吉報! COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の抗体検査でマンコが「陰性」と事後報告

2020.07.25 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ 自身の Instagram でCOVID-19の抗体検査で陽性であった事実を報告するレイモン・マンコ

ペルーから吉報が発せられた。マンコがウイルスに感染していないことと、抗体検査でも陰性であることが明らかになった。マンコ自身が Instagram で公表した。

8月10日の国内リーグ再開に向けて準備を進めているペルーでは、各クラブチームで感染症対策が講じられている。レイモン・マンコが所属するアトレティコ・グラウでは、24日にクラブ内で抗体検査が実施された。そこでマンコの検査結果が「陰性」であることが明確になった。

「みんな!私は陰性だ! 素敵な土曜日を過ごしてね」とのメッセージを添えて投稿したマンコは、黒いマスクで口を覆いながらも元気そうな様子でピースサインまで披露した。

マンコの加入を受けて、アトレティコ・グラウの“ラフォ”ことラファエル・カスティージョ監督は「マンコを熟知している。彼はチームに多大な貢献をすると確信している」と太鼓判を押していて、抗体検査で陰性と判明したことにより、“ラフォ”は国内リーグが再開すれば積極的にマンコを起用する意向をほのめかしている。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(29歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・ビナシオナルに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ活躍の場を移している。元ペルー代表

マンコに届いていたエクアドルからのオファー しかしマンコは母国のグラウを選ぶ

2020.07.22 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ アトレティコ・グラウの一員として練習に汗を流すレイモン・マンコ

レイモン・マンコは来たる国内リーグ再開に向けてアトレティコ・グラウで準備を進めているが、実はデポルティーボ・ビナシオナルの退団からアトレティコ・グラウへの移籍を決める間に、エクアドルのクラブチームからもオファーを受けていたことを明かした。

「私はエクアドルへは行かないほうがいいと判断した。心は揺れ動いたが、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)のパンデミックもあるからエクアドルへは行かないほうがいいと思ったんだ。アトレティコ・グラウとで条件面の差異はあまりなかった。エクアドルへ行くよりはペルーで今年をしっかり過ごすことが、来年以降の自分のキャリアにおいて重要だと感じたんだ」

マンコがアトレティコ・グラウを選択した他の理由として、監督の存在を挙げている。現在アトレティコ・グラウを率いているラファエル・カスティージョ監督とは、2018年に所属したウニオン・コメルシオでも師弟関係にあった。マンコはラフォ(ラファエル・カスティージョ監督のあだ名)の下でプレイすることが、自分にとって有益と判断したとみられる。

そんなマンコは、アトレティコ・グラウで結果を出すことでペルー代表復帰にもつながると話しており、新天地での躍進に意欲的だ。ちなみに、マンコにオファーを出したとされるエクアドルのクラブチームについては、チーム名を明らかにしていない。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(29歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・ビナシオナルに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ活躍の場を移している。元ペルー代表

念願のペルー代表復帰をあきらめていないマンコ Atl.グラウ移籍で夢の実現を目指す

2020.07.11 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ アトレティコ・グラウの練習場に笑顔で親指を立てるレイモン・マンコ

ペルーの前年王者であるデポルティーボ・ビナシオナルを離れた29歳のレイモン・マンコが移籍した先は、2020年の前期で最下位に沈むアトレティコ・グラウ。レアル・ガルシラッソ(現在のクスコFC)からスポルト・ボーイスに移籍してチームの1部残留に貢献した昨年のように、マンコはグラウでも光り輝くのか。その先にマンコが描いている未来予想図は、念願のペルー代表復帰だが…。

アトレティコ・グラウへの移籍が決まる前に、マンコには名門アリアンサ・リマへの復帰の噂もあった。このことについてマンコは自身の見解を述べている。

「アリアンサ・リマに戻ることは私の夢でもある。父がアリアンサ・リマのインチャ(サポーター)でね。私自身も幼い頃から父の影響でアリアンサ・リマのファンとして育った。引退すれば、アリアンサ・リマの試合を観に息子を連れて行きたいんだ。私自身も選手としてアリアンサ・リマで再びプレイしたい願望はある。だが、移籍先は必ずしも自分の思い通りに決まるものでないことも承知しているよ」

そんなマンコは、アトレティコ・グラウに移籍した自身の環境変化を悲観していない。マンコはどんな環境でもリカルド・ガレカ監督からお声がかかることを願って日々目の前の仕事に集中している。

