マラが揺れたらマンコも揺れた ペルーの海側でマグニチュード6の地震発生

2021.06.23 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2021

▲ 22日夜の地震発生直後に緊急速報を伝えるペルーのテレビ番組

22日の深夜、ペルーでマンコが揺れを感じたことを明かした。

現地時間で22日の24時過ぎ(日本時間では23日の14時過ぎ)に、同国の太平洋沿岸で大きな地震が発生。ペルー国立地震センターの発表によれば、首都リマなどではマグニチュード6の地震が発生。震源の深さは44キロとのこと。

シーズンオフで首都リマにいるレイモン・マンコは、大地震の直後にSNSで「地震か? 地震のように感じた」と投稿。マンコが揺れを感じて動揺している様子が窺える内容だ。この地震の震源地は、リマから80キロほど南南東に離れた太平洋沿岸の小さな町マラかマラの近海とみられるが、人的被害などは今のところ報告されていない。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(30歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アリアンサ・ウニベルシダーへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。元ペルー代表。

代表が不調だと批判ばかりする日和見主義に憤るマンコ 「これまで以上にペルー人になった」

2021.06.05 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2021

▲ ペルー代表はここまで5戦して1分4敗で最下位に低迷している

ペルー代表は今回のワールドカップ南米予選で第2節(ブラジル戦)から4連敗を喫して、最下位に転落してしまった。ペルー国民の中には、低迷する代表チームに失望した者たちによる批判や誹謗中傷も散見されるが、そんな心ない意見に憤りを覚えているのが、30歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコだ。

マンコが嫌っているのは、好調なときにだけ代表を応援して、不調に陥ると“手のひら返し”で代表を叩いたり、見放したりする、いわゆる「日和見(ひよりみ)主義」。「そんな奴らは、真のペルー代表サポーターではない」と突き放すマンコは、そんな日和見主義者の存在が、自分の母国愛を再認識する契機になったと明かしている。

「今日(ペルーがコロンビアに 0-3 で負けた6月3日)は、これまで以上にペルー人になったと感じている。幸せな週末だ」

リカルド・ガレカ監督に課された改善点のひとつは、最終ラインの脆弱性だ。2000年代半ばから2016年のコパ・アメリカ・センテナリオあたりまで最終ラインの要だったアルベルト・ロドリゲスが代表に呼ばれなくなった現在、同監督は先のコロンビア戦でクリスティアン・ラモスとルイス・アブランのセンターバックコンビで臨んだが、コロンビアの攻撃を食い止められなかった。前述のアルベルト・ロドリゲスに近いタイプのアンデルソン・サンタマリアはコロンビア戦で起用されず、現地メディアでは次のエクアドル戦ではサンタマリアをスタメンで遣うべきとの論調も出ている。

南米予選で1分4敗と不調を極めるペルー代表は、次節こそマンコを含む国民の期待に応えられるか。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(30歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アリアンサ・ウニベルシダーへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。元ペルー代表。

実況は興奮して「マンコ」を10回連呼するも… マンコのループシュートはクロスバーを越える

2021.05.17 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2021

▲ 40分にレイモン・マンコ(90番)がループシュートを放つ直前の場面

5月15〜17日にペルーの首都リマで行われたリーガ1(ペルー1部リーグ)の前期第8節。「アリアンサ・ウニベルシダー vs UTC」で、元ペルー代表MFレイモン・マンコがまたも才能の片鱗を見せつけた。

マンコが観る者を魅了したのは、0-1 とアリアンサ・ウニベルシダーの1点ビハインドで迎えた前半40分。センターサークルからジャック・ドゥバンが供給したロングパスで前線の左を上がったマンコがボールをトラップすると、ツータッチでカルロス・ディエスを抜き去ってペナルティエリアに到達。キーパーと1対1になったマンコは、右足のインステップにボールを乗せてループシュートを選択した。

キーパーの伸ばした右手をすり抜けたボールが空中で弧を描くと、実況アナウンサーはマンコのループシュートが決まるのを予感して「マンコ!マンコ!マンコ!マンコ!…」とマンコを10回連呼。しかし、ボールは上がりすぎてクロスバーを越えてしまい、ゴールネットの裏側でバウンドして広告看板の裏に消えた。

前半40分にループシュートを放ったマンコの動画を観たい方はこちら!

