エロ・マンクーソが左足で今季2点目 カットインしてペナルティエリアの外から決める

2024.02.09 コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 2024

▲ 85分にゴールを決めたエロ・マンクーソは両手の指でAを表すポーズを披露

2月9日に行われたコパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル「エストゥディアンテス vs ティグレ」で、24歳のエロ・マンクーソが今季2点目となるゴールを決めた。

エストゥディアンテスは25分に相手陣内のペナルティエリア付近でボールを奪い取ったマウロ・メンデスが右足を振り抜いて先制。リードを保ったまま迎えた85分、右サイドでパスを受けたエロ・マンクーソがカットインするやいなや左足を振り抜くと、ボールはキーパーの左手を弾いてゴールネットを揺らした。

ボカ・ジュニオルスの下部組織で育ったエロ・マンクーソは、ボカのトップチームでは出場機会が少なかったが、2年前に加入したエストゥディアンテスでは右サイドバックのレギュラー要員として活躍している。

リーガ・プロフェシオナル 2022 第8節 (2022/07/17)
エストゥディアンテス 2-0 ティグレ
マティアス・マンシージャ GK マティアス・タリアモンテ
エロ・マンクーソ
エリック・メサ
(ガストン・ベネデッティ)
サンティアゴ・フローレス
フェデリコ・フェルナンデス
DF アウグスト・アギーレ
(マルティン・オルテガ)
ジャン・ナルデッリ
ファクンド・ジャコプッシ
ナウエル・ヘネス
サンティアゴ・アスカシバル
ホセ・ソサ
(フェルナンド・スキ)
ハビエル・アルタミラーノ
(エドウィン・セトレ)
エンソ・ペレス
MF ブライアン・アレマン
ファン・サンチェス・ミーニョ
(トマス・カルバン)
アグスティン・カルドーソ
エセキエル・フォルクラス
(ゴンサーロ・マローニ)
ハビエル・コレーア
(フランコ・サピオラ)
マウロ・メンデス
(エセキエル・ナジャ)
FW セバスティアン・メディーナ
(ブラス・アルモア)
フラビアン・ロンドーニョ
(ファン・エスキベル)
マウロ・メンデス 25
エロ・マンクーソ 85
ゴール
エリック・メサ
ハビエル・アルタミラーノ
エロ・マンクーソ
イエロー
カード
ジャン・ナルデッリ
エセキエル・フォルクラス
ブライアン・アレマン 
レッド
カード
ジャン・ナルデッリ
エドゥアルド・ドミンゲス 監督 ネストル・ゴロシート
主審: ルイス・ロボ・メディーナ
会場: エスタディオ・ホルヘ・ルイス・イルスチ (ラ・プラタ)

◆ エロス・マンクーソ

本名:
エロス・ナサレーノ・マンクーソ
生年月日:
1999年4月17日生まれ(24歳)
出身:
アルゼンチン(ブエノスアイレス州アエド)
身長:
167cm
ポジション:
サイドバック

8歳でボカ・ジュニオルスの下部組織に入団すると、以降各年代のカテゴリーで中心選手として活躍。かつてはミッドフィルダーだったが、近年は右サイドバックとして起用されることが増えた。2021年にトップチームデビューを果たすと、12月11日のリーグ最終戦で待望の初ゴールをマークした。

マンコの舞台は再び7人制サッカーへ ペルーのペルサスFCがレイモン・マンコの加入を発表

2024.01.10 アメリカス・キングス・リーグ
▲ 2024年は7人制サッカーに活躍の舞台を移すことを決めた元ペルー代表MFレイモン・マンコ

元ペルー代表MFレイモン・マンコは2024年、メキシコで行われる7人制サッカーのリーグ戦に出場することになる。ペルーのペルサスFCは10日、13人目の補強選手としてレイモン・マンコの入団を発表した。

