新天地でアウェイへの遠征を拒否したマンコ 契約解除で年内は無所属が決定的に

2024.10.22 コパ・ペルー 2024
▲ セロ・デ・パスコへの遠征を拒否したことでサポーターに乗車するタクシーを取り囲まれた(左)元ペルー代表MFレイモン・マンコ(右)

マンコがペルー国内でまた一悶着を起こし、物議を醸している。所属チームでアウェイへの遠征を拒否したうえに、クラブから契約解除を言い渡された。

34歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコは8月にリーガ2(ペルー2部リーグ)のカルロス・ステインに所属して公式戦にも出場したが、カルロス・ステインは残念ながら残留を果たせず3部降格。降格を以てマンコは退団となった。

そして9月23日、マンコはリマ県北部のサンタ・マリーアをホームタウンとするレアル・インデペンディエンテに加入。レアル・インデペンディエンテは「いたずら心と大胆なドリブルを長所とする選手が、ゴールのために我々の助けになってくれるだろう。フロント、チームメイト、そしてサポーター全体があなたを歓迎する」とマンコを讃え、コパ・ペルーでの活躍に期待を寄せるインチャ(サポーター)も少なくなかった。その一方で現地メディアでは、近年満足にプレイできずにいるマンコのコンディションに懐疑的な論調を出す媒体もあった。

ところが迎えた10月19日、20日のコパ・ペルー第2節(エコセン・パスコ戦)が行われるセロ・デ・パスコに向かうチームへの帯同に、マンコら数人の選手が拒否。この対応に怒りを募らせたインチャの一部は、マンコらが乗り込んだタクシーを取り囲んで罵声を浴びせるなどに至った。スマートフォンで撮影された動画には、マンコらに向けて「悪党」「うぬぼれ」「詐欺師」といった辛辣な表現もあった。

マンコは第1節でもDNI(国民身分証明書)を所持していなかったことを理由に試合に出場できなかったことがあり、この一件もインチャから「詐欺師」と罵られた一因で、遠征拒否がインチャの怒りの油に火を注いだ格好となった。なかには車内からマンコを引きずり出そうとする者もいたが、幸いマンコにケガはなかった。

一連の動向を受けて21日、レアル・インデペンディエンテはマンコとの契約解除を発表。その理由を、クラブは次のように説明している。

「レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシンは正式にクラブから離れることになった。この決定は双方の合意を元に最良の条件下でなされ、双方の幸福を優先した。我々はこれまでの不祥事などを遺憾に思うとともに、クラブの今季の目標を再確認した。我々は目標を達成するために前進をし続ける必要がある」

クラブの声明は円満な契約解除を強調しているものの、文脈からはマンコへの不満も垣間見える。

かくして、コパ・ペルーに一度も出場することなくフリーの身になったマンコ。流浪のマンコは来年どこへ行く?

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(34歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、2024年にはウニオン・コメルシオと契約したが、負傷により試合に出られず契約を終了。同年8月に同国2部のカルロス・ステインと契約した。元ペルー代表。

エロ・マンクーソが元清水エスパルスの“ピカチュウ”とチームメイトに ライバルはチンガ

2024.08.19 ブラジレイロン・セリエA 2024
▲ 2024年8月に新天地をブラジルに決めたエロ・マンクーソ

ブラジル北東部の名門フォルタレーザは10日、アルゼンチン人DFエロ・マンクーソの加入を発表した。契約期間は2028年8月10日までの4年間。

フォルタレーザはマンクーソの権利70%をエストゥディアンテスから買い取っていて、その額は160万ドル(日本円で約2億3千万円)。2026年1月までにかけて分割払いされるという。

マンクーソは早ければ17日のレッドブル・ブラガンチーノ戦にも出場する可能性が報じられたが、当日はブラガンサまで帯同しなかったため、フォルタレーザでの初出場は持ち越しとなった。

ちなみに、マンクーソのポジションである右サイドバックにはチンガがおり、マンクーソはチンガとのポジション争いを繰り広げることになる。

◆ エロス・マンクーソ

本名:
エロス・ナサレーノ・マンクーソ
生年月日:
1999年4月17日生まれ(25歳)
出身:
アルゼンチン(ブエノスアイレス州アエド)
身長:
167cm
ポジション:
サイドバック

8歳でボカ・ジュニオルスの下部組織に入団すると、以降各年代のカテゴリーで中心選手として活躍。かつてはミッドフィルダーだったが、近年は右サイドバックとして起用されることが増えた。2021年にトップチームデビューを果たすと、12月11日のリーグ最終戦で待望の初ゴールをマークした。2024年8月10日、ブラジルのフォルタレーザへ完全移籍。

マンコが再び2部のクラブへ 3部降格の危機に瀕するカルロス・ステインの救世主となるか?