▲ 94分にレオナルド・ビジャルバ(右奥)に向けて文句を浴びせるレイモン・マンコ(90番)

この場面以外でもスタメン出場で随所に見せ場を作っていたマンコだったが、後半のアディショナルタイムに失点した直後の94分に足を掛けられて倒されたのを発端に、立ち上がってレオナルド・ビジャルバに詰め寄って文句を浴びせると、他の選手や審判が仲裁に入るほどの口論に発展。主審はまずビジャルバにレッドカードを出すと、振り返ってマンコにもレッドカードを突きつけた。この結果、マンコは第9節を欠場する羽目になった。

なお、試合はマンコ擁するアリアンサ・ウニベルシダーが 1-2 で敗れている。

リーガ1(ペルー1部リーグ) 2021 前期 第8節 (2021/05/17)
アリアンサ・ウニベルシダー 1-2 UTC
マヌエル・モンテーロ GK サロモン・リブマン
パウル・バシ
ジョナタン・アビラ
ホセ・カノバ
クリスティアン・カルバハル
(ダミアン・イスモデス)
DF ホスエ・エストラーダ
ニコラス・オルティス
ジェレルド・ゴルディージョ
ルイス・トルヒージョ
イサ・タランチャ
(クラウディオ・ラミーレス)
アクセル・サンチェス
(オスカル・ビルチェス)
ジャック・ドゥバン
レイモン・マンコ
マルセーロ・ガヤルド
MF レオナルド・ビジャルバ
(ジョルジーニョ・セルナケー)
カルロス・ディエス
フレディ・カストロ
アンディ・ウアマン
ガスパル・ジェンティーレ
(フラビオ・ゴメス)
ハイル・コルドバ
(フレディ・ポルティーヤ)
FW アレクシス・ブランコ
(ピエーロ・サブローソ)
パウル・バシ 76 ゴール 20 ホスエ・エストラーダ
90+2 ジョルジーニョ・セルナケー
ジョナタン・アビラ
クリスティアン・カルバハル
イエロー
カード
ジェレルド・ゴルディージョ
フレディ・カストロ
ピエーロ・サブローソ
ニコラス・オルティス
レイモン・マンコ レッド
カード
レオナルド・ビジャルバ
ロニ・レボラル 監督 パブロ・ガラベージョ
主審: ジョルディ・エスピノーサ
会場: エスタディオ・ビヤ・デポルティーバ・ナシオナル (リマ)

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(30歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・ビナシオナルに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アリアンサ・ウニベルシダーへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。元ペルー代表。

マンコはあいかわらずのテクニシャン トリッキーなヒールパスで観る者を魅了

2021.03.15 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2021

▲ 19分にゴールに背を向けた体制で相手の意表を突くヒールパスを出したレイモン・マンコ(赤丸)

3月12〜15日にペルーの首都リマで行われたリーガ1(ペルー1部リーグ)の後期第3節。「アリアンサ・ウニベルシダー vs クスコFC」は、元ペルー代表MFレイモン・マンコがトリッキーな技を披露した。

あいかわらずテクニシャンなマンコが魅せたのは、19分のこと。右サイドの高い位置でエディンソン・チャベスがスローインしたボールを、コーナーフラッグ付近でマンコが右足で上から下にこするようにしてトラップすると、少しバウンドしたボールをマンコはヒールキックでペナルティエリアへ流した。マンコの近くにいた二人の間を通す技ありのパスだったが、このパスに反応したダミ・イスモデスのクロスは味方に合わなかった。

プレースキッカーとしてフリーキックやコーナーキックを任されたマンコは、直接フリーキックで開幕戦のゴールを狙ったが、この日は決まらず。62分には左からフリオ・ランダウリが上げたクロスに、ペナルティエリアでフリーになったマンコが左足ボレーで合わせたが、ボールは当たり損ないでキーパーにキャッチされてしまい、マンコは両手で頭を抱え悔しがった。