前述の「7人制サッカーのリーグ戦」とは、2023年10月24日に発足した「アメリカス・キングス・リーグ」というもので、チェアマンは元メキシコ代表DFミゲル・ラユン氏。すでに元スペイン代表DFジェラール・ピケ氏が2022年末に発足させた、スペインのキングス・リーグをモデルにして発足した新リーグだ。アメリカス・キングス・リーグは、いわば“キングス・リーグのラテンアメリカ版”ともいえる。

アメリカス・キングス・リーグにはスペイン語圏の中南米各国による7人制サッカークラブにより構成されているが、中南米すべての国が参加しているわけではなく、アルゼンチン、ウルグアイ、チリ、ペルー、コロンビア、ベネズエラ、ドミニカ共和国、メキシコのクラブが参戦。ほか、英語圏からはロス・エイリアン1021というアメリカのクラブも参戦して、12チームによる国際的なリーグ戦となる。

12チーム中、ペルーから参戦する唯一のクラブがペルサスFCで、マンコはそこに加入することとなった。

マンコの加入を歓迎するクラブ制作の動画で、マンコは自身が過去に体現した名場面集を見ながら次のように語っている。

「“レイ(王様の称号)”が欲しかったから。2009年にヨーロッパから帰国して以降、この単語は私の中でずっと鳴り響いていた。多くの人が私を批判し、理解してくれる者は少なかった。オランダに渡って孤独になった当時18歳の少年に何が起こったのか…誰も立ち止まって考えてくれなかった。だがサッカーにはリベンジの機会がある。私はいつもそう捉えて、自分が輝ける機会を待っていた」

「私が長い間待っていた日が来た。自分の才能を発揮してみせる。見ててね、これはすでに現実だから」

昨年の上半期にアメリカで7人制サッカーの選手としてのキャリアをスタートしているマンコ。アメリカス・キングス・リーグで、マンコが再び輝きを放つ。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

マンコがペルー代表に喝! 「長年に渡って築き上げてきたものを壊した」と現監督を一刀両断

2023.11.22 ワールドカップ南米予選
▲ 自身のYouTubeチャンネル「Cojo y Manco」に出演したレイモン・マンコ(右)は、現在のペルー代表の問題点を指摘

2026年のワールドカップ出場を懸けた南米予選で低迷しているペルー代表の現状を受けて、マンコが声を上げた。マンコが募らせている思いの丈は、ファン・レイノーソ監督に向けられた。

ペルー代表は現在の南米予選で6試合を終えて2分4敗と、勝てておらず最下位に低迷。だが元ペルー代表MFレイモン・マンコが声を上げたのは、第6節のベネズエラ戦(1-1の引き分け)の前日だった。第6節を迎える前に、マンコは代表のレイノーソ監督を見限っていた。

自身のYouTubeチャンネル「Cojo y Manco(コホ・イ・マンコ)」に出演したマンコは、過去のキャリアで接してきた同監督の人柄を知るだけに、現在の代表の状況は予見できていたと主張した。

「なぜみんなが(今の代表の結果に)驚いているのか理解できない。ファン・レイノーソが代表監督に就任すると確認された時点で、私には嫌な予感があった。彼(レイノーソ監督)が自分の考え方、仕事のやり方を変えなければ、今後もこのままだろう」

「彼は自分の信念を貫くタイプであり、他人の信念や真実など汲み取らないし、何が起こっても彼は今のやり方を変えないだろう。それが彼の個性だ。今、ペルー代表は好成績を収めていない。彼の戦術や理念が代表では通用しないことなど、ここまでの結果を見れば明らかだ」

思うところの多いマンコは、前任のリカルド・ガレカ前監督が長年に渡って築き上げてきたものをレイノーソ監督が壊したと主張し、現監督を非難した。

「レイノーソ体制が続くか否かに関わらず、サポーターとコーチ、選手の関係は壊れていると認識している。レイノーソは(リカルド・ガレカ前監督が)長年に渡って築き上げてきたものすべてを破壊した。そうして壊されたものは、簡単には修復しない」