「アトレティコ・グラウは、昨年のスポルト・ボーイスほど(2部降格に)深刻な状況ではないが、これ以上低迷するとさすがに危なくなる。勝ち点を重ねなければならない立場であり、そんなチームのために自分が最善を尽くして貢献すれば、ペルー代表への復帰も不可能ではないと信じている。そのためにはそれに見合うパフォーマンスを発揮することが条件だけどね」

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(29歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・ビナシオナルに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ活躍の場を移している。元ペルー代表

マンコが愛するアリアンサ・リマからオファーはあったのか? 当のマンコはその噂を否定

2020.07.10 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ 2020年6月にアトレティコ・グラウへの加入を決めたレイモン・マンコ

2020年6月にデポルティーボ・ビナシオナルとの契約を解除したレイモン・マンコは、その数日後にアトレティコ・グラウへの加入を発表した。実は、ビナシオナル退団直後に、マンコの古巣でもある名門アリアンサ・リマへの移籍が噂されていたことがわかった。しかし、マンコ自身はそれを否定している。

マンコは2020年、前年王者のデポルティーボ・ビナシオナルに加入して、国内リーグはもちろんリベルタドーレスでの活躍にも期待が寄せられていた。だが、先のCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)のパンデミックにより公式戦が中断し、それに伴う広告収入などが途絶えたことによってクラブの収入が落ち込んだのを理由にクラブ側がマンコの給与削減を持ちかけたところ、それに反発したマンコは契約解除を提案して両者の関係は壊れた。

マンコがビナシオナルの退団を表明した頃、アリアンサ・リマではウルグアイ人FWアドリアン・バルボアの退団を受けてその後釜を探しているところだった。アルゼンチン人FWルシアーノ・ポンス、チリ代表FWパトリシオ・ルビオ、アルゼンチン人FWベルナルド・クエスタらが補強の対象になっていた。結局、加入したのはパトリシオ・ルビオだった。

パトリシオ・ルビオはアリアンサ・リマへの加入に際して「このような名門の一員になれて嬉しい」と述べつつも、深掘りする質問への回答は避けた。

いずれは「大好きなアリアンサ・リマで引退したい」と公言しているマンコだが、その夢はまだまだ先になりそうだ。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(29歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・ビナシオナルに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ活躍の場を移している。元ペルー代表

速やかに移籍先を決めたマンコ 次の本拠地ピウラから約100km北上すればマンコラにも到着

2020.06.17 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ レイモン・マンコの加入を歓迎するオリジナル画像をアップしたアトレティコ・グラウ

マンコの新天地は速やかに決まった。デポルティーボ・ビナシオナルとの契約を解消した29歳のレイモン・マンコについて、アトレティコ・グラウが16日に加入を発表した。

前所属先のデポルティーボ・ビナシオナルと揉めていたマンコは、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)のパンデミックによる余波で、チームから健康保険の解約要請があったことまで明かし、わだかまりは並大抵のものでなかったことを明かした。かくしてフリーになったマンコに触手を伸ばしたのは、パンデミックによる中断前でリーガ1(ペルー1部リーグ)の最下位に低迷しているアトレティコ・グラウだった。

2020年のマンコは、2019年と似たような轍を踏んでいる。2019年のマンコは、レアル・ガルシラッソ(現在のクスコFC)に加入してリベルタドーレスの予備戦ではスーパーロングシュートを決めるなど異彩を放ったが、その後前期で最下位に甘んじたスポルト・ボーイスに加入すると、チームを降格の危機から救う立役者となった。このたび加入したアトレティコ・グラウもまた中断中の前期では最下位にあり、マンコには「残留請負人」としての期待が寄せられている。

しかし、当のマンコはアトレティコ・グラウでの目標を高く掲げている。マンコが口を開いた。

「アトレティコ・グラウに加入できて嬉しい。このような機会をいただいたことに感謝している。ラファエル・カスティージョ監督からのアプローチも加入の決め手になった」

「ここでの目標は残留ではなくて、チームをスダメリカーナまたはリベルタドーレスの圏内にまで導くことだ。そのために、前期の残りと後期でひとつでも多くの勝利を収めることを重視して戦う」

ひとまずの契約期間を年内としたマンコだが、今後の状況によっては1年延長もプランにあるとしている。

マンコの前所属先であるデポルティーボ・ビナシオナルは、ペルー南部ティティカカ湖のふもとフリアカがホームタウン。一方でこのたびマンコが加入したアトレティコ・グラウは、ペルー北部のピウラをホームタウンとしていて、マンコはペルー国内を南から北へ大移動したことになる。ピウラは、スペイン人侵略者フランシスコ・ピサロによって建設されたペルー初のキリスト教徒の街。ピウラから北へ約100km移動すると、北西に太平洋を望むマンコラ(Máncora)にもたどり着く。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(29歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・ビナシオナルに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ活躍の場を移している。元ペルー代表。

