【急転】マンコが北米で現役続行へ 移籍先はアメリカ中部テネシー州のクラブチーム

2023.03.18 北米サッカー

▲ アメリカの「ジャクソン・テネシー・ブーム」というクラブチームがマンコの加入を発表した

マンコの選手生命は、まだ終わらない。アメリカ中部テネシー州のジャクソン・テネシー・ブームというクラブチームは18日、元ペルー代表MFレイモン・マンコの加入を発表した。

昨年はリーガ2(ペルー2部リーグ)のファン・アウリッチでプレイしたが、退団後は無所属だったマンコ。2月末にペルー国内での移籍市場が閉鎖したことで、ペルー国内でマンコがプレイするには7月まで待たなければならない状況にあった。そのため、フリーの期間中は解説者やユーチューバーになるのではとも報じられていたほどだった。

そんなマンコを戦力として評価したのが、アメリカのクラブだった。ジャクソン・テネシー・ブームは地元の TST World Championship という賞金総額100万ドルの大会に臨む予定で、優勝のためにマンコのお力添えを賜ることにしたようだ。

ジャクソン・テネシー・ブームは、マンコの獲得について「賞金100万ドルを懸けて争う TST World Championship に臨むための、最初の国際的な契約としてレイモン・マンコを発表できることを光栄に思う」との声明を出している。

マンコが北半球でプレイするのは、サモーラFC(ベネズエラ)に所属した2017年以来、6年ぶりとなる。

◆ TST ワールドチャンピオンシップ 2023

開催時期:
2023年6月
開催地:
アメリカ合衆国ノースカロライナ州
仕様:
7人制のサッカーイベント
優勝賞金:
100万ドル

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。

マンコが母親とともに料理番組に初登場 女子バレーボール選手との料理対決へ

2023.03.08 ペルー代表

▲ 母アンジェラ・アルバラシンさんと親子で出演した元ペルー代表MFレイモン・マンコ(右)

現役引退はしていないが、今年の上半期は所属クラブのない元ペルー代表MFレイモン・マンコが、ペルーのテレビ番組に出演する。

マンコが出演する番組は、毎週日曜日に放送している「Mi mamá cocina mejor que la tuya(私の母はあなたの母より上手に料理します)」という番組。司会はエテル・ポソ氏(42歳女性)とイアコ・エスケナーシ氏(43歳男性)の2人で、いかに美味しい料理を作れるかを競う料理バラエティー番組だ。マンコがこの手の番組に出演するのは、今回が初めてになる。

マンコは実の母親とともに登場すると、司会者と談笑。そしてゲスト席に座る母に見守られながら、マンコは食材を持ってきて料理に専念した。

この番組は、2組のゲストが料理対決をする内容で、マンコが出演した収録では女子バレーボール選手のカルラ・ルエーダさんも母娘で出演。番組の最中には余興もあり、マンコは腰を回してぶら下げたボールを振って空き缶に当てるゲームにも挑戦した。

【YouTube】Mi mamá cocina mejor que la tuya

マンコが出演する放送回は、3月19日の午後7時(日本時間では翌20日の午前9時)に放送予定。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。

古巣のクスコ戦をどうしても観たかったマンコ 7月頃まではフリーの身で喫緊の引退は否定

2023.03.13 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2023

▲ 中継映像で観客と笑顔で記念撮影に興じている様子が映し出された元ペルー代表MFレイモン・マンコ(左)

3月11日にペルーの首都リマで行われたリーガ1(ペルー1部リーグ)の「アリアンサ・リマ vs クスコFC」を、元ペルー代表MFレイモン・マンコがスタンドから生観戦。その様子が地元メディアによって報じられた。

アリアンサ・リマの下部組織出身で過去に二度所属したこともあるマンコは、以前から自身がアリアンサ・リマのファンであることを公言している。この日も応援したい一心でマトゥーテ(アリアンサ・リマのホーム、エスタディオ・アレハンドロ・ビヤヌエバの愛称)に足を運んだマンコは、アリアンサ・リマの勝利( 2-0 )を見届けると、ハーフタイムや試合の前後にはサポーターとの写真撮影にも興じるなど、自身もプロ選手としてのファンサービスを怠らなかった。

マンコについては以前、現役引退を推測する記事も出たが、最近のインタビューでは「愛するアリアンサ・リマで引退したい」と述べたマンコ。ペルーでは2023年初頭の移籍市場が閉鎖(終了)しているため、7月頃までは1部、2部すべてのクラブチームが選手を加入させられない。しかし、「引退するときはちゃんと話す」と宣言しているマンコは現在までに引退を表明してはおらず、7月頃までは無所属(フリー)の状況にあるだけ。

7〜8月になれば、マンコは再びユニフォームに袖を通すのか。加入先はアリアンサ・リマか、スポルト・ボーイスか、それとも?