2024.08.10 リーガ2(ペルー2部リーグ) 2024
▲ カルロス・ステインへの加入を発表した元ペルー代表MFレイモン・マンコ(左)

マンコが再び2部リーグでプレイする。ペルー北部のチクラーヨを本拠地とするカルロス・ステインは7日、33歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコの加入を発表した。

マンコは今年、リーガ1(ペルー1部)のウニオン・コメルシオと契約したが、マンコの身体的問題により一度も出場しないまま契約解除になっていた。そんなフリーのマンコを戦力として求めたのがカルロス・ステイン。カルロス・ステインはリーガ2(ペルー2部)で現在、残留争いのリーグに挑むところで、マンコには“残留請負人”としての役割が求められる。

カルロス・ステインはマンコに、所属選手の模範になってもらうことを求めている。マンコ自身は「誰の模範にもなりたくない」と宣言しているが、マンコのキャリアと経験はきっと若手の模範になると同クラブの会長は述べている。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、2024年にはウニオン・コメルシオと契約したが、負傷により試合に出られず契約を終了。同年8月に同国2部のカルロス・ステインと契約した。元ペルー代表。

マンコが“穴兄弟”のパオロ・ゲレーロに謝罪 報道については「切り取り記事」と釈明

2024.05.11 リーガ1(ペルー1部リーグ) 2024
▲ 騒動を受けてペルー代表FWパオロ・ゲレーロに向けて謝罪のコメントを出した元ペルー代表MFレイモン・マンコ

マンコの発言が物議を醸した2日後、マンコは Instagram 上で問題視された発言についてペルー代表FWパオロ・ゲレーロに謝罪した。

事の発端は、マンコが自身のYouTubeチャンネル「Cojo y Manco(コホ・イ・マンコ)」に出演した際、実名を伏せながらもとあるサッカー選手を批判したかのような発言を残したこと。このことをペルー国内で複数の媒体が記事にすると、SNS上では「パオロ・ゲレーロを批判している内容」などの投稿が飛び交った。

こうした事情を受けて、マンコは経緯を説明しながらゲレーロへの謝罪を口にした。

「文脈を無視した悪意の合う見出しになったいくつかの記事を確認した。記事にした媒体は、間違いなく私の発言を“切り取って”記事にした。ゆえに何らかの誤解が生じたのだとするならば謝罪する。特定の選手に向けての批判ではないし、上がっている記事を確認すると、前後の文脈が切り取られているように感じた」

「私は番組内で、『自分たちが言及したことに細心の注意を払う必要がある』と言っただけだ。なぜなら我々にはそれぞれに家族がいるし、自分の言ったことがSNS上で(家族まで)攻撃の対象になることも多いからだ。特段、ゲレーロのことを指して述べたわけではない」

釈明と謝罪を口にしたマンコは、ゲレーロを尊敬していることを強調。

「私にとってパオロ・ゲレーロはアイドルであり、いつもそう言ってきた。私が彼について述べるときは、彼が最高の結果(ゴールなど)を残したときだから」

マンコは自身がペルー代表に招集されていた2013年までの間に、ゲレーロと代表でチームメイトだった期間がある。当時からマンコは、代表でのゲレーロの活躍をずっと見守っている。

「パオロがゴールを決め続けてくれますように、ペルー代表を応援するすべての人を喜ばせ続けてくれますように、そして我々を次のワールドカップに連れて行ってくれますように。ペルー代表を誘(いざな)うだけの存在だからです」

ゲレーロがマンコの謝罪を受け入れるのならば、騒動は収束へと向かうだろう。

◇ ◇ マンコとゲレーロは“穴兄弟” ◇ ◇

かつてマンコと夫婦だったペルー人モデルのフィオレーラ・アルサモーラさんが、離婚後の2016年に婚姻関係中に不倫していた過去を暴露。その相手がゲレーロだったとのことで、フィオレーラさんを抱いたマンコとゲレーロは“穴兄弟”とみられている。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