マンコは72分までプレイして、ベンチに下がったが、コンディションは良さそう。試合は、マンコ擁するアリアンサ・ウニベルシダーが 1-0 で白星発進を決めている。

リーガ1(ペルー1部リーグ) 2021 前期 第1節 (2021/03/15)
アリアンサ・ウニベルシダー 1-0 クスコFC
ディエゴ・モラーレス GK エデル・エルモーサ
エディンソン・チャベス
(デイビ・カルバハル)
ジョナタン・アビラ
ホセ・カノバ
クリスティアン・カルバハル
DF カルロス・カラーサ
(マキシミリアーノ・バレイロ)
アニエル・フィゲロア
ゴンサーロ・リッソ
ハイル・セスペデス
ディエゴ・マニセーロ
ファン・モラーレス
ダミ・イスモデス
(ビクトル・ペーナ)
レイモン・マンコ
(オスカル・ビルチェス)
フリオ・ランダウリ
(セバスティアン・カベーロ)
MF エリック・ゴンサーレス
エドソン・アウベール
(ミゲル・カランサ)
ハイロ・ウスカマイタ
(ヨークマン・テージョ・ハヤシダ)
アルフレード・ラムーア
(マティアス・アビサ)
ホセ・ダニエル・リベーラ
(サンドロ・レンヒーフォ)
カルロス・ネウマン
(レナート・エスピノーサ)
FW マウリシオ・モンテス
(PK) カルロス・ネウマン 68 ゴール
フリオ・ランダウリ
ディエゴ・マニセーロ
イエロー
カード
アニエル・フィゲロア
ヨークマン・テージョ・ハヤシダ
レッド
カード
ゴンサーロ・リッソ
ロニ・レボラル 監督 カルロス・ラマチョッティ
主審: ロベルト・ペレス・グティエレス
会場: エスタディオ・ムニシパル・イバン・エリーアス・モレーノ (リマ)

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(30歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・ビナシオナルに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アリアンサ・ウニベルシダーへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。元ペルー代表。

国民を置き去りの特権階級にマンコも激怒! 「どんな力が裏でうごめいているのか!」

2021.02.17 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2021

▲ ペルーで発覚した政府高官などによる抜け駆けワクチン接種に対し、ペルー国民と同じ怒りを抱いているレイモン・マンコ

2月11日から14日にかけて、ペルー国内ではアステテ外相など政府高官が国民に抜け駆けするような形で先行してCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)のワクチンを接種していた事実が判明。ペルー国民の怒りを買っている。言わずもがな、レイモン・マンコの思うところも大多数のペルー国民と同じだ。

ペルーでは2021年2月21日現在で、感染者数は延べ1,269,523と約127万人に達し、死者数は44,489に上る。回復者数も1,169,648と高く、感染者の92%以上が回復しているものの、さらなる感染を抑えるためにも国民へのワクチン接種は国全体の至上命題である。

そんなペルー国民がときにロックダウンなど政府による厳格な行動制限によって私生活を縛られる状況をよそに、外相など政府高官が国民に黙ってワクチンの抜け駆け接種をしていた事実が判明したことが、ペルー国民の怒りに火をつけた。

マンコも熱くなったのは、想像に難くない。

「どんな力が裏でうごめいているのか! 多くの国民が亡くなり、医療崩壊も起きていて500人の子どもたちにも悪影響が出ているというのに…。 特権階級の者だけが先に予防接種を受けている。許されざることだ」

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(30歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アトレティコ・グラウに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。元ペルー代表。

失速するチームへの失望が怒りに? 選手団を乗せたバスが襲撃されるも負傷者なし

2021.01.23 カンピオナート・ブラジレイロ(ブラジル全国選手権) 2020

▲ サンパウロの選手団を乗せたバスが襲撃されたとされるサンパウロ市内のエウゼビオ・マトーゾ橋の写真

ブラジレイロンの第32節「サンパウロ vs コリチーバ」が行われた1月23日に、エスタジオ・ド・モルンビーへ向かうサンパウロの選手団が乗ったバスに投石などの被害があったことが確認された。ただ、幸いにも負傷者は出なかった模様。