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。

マンコの嫉み ガレカ前監督が依怙贔屓したクエバとは対照的に自分には「走れ」と要求か?

2023.03.08 ペルー代表

▲ ペルー代表の前監督であるリカルド・ガレカ氏に重宝されていたペルー代表MFクリスティアン・クエバ(左)の試合中での走行距離について、元ペルー代表MFレイモン・マンコ(右)は苦言を呈しているが…

マンコのペルー代表復帰を妨害したのは、ガレカ前監督だったのか? 現役引退も検討している元ペルー代表MFレイモン・マンコが、2023年になって同国代表前監督の要求と、それに対して“特別扱い”されていた選手への言及をして物議を醸している。

2007年にU-17ワールドカップや、その南米予選などで一躍名を馳せたマンコは、「ペルーサッカー界の至宝」とまで絶賛されたが、PSVアイントホーフェン(オランダ)へ移籍して以降は尻つぼみのキャリアとなっている。そんなマンコが最後にペルー代表に招集されたのは2013年8月で、以降は一度も代表復帰を果たせぬまま10年近い歳月が流れた。

本人が兼ねてから懇願していただけでなく、ノルベルト・ソラーノ氏ら一部の先輩も“マンコ待望論”を唱えていたのに、マンコはなぜペルー代表に復帰できていないのか。その理由を、マンコ自身が2023年になって明かした。

「“ティグレ(リカルド・ガレカ前監督の愛称)”は、選手に1試合の走行距離として許容しうる距離を走るよう要求する考えの持ち主だった。だが、一人だけティグレの要求に従わなくても代表に招集され続けた選手がいた。クリスティアン・クエバだ。(10番を着けて司令塔としての役割も担った)クエバが1試合あたり何キロ走ったかは知らない。だが、私はティグレが(他の選手に向けて)要求した距離をクエバが走っていないことだけは確信している」

ガレカ氏がペルー代表監督を務めたのは2015〜2022年で、マンコがペルー代表に招集された最後が2013年であることから、それ以降マンコがペルー代表に戻れなかった遠因にガレカ前監督があるとみても不思議ではない。ただ、因果関係は定かでなく、ガレカ前監督がマンコの代表復帰を妨害したとまでは断定できない。

マンコの主張を汲み取って「クエバが依怙贔屓されていた」と捉えるのか。それとも、マンコの妬みに過ぎないと捉えるかは、人それぞれ。果たして、マンコはもっと走る意欲を高め、それを所属チームでも実践していれば、ガレカ監督のペルー代表にも名を連ねたのだろうか。真相は闇の中だが…

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。

引退へ傾くマンコに古巣からの熱心なオファー 現役続行なら「ピンク色のマンコ」再誕も?

2023.02.25 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2023

▲ 2019年にスポルト・ボーイスでピンク色のユニフォームを着てプレイしていた元ペルー代表MFレイモン・マンコ(写真は2019年9月7日のもの)

現役引退に気持ちが傾いていると報じられた元ペルー代表MFレイモン・マンコに対してここ数ヵ月もの間、現役続行を信じて何度もオファーを出してきているクラブチームがあることがわかった。ペルーのスポルト・ボーイスだ。

スポルト・ボーイスは、マンコが2019年6〜12月に所属していた古巣で、このときは18試合に出場して2ゴール3アシストとまずまずの結果を残したが、2020年のチーム構想外となったため2019年末で退団している。

2022年には自身のキャリアで初のペルー2部に挑戦したが、ペルー代表歴がある選手としては案外な内容に終わったマンコ。昨年のパフォーマンスにマンコ自身が落胆したことが、現役引退に傾いたのではとの憶測もある。

そんなマンコに向けて何度も熱いラブコールを送っているスポルト・ボーイスの、チームカラーはピンク色。2019年に加入が決まった際にも当サイトで報じたように、マンコがスポルト・ボーイスに加入すれば、ピンク色のユニフォームに袖を通すことになるマンコは「ピンク色のマンコ」だ。