マンコがキレた相手は“穴兄弟” 実名を伏せて批判するもパオロ・ゲレーロだとSNSで物議

2024.05.10 リーガ1(ペルー1部リーグ) 2024
▲ とある選手を批判したレイモン・マンコ(左)。批判の対象はパオロ・ゲレーロ(右)だとSNSで騒ぎになった

マンコがキレた相手は“穴兄弟”だった。

元ペルー代表MFレイモン・マンコは、自身のYouTubeチャンネル「Cojo y Manco(コホ・イ・マンコ)」に出演して、実名を伏せつつとあるストライカーを暗に批判した。

「サッカー選手自身を含め、ペルーのサッカーを軽視する人がたくさんいる。実名は伏せるし、論争に巻き込まれたくないから、ムズムズしたままにしておくつもりだ」

「あの“9番”がペルーサッカー界にやってきたが、彼は変化をもたらしているだろうか? 壊しているの? 彼の能力やキャリアを疑う人はいない。しかし何が起こっているのか。ペルーのサッカーは良くない(と今も思ってる)? 彼は昨年まで母国(ペルー)でプレイしてこなかったし、ここでプロデビューもしていない。ペルーでプロサッカー選手としてプレイすることの意味をわかっていない」

マンコのこの発言はSNSなどで物議を醸した。批判の対象が、40歳のペルー代表FWパオロ・ゲレーロだと容易に推測できたからだった。

現在、セサル・バジェーホでプレイしているゲレーロは、ここまでに3ゴールを挙げているものの、パフォーマンスは往年の輝きを失いつつある。マンコの目にも、ゲレーロがリーガ1(ペルー1部リーグ)で目立っていないと映っているよう。そんなマンコが思い出したのは、昨年に行われた韓国との親善試合の試合前での発言。報道陣の質問に答えたゲレーロが口にした言葉は、ペルーの国内リーグを軽視する内容だった。

「私は競争力の高いところでサッカーをしている。だから39歳(当時)の今もプロサッカーを続けていられる。ペルーでは競争力のないサッカーをしているペルー人選手が多い」

上記の発言を思い出したマンコは、ゲレーロの今年のパフォーマンスを見て「どの口が言ってるのか」と思ったようで、暗にゲレーロを批判したとみられる。ちなみに、ドイツでデビューしたゲレーロは、キャリアの大半をドイツとブラジルで送ってきた。母国のトップリーグでプレイするのは今年が初めて。

◇ ◇ マンコとゲレーロは“穴兄弟” ◇ ◇

かつてマンコと夫婦だったペルー人モデルのフィオレーラ・アルサモーラさんが、離婚後の2016年に婚姻関係中に不倫していた過去を暴露。その相手がゲレーロだったとのことで、フィオレーラさんを抱いたマンコとゲレーロは“穴兄弟”とみられている。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとった。そして2024年4月に古巣ウニオン・コメルシオに加入。元ペルー代表。

エロ・マンクーソが右足で先制ゴールを決める PK戦では失敗するも味方の守護神に救われる

2024.05.06 コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 2024
▲ 14分に先制のミドルシュートを決めたエロ・マンクーソ(写真提供:TyC Sports)

5月5日に行われたコパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナルの決勝で、エロ・マンクーソがエストゥディアンテスの優勝に貢献した。

エストゥディアンテスは14分、ショートコーナーでペナルティエリアの手前まで下がったエドウィン・セトレが中央にパスを出すと、トラップしたエロ・マンクーソがゴールまで約26mの距離で右足を振り抜いた。キーパーの手前でショートバウンドしたボールはキーパーの手をかすめてゴールネットに突き刺さり、エロ・マンクーソはスタンドの大歓声を浴びながらチームメイトの手荒い祝福を受けた。

その後追いつかれたエストゥディアンテスは延長戦でも勝ち越せず、PK戦に突入。PK戦では2人目のエロ・マンクーソがキーパーにコースを読まれて阻まれるも、その後味方の守護神が3人のPKを止めて優勝に導いたことで、エロ・マンクーソはPK失敗の責任を負うことなく喜びに浸った。

コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 2024 決勝 (2024/05/05)
エストゥディアンテス 1-1
PK
4-3
ベレス・サルスフィエール
マティアス・マンシージャ GK トマス・マルキオーニ
エロ・マンクーソ
サイ・ロメーロ
ルシアーノ・ロロ
ガストン・ベネデッティ
DF ホアキン・ガルシア
バレンティン・ゴメス
ダミアン・フェルナンデス
エリーアス・ゴメス
(アレーホ・サルコ)
エンソ・ペレス
(パブロ・ピアッティ)
サンティアゴ・アスカシバル
ギド・カリージョ
(ハビエル・コレーア)
ホセ・ソサ
(フェルナンド・スキ)
MF アグスティン・ボウサ
(サンティアゴ・カセレス)
ティアゴ・フェルナンデス
(トマス・カバーナ)
クリスティアン・オルドニェス
クラウディオ・アキーノ
(レニー・ロバート 
エドウィン・セトレ
ティアゴ・パラシオス
(エリック・メサ)
FW ティアゴ・ベシーノ 
(エマヌエル・ママーナ)
フランシスコ・ピッツィーニ
(アルバロ・モントーロ)
エロ・マンクーソ 14 ゴール 63 アレーホ・サルコ
パブロ・ピアッティ ○
エロ・マンクーソ ×
ハビエル・コレーア ○
エドウィン・セトレ ○
サンティアゴ・アスカシバル ×
フェルナンド・スキ ○
PK ○ エマヌエル・ママーナ
○ アレーホ・サルコ
× ホアキン・ガルシア
× サンティアゴ・カセレス
○ レニー・ロバート 
× アルバロ・モントーロ
ガストン・ベネデッティ
サンティアゴ・アスカシバル
ハビエル・コレーア
エンソ・ペレス
エドウィン・セトレ
エリック・メサ
イエロー
カード
クリスティアン・オルドニェス
エリーアス・ゴメス
ダミアン・フェルナンデス
バレンティン・ゴメス
ガストン・ベネデッティ レッド
カード
ダミアン・フェルナンデス
エドゥアルド・ドミンゲス 監督 グスターボ・キンテロス
主審: ニコラス・ラミーレス
会場: エスタジオ・ウニコ・マドレ・デ・シウダデス (サンティアゴ・デル・エステーロ)

◆ エロス・マンクーソ

本名:
エロス・ナサレーノ・マンクーソ
生年月日:
1999年4月17日生まれ(25歳)
出身:
アルゼンチン(ブエノスアイレス州アエド)
身長:
167cm
ポジション:
サイドバック

8歳でボカ・ジュニオルスの下部組織に入団すると、以降各年代のカテゴリーで中心選手として活躍。かつてはミッドフィルダーだったが、近年は右サイドバックとして起用されることが増えた。2021年にトップチームデビューを果たすと、12月11日のリーグ最終戦で待望の初ゴールをマークした。

マンコの新天地はウニオン・コメルシオ “残留請負人”となって最下位に沈むチームを救えるか

2024.05.04 リーガ1(ペルー1部リーグ) 2024
▲ ウニオン・コメルシオは元ペルー代表MFレイモン・マンコの加入を発表

マンコの新天地が決まった。33歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコは、ウニオン・コメルシオへの加入を発表した。

ウニオン・コメルシオは現在、リーガ1(ペルー1部リーグ)の2024年前期で現在最下位に低迷中。13試合を消化して勝ち点はわずか7と、17位のカルロス A. マヌッチとの勝ち点差は4も開いている。

そんな低迷するクラブを救うために、マンコが立ち上がった。3年ぶりにリーガ1でプレイすることになったマンコは、一時ペルーのプロリーグから離れた経緯などを明かしている。

「人々は『マンコは歳をとった』と言うし、いつもながら批評家が多い。私は兼ねてから引退はしていないと何度も言ってきた。いろいろなことを考えたが、父の死が私にとって大きな衝撃でサッカーへの意欲が薄れていたんだ」

「ここ(ウニオン・コメルシオ)でのプレイが最後になるかはわからない。体が飽きるまでプレイするつもりだ。もちろん、いつかは引退する時期が来るだろうし、そのときは決断するつもりだ」

ペルー国内での先月の報道では、マンコはスポルト・ボーイスに加入して、ピンク色のユニフォームに袖を通すものとのことだった。だが、ピンク色のマンコが5年ぶりに復活することはなく、赤いユニフォームのウニオン・コメルシオの一員になった。

ウニオン・コメルシオはマンコ自身が2017〜2018年に所属した古巣。最下位に低迷する古巣を救って“残留請負人”となれるか。マンコはこれから新たな歩みを進める。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとった。そして2024年4月に古巣ウニオン・コメルシオに加入。元ペルー代表。