現地報道によれば、事件現場はモルンビーから北北東へ約3km離れた場所にある「エウゼビオ・マトーゾ橋」。サンパウリーノ(サンパウロのサポーター)を装った20〜30人規模の犯罪者集団が、駆けつけた警察部隊と揉めていて、14人ほど逮捕されたものの残りの暴徒がバスへの投石やロケット花火発射などを行ったという。バスがモルンビーに到着して初めて投石などの被害に気づいたそうで、犯罪者集団と揉めた際に警官3名が負傷して病院に運ばれたことも判明している。

さらに RadioCBN の情報によれば、サンパウロの選手団を乗せたバスを標的にした爆発物まで仕込まれていて、その爆発物は当局の爆発物処理班によって無効化されたとか。

サンパウロは直近の試合で失速しており、インテルナシオナウとの直接対決を 1-5 で落とすなど勝ち点を得られていない。そんなチーム状況に不満を募らせた者の犯行とみられる。

マンコの熱い思い 「契約直前まで、アリアンサ・リマからの連絡を待っていた」

2021.01.16 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2021

▲ アリアンサ・ウニベルシダーへの加入が決まる直前まで古巣アリアンサ・リマからの連絡を待っていたと語ったレイモン・マンコ (写真は2015年のもの)

ペルー代表への復帰を目指すレイモン・マンコは、11日にアリアンサ・ウニベルシダーへの加入が決まった。だが、マンコの心の中には今もアリアンサ・リマがある。

兼ねてからアリアンサ・リマのサポーターであることを公言しているマンコは、アリアンサ・ウニベルシダーとの契約書にサインする直前まで、アリアンサ・リマからの連絡を待っていたという。「DirecTVSports」のインタビューに応じた際に、マンコが口を開いた。

「率直なところオファーが来ると思っていたし、アリアンサ・リマへ戻るのに理想的なタイミングだと思っていた。アリアンサ・リマも私を戦力として見てくれているだろうと思っていただけかもしれないが、アリアンサ・ウニベルシダーと契約するまでアリアンサ・リマから連絡が来ないかなと思っていたんだ。この先も『いつか私はアリアンサ・リマへ戻れるだろう』と起こらないかもしれない何かに期待して生きていくのだと思う」

「アリアンサ・リマには、クラブのファンでない選手がたくさんいると思う。私はアリアンサ・リマに恨みはないし、我が家のような存在だ。アリアンサ・リマはアリアンサ・リマなんだ」

アリアンサ・リマへの想いを熱く語ったマンコは、自らが所属していた頃(2007〜2008年、2015〜2016年)と現在とでチームの経済状況が異なることにも言及した。

「私がいた頃のアリアンサ・リマは、選手への給料支払いが2ヵ月遅延したり、チケットの売り上げの入金を待たないと資金繰りに困っていたりと経済的な問題が多かった。私自身も給料が出ないのに試合に出ていた時期もあった。対照的に現在アリアンサ・リマに所属する選手は、良い給料をもらっている。支払いの遅延もないようで、労働環境は大幅に改善されている。だからこそ、今いる選手にはアリアンサ・リマのユニフォームに袖を通す責任を感じて、必ずクラブを1年で1部に昇格させてほしい」

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(30歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アトレティコ・グラウに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。元ペルー代表。

マンコの新天地が決定! ウアヌコのアリアンサ・ウニベルシダーで飛躍なるか

2021.01.11 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2021

▲ レイモン・マンコの加入を発表したアリアンサ・ウニベルシダー

マンコの新天地が決まった。ペルーの名門アリアンサ・ウニベルシダーは11日、元ペルー代表MFレイモン・マンコの加入を twitter や facebook などで発表した。

アトレティコ・グラウを退団して移籍先を探していたマンコには、複数の噂が出ていた。有力視された移籍先は、マンコ自身もファンを公言していて、今年はリーガ2(ペルー2部リーグ)で1部昇格を目指すアリアンサ・リマだった。その一方で、後日には昨年前期を優勝したウニベルシターリオ・デポルテスも補強リストにマンコを加えているとの報道も出ていて、その去秋が注目されていた。