「レイノーソにはチャンスがあったのに、生かさなかった。彼にとっては悪い結果だが、それがこの先良い方にシフトすることを願うだけ」

あくまで母国と代表チームを愛するがゆえに苦言があふれ出たマンコのお口。マンコのお口から溢れ出た苦言は世論にも投影されてレイノーソ解任論が出てきているが、当の本人は代表監督を辞任する意思はない模様。代理人曰く、早期解任の際に生じる違約金が障害になっているとのことで、レイノーソ体制はしばらく続くのではとの見方が有力になってきているようだ。同監督の個性を指摘したマンコの言葉には、信憑性がある。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

準々決勝で負けたエコセン・パスコは2部昇格ならず スタメンのマンコは77分に途中交代

2023.11.19 コパ・ペルー 2023
▲ 元ペルー代表MFレイモン・マンコ(左)を擁するエコセン・パスコは、惜しくも準決勝に進めなかった

マンコは昇格請負人にはなれなかった。元ペルー代表MFレイモン・マンコを擁するエコセン・パスコは、ペルーで3部に相当するコパ・ペルーでしぶとく勝ち上がってベスト8まで上り詰めたが、首都リマで行われた準々決勝「エコセン・パスコ vs UCVモケグア」でPK戦の末に敗退。準決勝進出=リーガ2(ペルー2部)昇格決定だったが、あと一歩及ばなかった。

18日、25番のユニフォームに袖を通してスタメンに名を連ねたマンコは、攻撃的MFとして攻撃の起点になった。しかし元ペルー代表に対する相手のマークはきつく、囲まれてボールを奪われる場面や、攻め上がっても味方がマンコのパスを感じておらずボールが外へ流れるなど攻撃のちぐはぐさも目に付いた。

0-0 のまま迎えた77分に、セサル・メディーナとの交代でマンコはベンチに下がり、試合は90分を終えて 0-0 。迎えたPK戦では、マンコとの交代で入ったセサル・メディーナが一人目のPKでキーパーにコースを読まれて失敗。続く2人目もPKをキーパーに止められ、4人全員が決めたUCVモケグアに競り勝てなかった。

これで敗退が決まったエコセン・パスコだが、試合後にクラブは相手チームの違反を訴えている。UCVモケグアでサイドバックとしてスタメン出場したロナール・フィゲロアが出場停止処分を受けている試合に出ていたと主張。フィゲロアは今月の2日、8日、9日にイエローカードを受けていて、累積警告により9日から10日間は欠場すべきルールなのに、10日間を待たずに出場したことが違反だとエコセン・パスコ側は主張した。

試合結果が覆るかは不明だが、エコセン・パスコ側の主張はFPF(ペルーサッカー連盟)を動かすか。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

マンコが呼び掛け 首都リマでの一発勝負に「多くのサポーターの応援を楽しみにしている」

2023.11.09 コパ・ペルー 2023

▲ エコセン・パスコのサポーター全員に首都リマまで応援に来てほしいと訴えた元ペルー代表MFレイモン・マンコ

マンコが重要な一戦に向けて、所属クラブのサポーターに積極的な応援を訴えた。

元ペルー代表MFレイモン・マンコを擁するエコセン・パスコは、11月5日に行われたラウンド16の2nd.LegでナシオナルFBCと2-2のドロー。1st.Legを3-0で勝っているため、ベスト8に名を連ねた。

年によってレギュレーションが変わるコパ・ペルーは2023年はペルー3部リーグに相当するカップ戦で、ベスト4に勝ち残った4クラブに翌年のリーガ2(ペルー2部リーグ)昇格の権利が与えられる。つまり、マンコ擁するエコセン・パスコはリーガ2昇格まであと一歩のところまで来ているのだ。