“ピンク色のマンコ”が5年ぶりに復活か!? 本人の発言を受けてSNSでは歓迎の声多数

2024.04.19 リーガ1(ペルー1部リーグ) 2024
▲ 2019年に数ヵ月だけ所属していたスポルト・ボーイスへの復帰をほのめかした元ペルー代表MFレイモン・マンコ

マンコがピンク色のユニフォームに再び袖を通すかもしれない。元ペルー代表MFレイモン・マンコが、自身のYouTubeチャンネルの番組内で11人制サッカーに戻りたい考えがあることを明かしたのだ。

元ペルー代表MFレイモン・マンコは近年、プロサッカー選手としてだけでなく、スポーツアナリストとして解説をしたり、YouTubeチャンネルに出演したりと違う顔をみせている。今年はアメリカで行われている7人制サッカーの「アメリカス・キングス・リーグ」にも選手として出場。先日にはゴールも決めている。とくにスポーツアナリストとしてのコメントはファンの間で高評価だ。

その一方でマンコは以前から「プロサッカー選手として引退はしていない」と何度も明言してきた。現地ペルーで引退を示唆する報道が出ても、一貫してマンコは引退を否定。そして先日、自身のYouTubeチャンネル「Cojo y Manco(コホ・イ・マンコ)」に出演した際に、マンコの口から出てきたのが古巣スポルト・ボーイスへの復帰をほのめかす言葉だった。それも、なんとノーギャラで。

「スポルト・ボーイスから電話があれば、無償で加入する。私はスポルト・ボーイスが好き。オファーさえあれば、有言実行だね。しっかり準備して復帰したいと思っているよ」

SNSには、マンコの真剣な思いを知ったスポルト・ボーイスのインチャ(サポーター)による投稿が散見された。賛否両論あるものの、歓迎するコメントが大半を占めた。

「スポルト・ボーイスが実現してくれるだろう」
「マンコは素晴らしいし、マンコの良さをスポルト・ボーイスは知っている」
「レイモン(・マンコ)を信じる」
「待ってるよ、マンコ!」

さかのぼること5年前、2019年にマンコはスポルト・ボーイスで数ヵ月プレイしていた。スポルト・ボーイスのチームカラーとユニフォームの色はピンク色で、ピンク色のユニフォームに袖を通した“ピンク色のマンコ”が当時ペルー1部リーグのピッチに立っていた。そんな古巣への復帰を真剣に考えていると明かしたマンコ。有言実行なら“ピンク色のマンコ”再誕となるが、果たして。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

エロ・マンクーソが左足で今季2点目 カットインしてペナルティエリアの外から決める

2024.02.09 コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 2024

▲ 85分にゴールを決めたエロ・マンクーソは両手の指でAを表すポーズを披露

2月9日に行われたコパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル「エストゥディアンテス vs ティグレ」で、24歳のエロ・マンクーソが今季2点目となるゴールを決めた。

エストゥディアンテスは25分に相手陣内のペナルティエリア付近でボールを奪い取ったマウロ・メンデスが右足を振り抜いて先制。リードを保ったまま迎えた85分、右サイドでパスを受けたエロ・マンクーソがカットインするやいなや左足を振り抜くと、ボールはキーパーの左手を弾いてゴールネットを揺らした。

ボカ・ジュニオルスの下部組織で育ったエロ・マンクーソは、ボカのトップチームでは出場機会が少なかったが、2年前に加入したエストゥディアンテスでは右サイドバックのレギュラー要員として活躍している。