しかし、マンコの移籍先はアリアンサ・リマでもウニベルシターリオ・デポルテスでもなく、アリアンサ・ウニベルシダーに決まった。アリアンサ・ウニベルシダーの公式アカウントは、SNSで「ようこそ! レイモン・マンコはその素晴らしいプレイを、世界的にも最高な気候の町ウアヌコに移します」と発信している。

アリアンサ・ウニベルシダーは、標高1,896メートルのウアヌコをホームタウンとする創立82年の名門。2020年はリーガ1で前期は20チーム中7位とまずまずの成績だったが、パンデミックの影響でリズムを崩してしまい、後期は10チーム中9位で、年間総合順位は10位だった。そこにマンコが入ることによって、スダメリカーナ出場権はたまたリベルタドーレス出場権も狙えるか。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(30歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アトレティコ・グラウに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。元ペルー代表。

年の瀬に起きた白昼の惨劇 アマチュアサッカー選手が6発の銃弾を浴びて殺害される

2021.01.07 メキシコのアマチュアサッカー大会

▲ 奇襲攻撃で銃弾を6発も浴びたルイス・フェルナンド・モラーレス・サンチェスさん(享年26)の遺体に寄り添うガールフレンドとみられる若い女性

メキシコののどかな町で昨年末に、アマチュアサッカー大会に出場していた26歳の選手が突然何者かに拳銃で射殺される凶悪事件が発生した。

事件が発生したのは、メキシコの首都メキシコシティから東南東へ約370km離れたテクシステペックという町。そこでは、ベラクルス州南部の様々な自治体や集団により形成されたアマチュアチームによるトーナメント「コパ・テクシステペック」が開催されていた。

2020年12月28日、サン・ファン・エバンジェリスタというクラブに所属する26歳のルイス・フェルナンド・モラーレス・サンチェス(以下、ルイス・モラーレスさん)さんは、午前中に地元のテクシステペックと対戦した試合に出場。試合が終わると、ルイス・モラーレスさんは帰らず、他の試合を観戦すべくその場に留まることにした。彼のこの判断が、悲劇の引き金になってしまう。

正午頃、バイクでその場に乗り込んできた男が、バイクを降りるとルイス・モラーレスさん目がけて拳銃を発砲。合計6発の銃声は会場全体に轟き、選手や観客は逃げ惑いパニックに陥った。銃声が止むと、犯人はバイクに戻り、一緒に訪れていた仲間とともにバイクで立ち去った。ルイス・モラーレスさんは即死で、その遺体では泣き崩れる若い女性の姿があった。故人のガールフレンドとみられる。なお、犯人が捕まっていないため、動機は不明だ。
言わずもがな、事件の発生を受けてコパ・テクシステペックは中断・中止が決まった。

テクシステペックは一見のどかな町に映るも、実は麻薬の密売やガソリンなどの盗難、中米移民の人身売買などが横行している危険な地域。そんなテクシステペックもあるベラクルス州では、月平均の殺人事件による死者が約100人に上り、2020年11月は104人が殺されたという。殺人事件による2020年の年間死者数は、ベラクルス州だけで1,156人に達するとのことだ。

補足までに2018年12月から2020年9月までの22ヶ月間におけるメキシコ国内の犯罪統計は、下記の通り。
殺人:4,193件 (月平均で220件)
誘拐(拉致):435件 (月平均で22件)
強盗:48,313件 (内13,600件以上が車両の盗難・強盗)

このたびの惨劇は、そんなメキシコの片田舎で起こった。サッカーを楽しんでいた故人の冥福を祈るとともに、犯人の一刻も早い逮捕が待たれる。

マンコが古巣へ再度復帰か アリアンサ・リマの来年の補強計画にマンコが入る

2020.12.29 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ 自身もファンと公言している古巣アリアンサ・リマへの復帰が現実的になりつつあるレイモン・マンコ (写真は2016年のもの)

ペルー紙「Libero」によれば、アリアンサ・リマが2021年のシーズンに備えて、レイモン・マンコを補強策としているとわかった。

マンコは過去に二度アリアンサ・リマに所属している。最初は2006年にデビューしたときで、その後オランダに渡ったのち、移籍を繰り返して2015年に7年ぶりの復帰を果たした。