そんな折、7日にコパ・ペルーの準々決勝以降の全試合がすべて首都リマで開催されることに。ホーム&アウェイでない一発勝負になっただけに、エコセン・パスコにとっては次戦が“勝負の90分”となった。対戦相手は、ペルー南部の中腹アバンカイを本拠地とするミゲル・グラウというクラブチームになる。

こうした決定を受けて、マンコは自身のSNSに投稿し、エコセン・パスコのサポーターに首都まで応援に来てもらえるように懇願した。

「みんな知ってると思うけど、私は今エコセン・パスコのユニフォームに袖を通している。(18日か19日か試合日は不明だが)近いうちに日時がわかるから、スタンドから多くのサポーターが我々を応援してくれることを楽しみにしている」

マンコの呼びかけに応じるエコセン・パスコのサポーターはどれほどいるのか。そして、準々決勝の試合に、どれほどのサポーターが集結するのか。マンコを愛しているかどうかではなく、エコセン・パスコを愛しているかで来場者数は変動するだろう。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

再び動き出したマンコ コパ・ペルーでノールックスルーパスによるアシストをして勝利に貢献

2023.10.22 コパ・ペルー 2023

▲ 90分にスルーパスを出したレイモン・マンコ(右)は後方を向いてノールックスルーパスのポーズ

マンコが再び動き出している。

元ペルー代表MFレイモン・マンコは2023年にリーガ1(ペルー1部リーグ)やリーガ2(ペルー2部リーグ)などのプロクラブと契約せず、上半期は米国の7人制サッカーに活躍の場を移していたが、9月になって標高4,380mの高地セロ・デ・パスコという町をホームタウンとするエコセン・パスコというクラブと契約を交わした。

加入当初は「契約はしたけど、セロ・デ・パスコには住まない」といった注文を付けるなどでクラブ関係者やサポーターを困惑させていたマンコだったが、わだかまりを解いてチームに合流。そして22日のコパ・ペルーのラウンド32で後半途中からピッチに出場。11人制サッカーでは約1年ぶりの実戦復帰となった。

アウェイでの 1st.Leg を 0-2 で落としていたエコセン・パスコは、2-0 にして2試合合計スコアが同点になっての62分にマンコを投入。するとチームは勢いづいて2点を追加し、迎えた90分にマンコが魅せた。

左サイドからのスローインからつながったパスがピッチの中央にいたマンコに収まると、トラップしたマンコは右サイドを向いたが誰も上がってこないため前方に切り替えて右足でスルーパス。蹴る瞬間にマンコは後ろを向いたため、ホナウジーニョ・ガウーショが現役時代にバルサなどで見せたノールックスルーパスを彷彿とさせた。そして最終ラインの裏に通ったスルーパスに反応したダルウィン・メレンデスが、右足でキーパーの逆を突くシュートを決めて、チームの勝利を決定づけた。

▼マンコがノールックスルーパスを出した動画 (7分6〜13秒あたり)

コパ・ペルーは他の国のカップ戦とは異なり、リーガ1とリーガ2のクラブは不参加で、ベスト4に勝ち残った4チームに翌年のリーガ2昇格資格が与えられる。いわば、国内3部リーグとしての機能を包有している特殊なカップ戦だ。