リーガ・プロフェシオナル 2022 第8節 (2022/07/17)
エストゥディアンテス 2-0 ティグレ
マティアス・マンシージャ GK マティアス・タリアモンテ
エロ・マンクーソ
エリック・メサ
(ガストン・ベネデッティ)
サンティアゴ・フローレス
フェデリコ・フェルナンデス
DF アウグスト・アギーレ
(マルティン・オルテガ)
ジャン・ナルデッリ
ファクンド・ジャコプッシ
ナウエル・ヘネス
サンティアゴ・アスカシバル
ホセ・ソサ
(フェルナンド・スキ)
ハビエル・アルタミラーノ
(エドウィン・セトレ)
エンソ・ペレス
MF ブライアン・アレマン
ファン・サンチェス・ミーニョ
(トマス・カルバン)
アグスティン・カルドーソ
エセキエル・フォルクラス
(ゴンサーロ・マローニ)
ハビエル・コレーア
(フランコ・サピオラ)
マウロ・メンデス
(エセキエル・ナジャ)
FW セバスティアン・メディーナ
(ブラス・アルモア)
フラビアン・ロンドーニョ
(ファン・エスキベル)
マウロ・メンデス 25
エロ・マンクーソ 85
ゴール
エリック・メサ
ハビエル・アルタミラーノ
エロ・マンクーソ
イエロー
カード
ジャン・ナルデッリ
エセキエル・フォルクラス
ブライアン・アレマン 
レッド
カード
ジャン・ナルデッリ
エドゥアルド・ドミンゲス 監督 ネストル・ゴロシート
主審: ルイス・ロボ・メディーナ
会場: エスタディオ・ホルヘ・ルイス・イルスチ (ラ・プラタ)

◆ エロス・マンクーソ

本名:
エロス・ナサレーノ・マンクーソ
生年月日:
1999年4月17日生まれ(24歳)
出身:
アルゼンチン(ブエノスアイレス州アエド)
身長:
167cm
ポジション:
サイドバック

8歳でボカ・ジュニオルスの下部組織に入団すると、以降各年代のカテゴリーで中心選手として活躍。かつてはミッドフィルダーだったが、近年は右サイドバックとして起用されることが増えた。2021年にトップチームデビューを果たすと、12月11日のリーグ最終戦で待望の初ゴールをマークした。

マンコの舞台は再び7人制サッカーへ ペルーのペルサスFCがレイモン・マンコの加入を発表

2024.01.10 アメリカス・キングス・リーグ
▲ 2024年は7人制サッカーに活躍の舞台を移すことを決めた元ペルー代表MFレイモン・マンコ

元ペルー代表MFレイモン・マンコは2024年、メキシコで行われる7人制サッカーのリーグ戦に出場することになる。ペルーのペルサスFCは10日、13人目の補強選手としてレイモン・マンコの入団を発表した。

前述の「7人制サッカーのリーグ戦」とは、2023年10月24日に発足した「アメリカス・キングス・リーグ」というもので、チェアマンは元メキシコ代表DFミゲル・ラユン氏。すでに元スペイン代表DFジェラール・ピケ氏が2022年末に発足させた、スペインのキングス・リーグをモデルにして発足した新リーグだ。アメリカス・キングス・リーグは、いわば“キングス・リーグのラテンアメリカ版”ともいえる。

アメリカス・キングス・リーグにはスペイン語圏の中南米各国による7人制サッカークラブにより構成されているが、中南米すべての国が参加しているわけではなく、アルゼンチン、ウルグアイ、チリ、ペルー、コロンビア、ベネズエラ、ドミニカ共和国、メキシコのクラブが参戦。ほか、英語圏からはロス・エイリアン1021というアメリカのクラブも参戦して、12チームによる国際的なリーグ戦となる。

12チーム中、ペルーから参戦する唯一のクラブがペルサスFCで、マンコはそこに加入することとなった。

マンコの加入を歓迎するクラブ制作の動画で、マンコは自身が過去に体現した名場面集を見ながら次のように語っている。

「“レイ(王様の称号)”が欲しかったから。2009年にヨーロッパから帰国して以降、この単語は私の中でずっと鳴り響いていた。多くの人が私を批判し、理解してくれる者は少なかった。オランダに渡って孤独になった当時18歳の少年に何が起こったのか…誰も立ち止まって考えてくれなかった。だがサッカーにはリベンジの機会がある。私はいつもそう捉えて、自分が輝ける機会を待っていた」

「私が長い間待っていた日が来た。自分の才能を発揮してみせる。見ててね、これはすでに現実だから」

昨年の上半期にアメリカで7人制サッカーの選手としてのキャリアをスタートしているマンコ。アメリカス・キングス・リーグで、マンコが再び輝きを放つ。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

マンコがペルー代表に喝! 「長年に渡って築き上げてきたものを壊した」と現監督を一刀両断

2023.11.22 ワールドカップ南米予選
▲ 自身のYouTubeチャンネル「Cojo y Manco」に出演したレイモン・マンコ(右)は、現在のペルー代表の問題点を指摘

2026年のワールドカップ出場を懸けた南米予選で低迷しているペルー代表の現状を受けて、マンコが声を上げた。マンコが募らせている思いの丈は、ファン・レイノーソ監督に向けられた。