疲れ果てたマンコの決断 自ら退団を申し入れてビナシオナルを去る 移籍先は未定

2020.06.11 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ クラブの会長との軋轢からデポルティーボ・ビナシオナルを去ることを決めたレイモン・マンコ

マンコがフリアカを離れる決断をした。ペルー国内リーグの前年王者であるデポルティーボ・ビナシオナルは11日、レイモン・マンコとの契約解消を twitter などSNSで発表した。

ビナシオナルの発表には、マンコからの契約解消の打診があった背景を明かし、クラブの経営陣はマンコの意向を尊重することにしたとしている。

「短い期間ではあったが、我々とともに闘ってくれたレイモン・マンコに感謝する。そして我々は、マンコの将来の成功を願っている」

今回の契約解消について、波風が立たなかったわけではない。COVID-19(新型コロナウイルス感染症)のパンデミックによってサッカーの公式戦が中断したのを受けて、マンコ自身は貧困層への食料物資支援などの慈善活動に積極的だった。だが、その一方で所属選手の給与75%カットを提案した首脳陣に対してマンコが猛反発したり、所属選手らに向けていつどのような段階でチームを再生させていくかといったロードマップを一向に示さないビナシオナルの会長に対し、マンコは真っ向から批判。会長とマンコの対立はペルー国内のメディアでも取り上げられ、会長側が「私はマンコの口に指を入れた記憶はない」と、言論弾圧などの圧力を否定する発言も出ていた。

そんな一連の対立が、マンコに精神的な疲弊をもたらしていた。契約解消が決まる前日の9日に、マンコは次のようなコメントを出していた。

「私は移籍先を探している。今の会長との戦いに心底疲れている。私は関連性のないものを要求しているのではなく、法律に基づいた主張をしているだけだ。もうクラブと対立することにうんざりしているから、私は去ろうと考えている」

こうしてビナシオナルを退団することになったマンコは、リベルタドーレスが再開してもリーベル・プレートやサンパウロと対戦する機会を失したことにもなる。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(29歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。

マンコが怒り心頭! 自身は慈善活動をしながら所属チームの給与75%減には猛反発

2020.05.20 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ 所属先のデポルティーボ・ビナシオナルが選手の給与75%カットを表明すると、マンコは即座に反論した

マンコの怒りが爆発した。ペルー国内の前年王者であるデポルティーボ・ビナシオナルに所属するレイモン・マンコは20日、所属先から提示された75%の給与カットを強く反対した。

COVID-19(新型コロナウイルス感染症)により現在中断しているリーガ1(ペルー1部リーグ)では、クラブチームの深刻な経済危機が生じている。それの対策として、ビナシオナルは所属選手の給料を75%カットに踏み切る苦渋の決断に至った。

ところが、この決断に反旗をひるがえしたのが、29歳のレイモン・マンコ。地元テレビ局の取材に応じたマンコは、「クラブからの提案はクレイジーだ。私たち選手はクラブにとっての財産であり、お互いがお互いを守る必要がある」との主張を展開している。

「今年のビナシオナルはCONMEBOL(南米サッカー連盟)からリベルタドーレス出場権を含めてお金を受け取っている。それゆえに、75%もの給与カットには戸惑いを隠せず、我々は冷静なコミュニケーションで以て問題の解決に取り組みたい」

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(29歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。

9年後の激白 マンコがメヒコで誘拐されていたエピソードを明かす

2020.05.20 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ アトランテ時代にカンクンで誘拐された事実を明かしたレイモン・マンコ (※写真は2011年のもの)

2008年のPSVアイントホーフェン(オランダ)移籍以降は所属チームをころころ替えているレイモン・マンコが、2011年にメキシコ国内で誘拐されていたというエピソードを開かした。マンコはアトランテ時代に7試合にしか出場しておらず、すぐ母国に戻った理由についても「メヒコで誘拐されたから」と述べているが…

DirecTV Sport のWEBインタビューで、マンコはメキシコ南東部のカンクンで誘拐され、暴力を受けた上で公道に投げ出される犯罪被害に遭ったと告白した。マンコは2013年にペルー人モデルのフィオレーラ・アルサモーラさんと結婚したが、アトランテにいた2011年はまだ独身だった。

「当時独身だった私は、なぜか当時の所属チームから信用されていなかった。ゆえに、私が当時誘拐されて暴力を受けるなどの犯罪被害に遭ったことも、アトランテの首脳陣は信じてくれなかったんだ」