この日の快勝でベスト16に名を連ねたエコセン・パスコ。準決勝進出まで、マンコの力を必要とする場面が何度も訪れそうだ。

コパ・ペルー 2023 ラウンド32 2nd.Leg (2023/10/22)
エコセン・パスコ 5-1 ブラエンFC
ミゲル・ベルナーベ GK アレキサンデル・ベリーオス
ブランリ・ビセンテ
ビクトル・ヒメーネス
ファン・セバージョス
リケルメ・カルアチン
DF ジョン・ピヤーカ
フランクリン・マンシーヤ
(ジョバーニ・フィゲロア)
ホン・モレーノ
ケネ・グスマン
(ゴー・キスペ)
レナート・ラミーレス
パトリック・ダビラ
(ルシオ・カシミーロ)
セサル・メディーナ
(レイモン・マンコ)
シレス・マルティネス
(ダルウィン・メレンデス)
MF ジョン・ベンデス
エリック・ペレス
(ホセ・アギーレ)
クレイソン・パチェーコ
ロイエル・キスペ
サンドロ・レンヒーフォ
(イルヴィン・ディアス)
ペドロ・マルティネス
(カルロス・アングラス)
FW デンメル・ロメーロ
アルベルト・アヤラ
(ラウール・ペレス)
パトリック・ダビラ 35
ペドロ・マルティネス 59
ビクトル・ヒメーネス 67
ダルウィン・メレンデス 89
ダルウィン・メレンデス 90+1
ゴール 90+5 クレイソン・パチェーコ
イエロー
カード
ホン・モレーノ
レッド
カード
エメルソン・チャベス
ホン・モレーノ
マリオ・フローレス 監督 モイセス・キスペ
主審: ハメス・ワマーニ
会場: エスタディオ・ダニエル・アルシデス・カリオン (セロ・デ・パスコ)

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

マンコがチリ戦の敗北に怒り心頭 「フェラーリを持ってるのに運転の仕方をわかってない」

2023.10.13 FIFAワールドカップ南米予選

▲ W杯南米予選チリ戦での敗北を受けて元ペルー代表MFレイモン・マンコ(左)はペルー代表のファン・レイノーソ監督(右)の采配に苦言を呈した

12日、ワールドカップ南米予選に臨んだペルー代表は敵地でチリに 0-2 のスコアで敗れた。この試合を観ていた元ペルー代表MFレイモン・マンコは、同国代表を率いているファン・レイノーソ監督の采配を批判した。

「南米予選は長く、選手たちは精一杯がんばっていると思う。だが、これまでの3試合で枠内シュートはわずか3本と、攻撃が実になっていないのは問題だ。いわばフェラーリを持っているのに、それを運転する方法がわからないようなものだ」

厳しい意見を述べたマンコは、チリ戦の布陣が「恐怖から作られたようだ」と断言。その真意を次のように説明した。

「チリ戦のフォーメーションを見て、守備的すぎると思った。結果は予想通りだった。ペルー代表における最大のディフェンスは、攻撃だ。攻めることが防御にもつながるんだ。もちろん相手の攻撃を警戒しなければならないことは理解しているが、だからといって相手の攻撃を“恐怖”と捉えているかのような守備的フォーメーションになるのは、う〜ん…。私の率直な意見だがね」

次の第4節は首都リマに世界王者アルゼンチンを迎えるペルー代表。マンコの言及した通り、攻撃的に戦って勝ち点を得られるか。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

マンコを苦しめた“最悪の悪魔” パオロ・ゲレーロとの不倫も明かした元妻との悪夢を語る

2023.08.25 コパ・ペルー 2023

▲ 元ペルー代表MFレイモン・マンコ(右)にとって、10年前に結婚したモデルのフィオレーラ・アルサモーラさん(左)との婚姻生活は不健全だったという

元ペルー代表MFレイモン・マンコのYouTube冠番組である「Cojo y Manco(コホ・イ・マンコ)」に出演したマンコが23日、元妻との関係を暴露して「最悪の悪魔」とこき下ろした。

マンコは2013年7月にペルー人モデルのフィオレーラ・アルサモーラさんと結婚。しかし半年後には別居して、その後離婚に至っている。当時の婚姻生活について、マンコが口を開いた。