現状、スポルト・ボーイス以外でマンコにオファーを出しているクラブはない。ゆえに、マンコの気が変わって現役続行を選択した場合は、約3年ぶりにピンク色のマンコが再誕することになるが、果たして。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。

アナ・マンコさんが8年ぶりの帰省で母国の現状を報告 以前の帰省と比べて確実に良化か

2023.02.20 ベネズエラの芸能界

▲ 8年ぶりに母国に戻ったベネズエラ人女優のアナ・マンコさん

アナ・マンコさんはベネズエラの政情不安が深刻化した2015年に、生活拠点をU.S.A.(米国)に移した。ベネズエラ人ながら国外で8年間を暮らしたのち、アナ・マンコさんは母国に戻った。戻ってみてアナ・マンコさんが受けた印象を、率直に語っている。

「素晴らしい地形に木々もあり、古き良き時代のカラカスが取り戻されたようです。(首都のカラカスは)活発で、通りには人がいっぱいいて、たくさんの物資も供給されていて、交通量も多い。楽観的で、勤勉で、とても良い雰囲気が漂っていました。もちろん改善すべき点はまだまだあるけれど、そこに期待ができる状況であることに魅力を感じます」

アナ・マンコさんは母国の現状を絶賛している。その理由について、マンコさんは自身が母国に帰省した直近の様子を添えて、当時と比べて今が改善されたことを強調した。

「治安がとても悪く、物資も食料も医療品もなく、高速道路はガラガラ。あのときは、もうベネズエラには帰りたくないと感じました」

薬や食料を買うたびにID提示を要求されていたことも吐露したアナ・マンコさん。しかも当時はその購入時にパスポートの提示まで要求されていて、期限切れになっている場合の更新でも手を焼いたことを明かしている。

それでも、アナ・マンコさんが母国に戻った理由は何か。それは、彼女がこれまでの人生で培ってきた愛する人(友人・知人ら)の親交を取り戻すためだったという。

アナ・マンコさんは続ける。

「権力者がこの状況を鑑みて、多くのベネズエラ国民が失った自信と尊厳を取り戻すことを心から願っている」

アナ・マンコさんの想いはひとつ。愛する母国ベネズエラの平和と安定だ。

◆ アナ・カリーナ・マンコ

本名:
アナ・カリーナ・マンコ・グスマン
生年月日:
1970年12月17日生まれ(52歳)
出身:
ベネズエラ(首都カラカス)
最終学歴:
サンタマリア大学、ベネズエラ中央大学
配偶者:
ビセンテ・イグナシオ・ペレス
子ども:
ディミトリ・ニコラス・ペレス・マンコ(息子)
アレクサ・カテリーナ・ペレス・マンコ(娘)
職業:
女優、モデル、声優、弁護士
twitter:
@akmanco
Instagram:
anakarinamanco
公式サイト:
anakarinamanco.com

4人兄弟の末っ子で、母は1960年代にラジオ番組のパーソナリティとして活躍したノルマ・テレーサ・マンコ・グスマンさん。13歳で舞台役者となったが、一旦芸能界から離れて17歳に復帰すると、複数の映画やドラマなどで主役や脇役を熱演した。1995年には当時の恋人ルイス・フェルナンド・キンテーロさんを旅客機墜落事故により失う不幸に遭遇したことで、1年間の休養を余儀なくされた。2002年5月25日に31歳でビセンテ・イグナシオ・ペレスさんと結婚して、二人の子どもに恵まれた。現在は米国のマイアミで家族と暮らしている。

【急転】レイモン・マンコが現役引退へ セカンドキャリアはコメンテーター兼タレントに転身か

2023.02.17 リーガ2 (ペルー2部リーグ) 2022

▲ 元ペルー代表MFレイモン・マンコの冠番組「Cojo y Manco(コホ・イ・マンコ)」がペルー国内でスタートする

マンコがピッチを去るときが来たようだ。ペルー国内の記事によれば、元ペルー代表MFレイモン・マンコは32歳で現役を退くことになりそうだという。

マンコは5日前の報道によれば、ファン・アウリッチから契約更新を拒絶されたことが明らかになったものの、本人はまだ現役の道を模索するとあった。ところが、この数日で心変わりがあったのか、マンコから現役続行の気持ちは薄れていったものとみられる。