その後はベネズエラのサモーラFCを経てペルー国内のクラブチームを渡り歩き、2020年はアトレティコ・グラウで主力として重宝されたが、グラウは失意の2部降格が決まった。

そのアトレティコ・グラウで監督を勤めたラファエル・カスティージョ氏がアリアンサ・リマを指揮するか否かが、マンコの古巣復帰を左右するとも現地では報じている。

幼少期からアリアンサ・リマのファンであると公言しているマンコは、愛するアリアンサ・リマへの復帰を望む発言をほのめかしている。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(30歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2006年に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アトレティコ・グラウに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ活躍の場を移している。元ペルー代表。

ベスト8で敗退が決まったバイーアのホッシがレッドカードを受けた理由は“オナニー”

2020.12.16 コンメボル・スダメリカーナ 2020

▲ 70分に主審がホッシにレッドカードを提示する場面

12月16日にアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで行われたコンメボル・スダメリカーナの準々決勝 2nd.Leg「デフェンサ・イ・フスティシア vs バイーア」で、珍事が起こった。

その珍事とは、66分に発生。ボールのないところで起こったホッシのファウルを取った主審のジャッジに不満を抱いた同選手が、メインスタンドに向かって左手を股間に当ててまさぐる様子が映った。同選手の左手の動きは、あたかもオナニーをしているかのようなアクションで、VARからの連絡を受けた主審は映像確認を行った上で、ホッシにレッドカードを出した。非紳士的行為による退場劇だった。

判定を不服とするホッシは、ピッチを去ってから腕に巻いていたテーピングを剥がして壁に投げつける様子も。しかし、試合中に悪意を持って股間をまさぐるジェスチャーは、プロスポーツ選手として許される行為ではない。

ブラジルでは2017年のブラジレイロンでも、コリンチャンスのガブリエウがピッチサイドでスタンドに向かってオナニーダンスを披露したことがある。

◆ ホッシ

本名:
ホシクレイ・ペレイラ・ダ・シウバ
生年月日:
1993年4月22日生まれ(27歳)
出身:
ブラジル(パラ州プライーニャ)
身長:
170cm
ポジション:
フォワード

2009年に15歳でフラメンゴの下部組織に入団し、その後フルミネンセを経て2012年にポンチ・プレッタの下部組織からトップチームに昇格。しばらくはゴール数も少なかったが、2016年に完全移籍で加入したゴイアスデ9ゴールを挙げると、2017年にはシャペコエンセでも活躍したが、その後は深圳FC(中華人民共和国)からレンタルでインテルナシオナウやバスコに貸し出された。2020年は完全移籍でバイーアに所属。

マンコは欲しがられていない? 現時点でどこからもオファーがないと本人が公言

2020.12.07 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2020

▲ アトレティコ・グラウでの全日程を終えてからオファーが来ていないことを明かしたレイモン・マンコ

リーガ1(ペルー1部リーグ)は年間王者決定戦が済んでいないが、前期と後期の全日程は終了。タイトルに関係ないクラブチームはオフに入り、レイモン・マンコ擁するアトレティコ・グラウはリーガ2(ペルー2部リーグ)への降格という悔しい切符を手に、オフシーズンに入った。2021年をアトレティコ・グラウで過ごすつもりのないマンコに、オファーは届いているのか。

結論は、オファーは届いていないとわかった。マンコは喫緊の状況を説明している。

「今のところオファーはない。アトレティコ・グラウからは、後期が終了する前に電話があったが、私からは『倫理的に全日程を終えてから話し合うべき』と返した」

「私はどのクラブへ行っても全力でプレイするよ。前提としてプロだし、どのクラブでも問題なく戦えるから」

マンコは兼ねてから自身がファンと公言しているアリアンサ・リマからも、現時点でオファーがないことを明かした。ペルー国内からオファーがない場合、外国のオファーを検討するかについては言及していない。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(30歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アトレティコ・グラウに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ活躍の場を移している。元ペルー代表。