11年ぶりの古巣復帰で練習初日を終えたマンコは満足 「なんて良い雰囲気なんだ!」

2022.07.13 リーガ2 (ペルー2部リーグ) 2022

▲ 2010〜2011年に所属していた古巣ファン・アウリッチへの復帰を果たしたレイモン・マンコ(左)

7月10日、リーガ2(ペルー2部リーグ)のファン・アウリッチが、元ペルー代表MFレイモン・マンコの加入を発表してから3日。13日の午後に、マンコがファン・アウリッチのチーム練習に顔を出した。

以前の現地報道ではファン・アウリッチはマンコの加入を拒んだとも報じられていたが、フタを開ければマンコは11年ぶりに古巣のメンバーになることが決定。ファン・アウリッチとしては、年内のリーガ1(ペルー1部リーグ)昇格を果たすためにマンコの力が必要と判断しての獲得になった。

マンコはオランダでの欧州挑戦がうまくいかず、母国ペルーに帰国して最初に所属したクラブがファン・アウリッチだった。11年以上前にチームメイトだった旧友の復帰を、ファン・アウリッチは次のように表現している。

「おかえり、マンコ」

マンコがチーム練習に合流した初日は終始和やかな空気で、マンコは自身の Instagram を通して「初日、なんて良い雰囲気なんだ!」と投稿した。

ファン・アウリッチは今年の前期で13チーム中10位と、マンコが直前に所属したサントス・デ・ナスカ(6位)よりも下位だった。マンコを補強した後期では、優勝して1部昇格に望みをつなげられるか。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(31歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。元ペルー代表。

マンコが半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団 移籍先未定でしばらくフリー?

2022.07.08 リーガ2 (ペルー2部リーグ) 2022

▲ サントス・デ・ナスカがSNS上にアップしたマンコへの感謝を示す画像(左)

ペルー2部リーグのサントス・デ・ナスカ(正式名称はサントスFC)は8日、31歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコの退団を発表した。

2022年1月12日にキャリア初の2部リーグでの挑戦を決めたマンコだったが、そこから半年足らずでチームを去ることになった。退団理由は不明だが、直近の1ヵ月はあまり試合に出ていなかった。

約半年の間で、マンコは6試合(294分間)出場。1ゴールを挙げたが、チームに大きく貢献したとは言いがたい成績だった。サントス・デ・ナスカは「GRACIAS MANCO」という画像を添えて、チームを去るマンコへの感謝を表現している。

ちなみに、マンコに対しては同じペルー2部リーグのファン・アウリッチが獲得を検討していて、交渉も進んでいたが、何らかの理由で破談になったという。

移籍先未定でしばらくフリーになるマンコは、次の所属先を探すことに専念する。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(31歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。元ペルー代表。

エストゥディアンテスがエロ・マンクーソを獲得 リベルタドーレスでも出場機会はあるか?

2022.06.29 リーガ・プロフェシオナル 2022 (アルゼンチン1部リーグ 2022)

▲ 先日ボカを退団した23歳のエロ・マンクーソはエストゥディアンテスに加入することが決まった

アルゼンチンの名門エストゥディアンテスは6月29日、23歳のエロ・マンクーソを移籍金なしのフリーで獲得したことを公式発表した。契約期間は2023年12月までの1年半。

エロ・マンクーソは8歳でボカ・ジュニオルスの下部組織に入り、スキルアップして各年代のカテゴリーで主力として躍動。しかしトップカテゴリーに昇格以降は選手層の厚さもあって出場機会は限られていた。

エストゥディアンテスは期限付き移籍で加入していたウルグアイ人のエマヌエル・ベルトランが、契約期限を迎えてセロ・ラルゴへ戻ったこともあり、同選手の代役を探していてエロ・マンクーソと契約するに至ったという。

エロ・マンクーソはすでに前週にメディカルチェックを済ませていて、この日は入団会見のみ。最近までボカでトレーニングを積んでいただけに、実戦での出場まで時間はかからなさそうだ。リベルタドーレスでもマンクーソに出場機会は与えられるか。

◆ エロ・マンクーソ

本名:
エロ・ナサレーノ・マンクーソ
生年月日:
1999年4月17日生まれ(22歳)
出身:
アルゼンチン(ブエノスアイレス州メルロ)
身長:
167cm
ポジション:
サイドバック

8歳でボカ・ジュニオルスの下部組織に入団すると、以降各年代のカテゴリーで中心選手として活躍。かつてはミッドフィルダーだったが、近年は右サイドバックとして起用されることが増えた。2021年にトップチームデビューを果たすと、12月11日のリーグ最終戦で待望の初ゴールをマークした。

ボカでは出場機会に恵まれなかったエロ・マンクーソ エストゥディアンテス加入へ口頭で合意か

2022.06.24 リーガ・プロフェシオナル 2022 (アルゼンチン1部リーグ 2022)

▲ ボカではカップ戦要員に過ぎずエロ・マンクーソ(40番)は出場機会が少なかった

ボカ・ジュニオルスの下部組織出身でファン・ロマン・リケルメ副会長とも親交のあるエロ・マンクーソが、ボカとの契約を解消したという。そしてマンクーソは移籍金なしのフリーでエストゥディアンテスに加入する方向で、口頭での合意に至っていると現地メディアは報じている。

2021年12月にボカでのキャリア初ゴールをマークしたエロ・マンクーソだったが、右サイドバックとしての評価でペルー代表DFルイス・アドビンクラは超えられず、ベンチを温める日が多かった。スタメンで出られてもアルゼンチン国内のカップ戦が主で、リベルタドーレスでも出場機会には恵まれていなかった。