現地時間で2月16日に公開されたプロモーション映像では、ペルーのスポーツポータルサイト「Movistar Deportes」のスポーツジャーナリストであるオラシオ・シメルマン氏と並んでソファーに着席したマンコが、左手に大きな容量のポップコーンを持ち、右手でポップコーンを頬張りながらシメルマン氏と軽妙なやりとりをする様子が流れている。

▲ 新番組「Cojo y Manco(コホ・イ・マンコ)」のプロモーション映像で、スポーツジャーナリストのオラシオ・シメルマン氏(左)と軽妙なトークを繰り広げながらポップコーンを頬張る元ペルー代表MFレイモン・マンコ(右)

映像ではシメルマン氏が試合を楽しむ際の自分の好みについて、マンコとフランクに意見交換をしている様子が確認できる。この様子から、マンコのセカンドキャリアはコメンテーターかタレントに転身して、メディアに露出する仕事を選ぶ可能性が高そうだ。

公開された映像には、「Cojo y Manco(コホ・イ・マンコ)」というロゴも登場。Cojo はスペイン語で「ラメ」であり、「ラメとマンコ」という意味にあたるが、新番組とされる「Cojo y Manco(コホ・イ・マンコ)」については、初回放送日などの詳細情報が一切出ていないため、真偽不明とする見解もある。

2006年に16歳でプロデビューを果たし、2007年のU-17南米選手権では母国を4位に導き、自身は大会MVPを獲得。当時の評価は同世代のコロンビア代表MFハメス・ロドリゲスよりも高く、「ペルーサッカー界の有望株」と若手の頃は期待値も高かったマンコ。17年間のプロ生活にピリオドを打つときが来たのか。マンコ本人から引退に関する公式発表は、まだない。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。

「マンコはいらない」 契約更新を拒まれたマンコに引退の意志はなく、次の移籍先を探すことに

2023.02.12 リーガ2 (ペルー2部リーグ) 2022

▲ 2023年は2月に無所属となった元ペルー代表MFレイモン・マンコ。次の移籍先は決まるのか?(写真提供:Libero)

「マンコはいらない」 この一言で、マンコの居場所はなくなってしまった。リーガ2(ペルー2部リーグ)に属するファン・アウリッチは11日、元ペルー代表MFレイモン・マンコとの契約を更新しないことを通知した。

記者のパウル・ペレス氏によれば、元々ファン・アウリッチはマンコとの契約を延長する方向で交渉を進めていたという。ところが、47歳のハイル・ブトロン新監督の意向により、契約合意は破棄された。ペレス氏の説明は下記の通り。

「マンコはいらない。マンコはチームの構想外だ。当初は双方が契約更新で合意の予定で年越しを迎えたが、精査した結果、更新しないことになった。ブトロン監督の構想に、マンコが入っていないことを知らされたからだ」

2022年、マンコはファン・アウリッチの1部昇格を期待されて加入した。しかし、加入後のパフォーマンスはチームの期待に沿うものとはいえず、チームの昇格も叶わなかった。ファン・アウリッチがマンコとの契約を更新しなかったのは、結果がすべてだ。

マンコ自身に引退の意志はなく、現役続行の予定。次の移籍先は、どこになるのか。ペルー国内か、それとも…?

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。

アナ・マンコさんの顔に痛々しいアザ 本人はベッドからの転落と説明するも疑念の声多数

2023.01.08 ベネズエラの芸能界

▲ 9年前の2014年にフランスの宿泊先で顔面を負傷したときの写真を公開したアナ・マンコさん

アナ・マンコさんが、とある一枚の写真を公開。そこには、顔の左眼とその周辺に痛々しいアザができている。アナ・マンコさんの身に何があったのか。

自身の Instagram にアップされたその写真は直近のものではなく、9年前にフランスの首都パリで撮影された自撮り写真。なんでも、パリ滞在中に宿泊先のホテルでベッドから飛び起きた際に、顔を打ち付けたという。本人は「夢遊病」と添えていて、似たような負傷を20年前に母国ベネズエラでもやらかしていたことまで明かした。ちなみに、20年前は顔の右側に似たような怪我をしたとのこと。