当時のマンコは2011年に所属するファン・アウリッチから期限付き移籍でアトランテに身を移し、誘拐事件は加入から数週間後に発生したとしている。それをアトランテは信じなかったとマンコは訴えている。

「すべて本当のことなんだよ。私が自分の意志で自分の顔面を殴って鼻を骨折させるわけないじゃないか! あの誘拐事件は午前1時半頃に起きて、午前9時まで首都リマへ戻ることができなかったんだ」

マンコが誘拐されたと訴えた当時、誘拐された当日のマンコはアトランテの練習施設に現れたが、酒気帯びでアルコール検査に引っかかったこともあって、アトランテからは信用されず。マンコは同年のうちに契約を解除して母国に帰った過去を持つ。マンコにとっての歯がゆい過去には、メヒコでの誘拐という衝撃の事実があった。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(29歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。

マンコが叶えたい夢 ペルー代表への復帰と次に移籍先を選べるなら?の質問に答える

2020.04.16 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ ペルー代表への復帰を今もあきらめていないレイモン・マンコ (※写真はかつてペルー代表として試合に出ていた2013年頃のもの)

COVID-19(新型コロナウイルス感染症)のパンデミックにより選手としての活動ができない非常事態でも、マンコは前向きな近未来予想図を描き続けている。

ディレクTVスポルトの遠隔インタビューに応じたレイモン・マンコは、ペルー代表復帰への思いを口にした。

「ペルー代表の広報に連絡したいんだ。連絡できれば、ガレカ監督から指導を受けられるかもしれないからね」

さらにマンコは、「もし次の移籍先を選べるとすれば、希望する移籍先はある?」との質問に対しては、ペルー国内の2チームを挙げた。

「もし移籍先を選べるのなら、アリアンサ・リマかスポルト・ボーイスだね。ピンク色のチーム(スポルト・ボーイス)については、(アルゼンチン人の)マルセーロ・ビバス監督との確執があって退団してしまったことは、サポーターに申し訳なく思っているんだ。でもアリアンサ・リマの次に愛着のあるチームだよ」

兼ねてからアリアンサ・リマのファンであると公言しているマンコだが、再びピンク色のマンコになりたい願望も示唆した。

そんな折、マンコの能力を絶賛する先輩のペルー代表FWジェフェルソン・ファルファンがロシアの首都モスクワでCOVID-19の陽性と診断された事実が、ペルー国内でも大きく取り上げられた。後輩のマンコはもちろん、ペルー代表の選手や協会スタッフらもファルファンの体調を心配して、同選手の一刻も早い回復を祈る声明を出している。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(29歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。

マンコの嘆き 「サッカーができないことが、いかに寂しいかなんて簡単に表現できない」

2020.05.14 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ 試合終了後にアルゼンチン代表MFイグナシオ・フェルナンデスにユニフォーム交換を迫ったレイモン・マンコ(左) (※写真は2020年3月11日のもの)

COVID-19(新型コロナウイルス感染症)のパンデミックにより、ペルーでは国内リーグ、国内カップ戦、そして国際大会のリベルタドーレスとスダメリカーナなどすべての公式戦が開催延期を強いられている。デポルティーボ・ビナシオナルに所属するレイモン・マンコは、この由々しき事態を嘆いている。

ペルーでは14日までで感染者数は8万人を突破し、感染による死亡者数は2,267に上っていて、一日あたりの新たな感染者数は断続的に最高記録を更新し、14日の感染者数は過去最高の4,298を記録した。感染状況が下降線を見せていない現状で、サッカーを再開することは不可能な情勢である。

公式戦ができなくなって2ヵ月が経ち、サッカーができない現状についてマンコが口を開いた。

「サッカーができないこと、サッカーを観られないことが、いかに寂しいかなんて簡単に表現できない」

そんなマンコは先日、アリアンサ・リマ時代のユニフォームやスパイクなどを競売にかけて900ソレス(日本円で約28,000円)の資金を捻出した。ペルーの平均月収は1,441ソレス(日本円で約44,800円)である点を踏まえれば、そこそこの売り上げとなった。オークションで得たお金は、COVID-19による経済危機に瀕する国民のために全額寄付される。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(29歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。

マンコのチャリティーオークション アリアンサ・リマ時代のユニフォームを競売にかけて寄付へ

2020.05.09 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ 非常事態で貧困にあえぐペルー国民のために自身の私物のチャリティーオークションを開催したレイモン・マンコ (※写真はレイモン・マンコがアリアンサ・リマに在籍していた2016年のもの)