(前略)…そして、この女、フィオレーラ・アルサモーラの話をする。私がこれまでに付き合った女性の中で、間違いなくワースト1。“最悪の悪魔”だった」

当時マンコの妻だったフィオレーラ・アルサモーラさんは、マンコとの別居期間中に「マンコから家庭内暴力を受けた」と主張。彼女いわく、「私はレイモン・マンコから100回以上殴られた」と訴えてマンコを強く非難した。しかしマンコは家庭内暴力を繰り返し否定しており、両者の主張は平行線のまま。それでも当時の妻は、別居中のマンコに繰り返し電話をかけてきて、家庭内暴力の被害を訴えてきたという。当時を振り返ってマンコは「ひどいものだった」とあきれ顔だった。

フィオレーラ・アルサモーラさんはその後、再び結婚して離婚しバツ2になっただけでなく、マンコとの婚姻関係中にペルー代表FWパオロ・ゲレーロと不倫していたことも暴露。さらに、「私はあと7回くらい結婚するつもり」と謎のエリザベス・テイラー宣言をするなど奔放な人生を送っている。こうした事実を踏まえれば、マンコの言うように彼女は“最悪の悪魔”だったのであろう。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(33歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

マンコが試合をボイコットした? 地元サポの一部が“指名手配”する事態になり本人が声明

2023.08.10 ペルーのアマチュア大会

▲ カニバンバFCの熱狂的なインチャ(サポーター)がマンコの捜索を開始!?

ペルー国内にて、マンコが試合をボイコットしたとの報道が出て物議を醸している。

アメリカの7人制サッカーなどにも契約・出場したり、YouTubeで自身の冠番組を配信するなど精力的な活動をしている元ペルー代表MFレイモン・マンコは現在、ペルー北西部の標高2,641mに位置する山間部の中腹の町オトゥスコを本拠地とするカニバンバFCというアマチュアクラブに、期限付きで加入している。

オトゥスコで開催中の選手権で、カニバンバFCは準決勝に駒を進めていた。そして迎えた準決勝のピッチやベンチに、マンコの姿はなかった。ちなみに、カニバンバFCも出場中の選手権では、35,000ペルーソル(日本円で136万円)の賞金も設定されていたため、サポーターとしてもこの選手権については真剣に応援している経緯がある。

前述の事情を踏まえて、現地メディアは「マンコが失踪した」「マンコが試合をさぼった」と報道。準々決勝までチームに多大な貢献をしていたマンコが、身勝手な意志決定で試合を欠場したかのように報じられ、カニバンバFCを応援するサポーターの一部は「マンコの居場所を突き止めろ!」と、さも“指名手配”でもするかのような勢いでマンコの捜索を開始した。

こうした一連の報道を受けてマンコが反応。自身の行動は試合のボイコットではないと訴えた。

「ハッキリさせておきたいのは、私がアメリカからリマに到着したのが8月6日。5日の試合に出てほしいとの連絡が事前にあればもっと早く帰国していたし、クラブから出場を打診する連絡も来ていなかっただけ。だからボイコットなんてしていない」

マンコは誤報を拡散したメディアに対しても憤りを覚えており、「一連の誤報を正さないのならば、訴訟を起こす。証拠はある」と強気な姿勢を貫いている。果たして、この騒動は今後泥沼化するのか。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

実は“二番目の女”だったマンコの元カノ 「午前3時に追い出された直後に“本命”がやってきた」

2023.07.24 リーガ1(ペルー1部リーグ)

▲ 18歳当時に元ペルー代表MFレイモン・マンコと交際していたシルレイ・アリカさん

ペルー人モデルのシルレイ・アリカさんは、過去に出演した番組「A las 10」で元ペルー代表MFレイモン・マンコとの恋路を語っている。そこで明らかになったのは、シルレイ・アリカさんはマンコの本命ではなかった事実だった。

1989年6月27日生まれの34歳であるシルレイ・アリカさんは、18歳の頃にマンコと交際。本人の談話によれば、2人はペルーの首都リマ南部のディスコで出会い、その日のうちにベッドイン。順調に愛を育んでいたが、マンコがその翌年に開催した新年のパーティーによってシルレイ・アリカさんは失恋した。