このときのデ・ジャ・ヴについて、アナ・マンコさんは「本当にクレイジー」と自虐。しかし、コメント欄にはアナ・マンコさんの説明に対して疑念の声が複数寄せられた。

「ベッドから転落したとは信じがたい」、「誰かに殴られたんじゃないの?」、「ドメスティックバイオレンスだろ」、「(加害者を)告発しろ!」

一方で、「高低差のあるベッドは危険だから気をつけて」と心配する声も寄せられている。

9年前、当時43歳だったアナ・マンコさんは、本当に夢遊病でベッドから転落したのか。

◆ アナ・カリーナ・マンコ

本名:
アナ・カリーナ・マンコ・グスマン
生年月日:
1970年12月17日生まれ(52歳)
出身:
ベネズエラ(首都カラカス)
最終学歴:
サンタマリア大学、ベネズエラ中央大学
配偶者:
ビセンテ・イグナシオ・ペレス
子ども:
ディミトリ・ニコラス・ペレス・マンコ(息子)
アレクサ・カテリーナ・ペレス・マンコ(娘)
職業:
女優、モデル、声優、弁護士
twitter:
@akmanco
Instagram:
anakarinamanco
公式サイト:
anakarinamanco.com

4人兄弟の末っ子で、母は1960年代にラジオ番組のパーソナリティとして活躍したノルマ・テレーサ・マンコ・グスマンさん。13歳で舞台役者となったが、一旦芸能界から離れて17歳に復帰すると、複数の映画やドラマなどで主役や脇役を熱演した。1995年には当時の恋人ルイス・フェルナンド・キンテーロさんを旅客機墜落事故により失う不幸に遭遇したことで、1年間の休養を余儀なくされた。2002年5月25日に31歳でビセンテ・イグナシオ・ペレスさんと結婚して、二人の子どもに恵まれた。現在は米国のマイアミで家族と暮らしている。

大陸間プレイオフ対策を4月に主張していたマンコ ペルー代表側の半端な段取りに憤慨?

2022.12.07 ワールドカップ南米予選

▲ カタールのクラブに在籍していた過去を持つ元ペルー代表MFレイモン・マンコは、ペルー代表がプレイオフの暑さ対策として早めの現地入りを訴えていたのだが…

今年のペルー代表を振り返って、不満を募らせているのが元ペルー代表MFレイモン・マンコだ。

3月末に全日程を終了したワールドカップ南米予選で、ペルーは5位になり大陸間プレイオフに回ることに。6月13日にはワールドカップの出場権を懸けてどこか(4月上旬の時点でアジア予選プレイオフ勝者は決まっていなかった)と対戦することになっていたが、従来のホーム&アウェイではなく開催国カタールでの一発勝負というレギュレーションだった。

これを受けて、4月頭に口を開いたのがマンコ。2012年にアル=ワクラ(カタール)に在籍していたことがあり、6月のカタールがどれほどの過酷な暑さであるかを身を以て体感済みなのだ。自身の経験を元に、マンコは当時ペルー代表に向けてこんな提言をしていた。

「理想を言うなら、試合日の少なくとも2週間前には現地入りしておくことかな。暑さに慣れるまでは、とても試合に臨める状態にはできないから。対戦相手は未定だが、UAE(アラブ首長国連邦)になる可能性があるよね。UAE代表はあの特殊な気候になれているから、UAEとの対戦になったらペルーにとっては中立地でなくアウェイのような環境になる。注意が必要だね」

暑さ対策のために、最低でも試合日の2週間前には現地入りしておくことを推奨。マンコの提言はペルーの国内メディアでも報じられたため、当然ながらFPF(ペルーサッカー連盟)やペルー代表スタッフにも届いているはずだ。

だが、ペルー代表が6月にとった行動は、マンコの提案とはかけ離れたものだった。ドーハへの入国は9日で、練習開始は11日。ドーハ入りするまではバルセロナ(スペイン)でチーム練習を消化。現地入りからプレイオフの試合日までに、練習試合を組む隙などあるはずもなく。その結果、オーストラリアに 0-0 の末にPK戦で競り負け、ペルーはワールドカップ出場を逃した。ここまでの経緯に不満を募らせていたマンコ。

「絶対論ではないから私が全面的に正しいということではないが、4月に私が言ったことは、試合日から逆算して2週間以上前には現地入りして、気候に順応すること。そして可能ならカタール国内で親善試合を行うこと」