ペルー代表は現在の南米予選で6試合を終えて2分4敗と、勝てておらず最下位に低迷。だが元ペルー代表MFレイモン・マンコが声を上げたのは、第6節のベネズエラ戦(1-1の引き分け)の前日だった。第6節を迎える前に、マンコは代表のレイノーソ監督を見限っていた。

自身のYouTubeチャンネル「Cojo y Manco(コホ・イ・マンコ)」に出演したマンコは、過去のキャリアで接してきた同監督の人柄を知るだけに、現在の代表の状況は予見できていたと主張した。

「なぜみんなが(今の代表の結果に)驚いているのか理解できない。ファン・レイノーソが代表監督に就任すると確認された時点で、私には嫌な予感があった。彼(レイノーソ監督)が自分の考え方、仕事のやり方を変えなければ、今後もこのままだろう」

「彼は自分の信念を貫くタイプであり、他人の信念や真実など汲み取らないし、何が起こっても彼は今のやり方を変えないだろう。それが彼の個性だ。今、ペルー代表は好成績を収めていない。彼の戦術や理念が代表では通用しないことなど、ここまでの結果を見れば明らかだ」

思うところの多いマンコは、前任のリカルド・ガレカ前監督が長年に渡って築き上げてきたものをレイノーソ監督が壊したと主張し、現監督を非難した。

「レイノーソ体制が続くか否かに関わらず、サポーターとコーチ、選手の関係は壊れていると認識している。レイノーソは(リカルド・ガレカ前監督が)長年に渡って築き上げてきたものすべてを破壊した。そうして壊されたものは、簡単には修復しない」

「レイノーソにはチャンスがあったのに、生かさなかった。彼にとっては悪い結果だが、それがこの先良い方にシフトすることを願うだけ」

あくまで母国と代表チームを愛するがゆえに苦言があふれ出たマンコのお口。マンコのお口から溢れ出た苦言は世論にも投影されてレイノーソ解任論が出てきているが、当の本人は代表監督を辞任する意思はない模様。代理人曰く、早期解任の際に生じる違約金が障害になっているとのことで、レイノーソ体制はしばらく続くのではとの見方が有力になってきているようだ。同監督の個性を指摘したマンコの言葉には、信憑性がある。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

準々決勝で負けたエコセン・パスコは2部昇格ならず スタメンのマンコは77分に途中交代

2023.11.19 コパ・ペルー 2023
▲ 元ペルー代表MFレイモン・マンコ(左)を擁するエコセン・パスコは、惜しくも準決勝に進めなかった

マンコは昇格請負人にはなれなかった。元ペルー代表MFレイモン・マンコを擁するエコセン・パスコは、ペルーで3部に相当するコパ・ペルーでしぶとく勝ち上がってベスト8まで上り詰めたが、首都リマで行われた準々決勝「エコセン・パスコ vs UCVモケグア」でPK戦の末に敗退。準決勝進出=リーガ2(ペルー2部)昇格決定だったが、あと一歩及ばなかった。

18日、25番のユニフォームに袖を通してスタメンに名を連ねたマンコは、攻撃的MFとして攻撃の起点になった。しかし元ペルー代表に対する相手のマークはきつく、囲まれてボールを奪われる場面や、攻め上がっても味方がマンコのパスを感じておらずボールが外へ流れるなど攻撃のちぐはぐさも目に付いた。

0-0 のまま迎えた77分に、セサル・メディーナとの交代でマンコはベンチに下がり、試合は90分を終えて 0-0 。迎えたPK戦では、マンコとの交代で入ったセサル・メディーナが一人目のPKでキーパーにコースを読まれて失敗。続く2人目もPKをキーパーに止められ、4人全員が決めたUCVモケグアに競り勝てなかった。

これで敗退が決まったエコセン・パスコだが、試合後にクラブは相手チームの違反を訴えている。UCVモケグアでサイドバックとしてスタメン出場したロナール・フィゲロアが出場停止処分を受けている試合に出ていたと主張。フィゲロアは今月の2日、8日、9日にイエローカードを受けていて、累積警告により9日から10日間は欠場すべきルールなのに、10日間を待たずに出場したことが違反だとエコセン・パスコ側は主張した。

試合結果が覆るかは不明だが、エコセン・パスコ側の主張はFPF(ペルーサッカー連盟)を動かすか。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。