「彼(マンコ)が私をガールフレンドとして紹介してくれると聞いていたから、興奮して彼の家に行ったの。でもその夜、彼は午前3時まで私と一緒にいたのに、3時で私は出て行かされたのよ」

シルレイ・アリカさんは、なぜ午前3時に突然マンコの家を退出させられたのか。彼女が続ける。

「女性には第六感があり、何か嫌な臭いを感じたの。彼(マンコ)の家を出てから帰らず、近くに停めていた車の後部座席にいたら、そのあとに“本当のガールフレンド”(本命の彼女)が家に入っていくのを目撃したのよ…ガッカリした。そして彼ともう一度会いたいとは思えなくなった」

“本命”だと思っていたのに、“二番目の女”だった事実を突きつけられた当時18歳のシルレイ・アリカさん。巨乳美女を傷つけた当時10代のマンコの罪は、決して軽くない。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。

マンコの元カノが暴行沙汰で出演番組を追放処分に バスルームで共演者を殴った疑い

2023.07.24 リーガ1(ペルー1部リーグ)

▲ 番組からの追放処分が決まり目に涙を浮かべるシルレイ・アリカさん

マンコの元カノがテレビ番組で暴行事件を起こして、出演番組を降板する処分を受けていたことがわかった。

マンコの元カノことペルー人モデルのシルレイ・アリカさんが降板したのは、アメリカのケーブルテレビで視聴可能な放送局 Telemundo (テレムンド)が放送しているリアリティ番組「Los 50」。男女50人のセレブが日常から切り離された豪邸で共同生活を送りながら、大胆なノックアウトチャレンジに挑戦。ゲームに勝って共演者をそぎ落とし、最後に残った1人に賞金35万ドル(日本円で約4,950万円)が与えられる内容になっている。また、この番組は視聴者参加型で、最後の一人を予想して見事に的中すると5万ドルの賞金を得られる。

拡散した動画では、「Los 50」のマンコの元カノがメキシコ人女優のタリー・ガルシアさんとバスルームでトラブルになり、暴力沙汰になった。マンコの元カノが「歯磨きするときにバスルームに人がいるのは嫌だから出て行って」と述べると、タリー・ガルシアさんは「ちょうど入ってメイクを始めたところだから、今出るつもりはない」と反論。すると互いに罵り合うようになり、激昂したマンコの元カノがタリー・ガルシアさんの側頭部を平手打ちしたという。

番組の制作側は「いかなる状況においても、あらゆる暴力は許されない」として、マンコの元カノを番組から追放する決定を下した。

傷ついたマンコ 年始に2つのクラブと交渉するも決裂… その理由は辛辣なものだった

2023.05.03 リーガ1(ペルー1部リーグ)

▲ 元ペルー代表MFレイモン・マンコは2023年にリーガ1でのプレイを希望していたが…

マンコが厳しい現実に直面していたことを告白した。

元ペルー代表MFレイモン・マンコは2023年の上半期を7人制サッカーの分野で選手を続けているが、当初はリーガ1(ペルー1部リーグ)でのプレイを希望して、年末年始も交渉を怠らなかった。だが、そのうち交渉した2つのクラブから突きつけられた評価は、厳しいものだったという。

マンコが自身の希望する報酬額を伝えたところ、そのうち1つのクラブからは「マンコと契約するくらいなら、その金額でハイレベルなアルゼンチン人選手を2人加入させたほうがマシだ」と言われたとのこと。ちなみに、マンコが交渉した2つのクラブについて、クラブ名は明かされなかった。

2023年上半期の移籍市場はすでに閉鎖されているため、マンコがリーガ1のクラブでプレイできる時期は最速で2023年7月になる。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。2023年は7人制サッカーに活躍の場を移し、ペルーとアメリカの2クラブに所属する形をとっている。元ペルー代表。