最後にマンコは、ペルー代表ないしリカルド・ガレカ監督(当時)が自分の提言に耳を傾けていれば、プレイオフでオーストラリアに勝てていただろうと述べた。一連の発言について、ペルー国内では「自分のアドバイスが無視されたことに、マンコが腹を立てた」と報じられている。

「私の言ったとおりだろう? 現地の暑さに慣れる間もなくプレイオフに臨んだペルー代表は、環境に慣れる時間がなかったのか、試合では途中から足が止まっているように見えた。オーストラリアのほうが良く見えたし、準備の差が結果に表れたのだと思う。だから2週間前から現地で調整していれば、きっと本大会に出場していただろう」

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。

マンコ最大の後悔はレアル・マドリーからのオファーを蹴ったこと ミヤトヴィッチのお墨付きだった

2022.11.26 元ペルー代表

▲ 元ペルー代表MFレイモン・マンコは欧州移籍時にレアル・マドリーからのオファーを受諾しなかったことを後悔

若き日のマンコがもしもレアル・マドリーに加入していたら… 過去の判断ミスを後悔しているのは、32歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコだ。

友人の元ペルー代表DFルイス・グアダルーペ氏とともに動画に出演したマンコは、自身のキャリア最高の時期を問われると、スペインの名門レアル・マドリーからオファーを受けたときのことに言及。

「PSVアイントホーフェン(オランダ)へ移籍する前、まだ私がアリアンサ・リマにいた頃に複数のオファーがあった。当時の私はすべてのオファーを知らされていなかったんだけど、その中にはレアル・マドリーからのオファーもあったんだ」

当時、レアル・マドリー・カスティージャ(レアル・マドリーのリザーブチーム)のマネージャーを務めていた元ユーゴスラヴィア代表FWプレドラグ・ミヤトヴィッチ氏は、マンコをカスティージャに加入させることに合意していたそうで、マンコの元にはレアルからいくつか書類も届いていたという。だが、当時のマンコはリザーブチームのレアル・マドリーより、トップチームのPSVを選択。17歳の若者にとっては、どちらが正しい選択かなどわかるはずもなく、同胞の先輩(ジェフェルソン・ファルファン)が歩んだ道を歩むことが現実的と判断したという。

「もしもあのとき、PSVでなくレアル・マドリー・カスティージャを選んでいたら、成長を続けてもっと良い選手になっていたでしょう。でもジェフェルソン・ファルファンの成功例があって、そちらのほうが当時の私には身近に思えたからPSVを選んだのだと思う」

「あのときアドバイザーやコンサルタントのような人が身近にいて、私に助言してくれていたらどうなっていただろう。『ねぇ、そんなに稼ぎが増えなくても、より良いトレーニングができるほうを選ぶべきだ』と言われていたら…」

“たられば”に過ぎない。が、もしもあのときマンコがレアル・マドリーを選択していたら…

当時はのちに大成するコロンビア代表MFハメス・ロドリゲスよりも評価が高かったマンコ。覆水盆に返らずであり、過ぎた時間は戻せない。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。

12年前に「ワールドカップのガールフレンド」として有名になった女性が今年応援する国は!?

2022.11.26 ラリッサ・リケルメ

▲ 2022年のワールドカップではブラジル代表を応援することにしたラリッサ・リケルメさん

ワールドカップにあの女性が帰ってきた。豊満な肢体をアピールするパラグアイ人女性のラリッサ・リケルメさんだ。

ラリッサ・リケルメさんが一躍脚光を浴びたのは、12年前の2010年ワールドカップ。デコルテを大胆に披露して、当時本大会に出場したパラグアイ代表を熱心に応援するラリッサさんの姿は、すぐに世界中に拡散され、彼女は有名人になった。「ワールドカップのガールフレンド」という異名まで付いたほどだった。

あれから12年の歳月が流れ、2022年のカタール大会にパラグアイ代表の姿はない。南米予選を突破できなかったためで、今年はラリッサさんがどの国を応援するのかに注目が集まった。

▲ 2010年W杯でパラグアイを応援していたラリッサ・リケルメさん

彼女の Instagram に投稿された写真では、黄色と緑の水着を身につけていることがわかる。そう、ラリッサさんが今年応援しているのは優勝候補のブラジル代表なのだ。

12年前の一件以降、有名人になったラリッサさんは現在、ラジオやテレビの司会者を務めているが、いわゆる“ワールドカップ美女”として12年ぶりにスポットライトを浴びるかもしれない。