露。その相手がゲレーロだったとのことで、フィオレーラさんを抱いたマンコとゲレーロは“穴兄弟”とみられている。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

マンコがキレた相手は“穴兄弟” 実名を伏せて批判するもパオロ・ゲレーロだとSNSで物議

2024.05.10 リーガ1(ペルー1部リーグ) 2024
▲ とある選手を批判したレイモン・マンコ(左)。批判の対象はパオロ・ゲレーロ(右)だとSNSで騒ぎになった

マンコがキレた相手は“穴兄弟”だった。

元ペルー代表MFレイモン・マンコは、自身のYouTubeチャンネル「Cojo y Manco(コホ・イ・マンコ)」に出演して、実名を伏せつつとあるストライカーを暗に批判した。

「サッカー選手自身を含め、ペルーのサッカーを軽視する人がたくさんいる。実名は伏せるし、論争に巻き込まれたくないから、ムズムズしたままにしておくつもりだ」

「あの“9番”がペルーサッカー界にやってきたが、彼は変化をもたらしているだろうか? 壊しているの? 彼の能力やキャリアを疑う人はいない。しかし何が起こっているのか。ペルーのサッカーは良くない(と今も思ってる)? 彼は昨年まで母国(ペルー)でプレイしてこなかったし、ここでプロデビューもしていない。ペルーでプロサッカー選手としてプレイすることの意味をわかっていない」

マンコのこの発言はSNSなどで物議を醸した。批判の対象が、40歳のペルー代表FWパオロ・ゲレーロだと容易に推測できたからだった。

現在、セサル・バジェーホでプレイしているゲレーロは、ここまでに3ゴールを挙げているものの、パフォーマンスは往年の輝きを失いつつある。マンコの目にも、ゲレーロがリーガ1(ペルー1部リーグ)で目立っていないと映っているよう。そんなマンコが思い出したのは、昨年に行われた韓国との親善試合の試合前での発言。報道陣の質問に答えたゲレーロが口にした言葉は、ペルーの国内リーグを軽視する内容だった。

「私は競争力の高いところでサッカーをしている。だから39歳(当時)の今もプロサッカーを続けていられる。ペルーでは競争力のないサッカーをしているペルー人選手が多い」

上記の発言を思い出したマンコは、ゲレーロの今年のパフォーマンスを見て「どの口が言ってるのか」と思ったようで、暗にゲレーロを批判したとみられる。ちなみに、ドイツでデビューしたゲレーロは、キャリアの大半をドイツとブラジルで送ってきた。母国のトップリーグでプレイするのは今年が初めて。

◇ ◇ マンコとゲレーロは“穴兄弟” ◇ ◇

かつてマンコと夫婦だったペルー人モデルのフィオレーラ・アルサモーラさんが、離婚後の2016年に婚姻関係中に不倫していた過去を暴露。その相手がゲレーロだったとのことで、フィオレーラさんを抱いたマンコとゲレーロは“穴兄弟”とみられている。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとった。そして2024年4月に古巣ウニオン・コメルシオに加入。元ペルー代表。