COVID-19(新型コロナウイルス感染症)のパンデミックが南米大陸を混乱に陥れる中、ペルーでは感染者と死亡者の急増を受けて60日間に及ぶ外出規制や強制夜間外出禁止令などが発出されている。こうした非常事態を受けて、国ならびに国民のために何かできないかと主体的に動いているのがレイモン・マンコだ。

マンコは4月にも食料調達などに困る民間人に向けて食料配達などのボランティアを買って出ていたが、非常事態が引き続き改善されないことを受けて、再びマンコが動いた。

このたびマンコが取り組んでいる慈善事業は、同選手がデビューしたクラブチームでもあり、2015年から約1年間在籍していた首都リマの名門アリアンサ・リマで着ていたユニフォームの売却。マンコは Instagram を介してそれらのネットオークションを行った。

『2015年に着ていたアリアンサ・リマのユニフォームを競売にかける。この売り上げは、最も生活に困っている人々が食料を買うための資金として使われる』

オークションでは、ユニフォームのほか、マンコがレアル・ガルシラッソ戦でゴールを決めたときのスパイクも出品された。オークションに出すと、マンコのグッズは瞬く間に売れて、この売上金を週明けにも寄付するとマンコは宣言している。自身の所属するチームがあるリーグ1(ペルー1部リーグ)では再開の目処が立っていない状況下においても、マンコは困窮する国民に引き続き寄り添っている。

兼ねてからアリアンサ・リマのファンであることを公言しているマンコにとって、在籍時のユニフォームを競売にかけるのに抵抗はあったはずだが、それでもマンコは経済危機に陥る国民を救うことを第一条件としている

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(29歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。

アナ・マンコさんが激怒! 母国ベネズエラ政府のガソリンインフレ政策を「強盗!」と一喝

2020.04.15 ベネズエラの芸能界

▲ ベネズエラ出身でアメリカ在住のアナ・カリーナ・マンコさんは、母国でのガソリンのインフレに強い嫌悪感を示している

女優、モデル、声優、弁護士とマルチな才能を持つベネズエラ出身のアナ・カリーナ・マンコさんは、長年アメリカで家族とともに暮らしている。身体は北米大陸にあっても、常に母国ベネズエラを案じているアナ・マンコさんが15日、母国のとある社会現象に怒りのツイートを投稿した。

アナ・マンコさんが怒っているのは、ベネズエラで政府が執っているガソリンの価格設定。昨年から続く政情不安に加えてCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)によるパンデミックが重なり混乱が収まっていないベネズエラでは最近、ニコラス・マドゥーロ政権がガソリンの価格を大幅に値上げした。ただでさえ昨年から続くハイパーインフレが国民を苦しめているにも関わらず、火に油を注ぐような愚策が断行されたのである。アナ・マンコさんは twitter で次のように書き殴っている。

「マラカイーボでは、ガソリンを20リットル買う場合は、40ドル(日本円で約4,310円)もの大金を警察または軍に支払わなければならない。強盗だ!」

日本でのガソリンの平均価格は現在、1リットルあたり134円ほどで、20リットルでは2,680円。ベネズエラのガソリン代は、日本と比較しても高値であることがわかるだろう。しかも、ベネズエラ国民の平均月収は約464ドル(日本円で約5万円)だ。5万円前後の手取りしかもらえない国で、ガソリン20リットルが4,300円もかかるのは、国民にとっては大きな負担になる。

アナ・マンコさんは、国の横暴な政策に怒っているのである。

◆ アナ・カリーナ・マンコ

本名:
アナ・カリーナ・マンコ・グスマン
生年月日:
1970年12月17日生まれ(49歳)
出身:
ベネズエラ(首都カラカス)
最終学歴:
サンタマリア大学、ベネズエラ中央大学
配偶者:
ビセンテ・イグナシオ・ペレス
子ども:
ディミトリ・ニコラス・ペレス・マンコ(息子)
アレクサ・カテリーナ・ペレス・マンコ(娘)
職業:
女優、モデル、声優、弁護士
twitter:
@akmanco
Instagram:
anakarinamanco
公式サイト:
anakarinamanco.com

4人兄弟の末っ子で、母は1960年代にラジオ番組のパーソナリティとして活躍したノルマ・テレーサ・マンコ・グスマンさん。13歳で舞台役者となったが、一旦芸能界から離れて17歳に復帰すると、複数の映画やドラマなどで主役や脇役を熱演した。1995年には当時の恋人ルイス・フェルナンド・キンテーロさんを旅客機墜落事故により失う不幸に遭遇したことで、1年間の休養を余儀なくされた。2002年5月25日に31歳でビセンテ・イグナシオ・ペレスさんと結婚して、二人の子どもに恵まれた。現在は米国のマイアミで家族と暮らしている。