ボカで居場所がなくなっていたマンクーソに対し、ボカは契約解除を提案。マンクーソも受け入れて、双方合意の上での退団となった。

そんなマンクーソにオファーを出したのがエストゥディアンテスで、公式発表はまだだが2023年12月までの契約で口頭では合意に至っているという。マンクーソに対しては他にもヒムナシア・ラ・プラタなど複数のクラブもオファーを出したようだが、エストゥディアンテスの提示した条件がマンクーソにとっては最も魅力的に映ったと現地メディアは報じている。

リベルタドーレスで決勝トーナメントに臨むエストゥディアンテスは、DFファビアン・ノゲーラ(29歳)との契約を6ヵ月延長することに成功したほか、アトレティコ・トゥクマンで10番と着けるレオナルド・エレーディア(26歳)とも加入する方向で口頭での合意に至ったとのこと。戦力強化を弾みに、エストゥディアンテスは2009年以来13年ぶりの南米王者を目指す。

◆ エロ・マンクーソ

本名:
エロ・ナサレーノ・マンクーソ
生年月日:
1999年4月17日生まれ(23歳)
出身:
アルゼンチン(ブエノスアイレス州メルロ)
身長:
167cm
ポジション:
サイドバック

8歳でボカ・ジュニオルスの下部組織に入団すると、以降各年代のカテゴリーで中心選手として活躍。かつてはミッドフィルダーだったが、近年は右サイドバックとして起用されることが増えた。2021年にトップチームデビューを果たすと、12月11日のリーグ最終戦で待望の初ゴールをマークした。

ワールドカップ期間中は開催国でのセックス禁止 カタールへ行くカップル(夫婦を除く)は御用心

2022.06.23 FIFAワールドカップ 2022

11月にワールドカップが開催されるカタールまで観戦しに行く外国人には、「絶対に忘れてはいけない法律」があることをご承知だろうか。それは、セックスに関する法律だ。

厳格なイスラム教国であるカタールでは、婚姻関係にない男女間の性行為、ならびに同性愛を厳禁とする法律があり、違反した場合は最長で懲役7年の禁固刑に処せられるという。そのため、現地当局は「刑務所に行きたくなければ、不要な性行為は慎んだほうが身のため」との見解を示した。

他にも、試合の前後に市中での愛情表現(キスやハグなど)や、アルコールの摂取(飲酒)なども禁止されているため、平素その手の制約を受けていない国から訪れる外国人観客は、十分な注意が必要だ。

これに対し、FIFA(国際サッカー連盟)は「すべてのファンのプライバシーは尊重される」と宣言。夫婦以外のセックスも問題ないとの見解を示したが、この点に関してカタール政府からの回答は今のところ不明だ。FIFAとカタール政府との間での調整に委ねられるということか。婚姻関係がなければアウトということは、正式に交際しているカップルはもちろん、現地でのワンナイトラブなど言語道断ということになる。

果たして、ワールドカップ期間中にセックスしたことで刑務所にぶち込まれる者は出てしまうのか。余談だが、さかのぼること8年前のブラジルW杯では、元コロンビア代表MFカルロス・バルデラマ氏が選手に向けてワールドカップ期間中にセックスをするよう説いたこともある。

筋骨隆々の肉体美に大興奮のアナ・マンコさん 建築現場で「我慢できない」と動画撮影

2022.06.20 ベネズエラの芸能界

▲ 家族でロンドン旅行を満喫中のアナ・マンコさん

アナ・マンコさんは筋肉フェチである。

ベネズエラ出身で現在は家族でアメリカに在住のアナ・マンコさんは現在、英国の首都ロンドンを観光中。COVID-19(新型コロナウイルス感染症)のパンデミックもあって気軽に欧州旅行ができずにいたが、やっと自身の旅行も解禁した。アナ・マンコさんはロンドンがお気に入りの様子で、自身のSNSにも次のように投稿して、『ロンドン愛』をアピールしている。

「私はロンドンが大好き。だけどここ数年は来られていなかったから、子どもたちといっしょにロンドンに戻ってこられたことは『最高』よね」

そんなアナ・マンコさんのロンドンでのルーティーンは、毎朝のお散歩。とりわけ、散歩に出かける際に見かける光景に心奪われ夢中だという。その光景とは、建築現場で汗水流して働いている屈強な男たち。汗でシャツが汚れるからと、上半身裸になって仕事に取り組むマッチョマンの肉体美に、アナ・マンコさんは毎度見とれているようで、ついついスマホを向けて動画撮影を楽しんでいるのだ。

「毎朝私がホテルを出るとき、近くの建設現場で仕事を頑張っているムキムキの男たち(建設作業員)を見かけると、動画を撮らずにはいられないの」

事実、Instagram に投稿した動画で、屈強な建設作業員の肉体美を目の当たりにしたアナ・マンコさんが、興奮のあまり「Wow!」と声を出して称賛している様子も、音声として記録されている。

アナ・マンコさん曰く、ロンドンの建設作業員の肉体美は、ベネズエラでは見られないとのこと。それゆえか、ロンドンで見かけた建設作業員の肉体美に魅了されたアナ・マンコさんが思わず動画を撮ったことは、本能の結果なのであろう。

ただ、この動画投稿に対しては同世代のベネズエラ出身女優であるカテリーナ・バレンティーノさんら複数の女優仲間から「貴女、男の筋肉に興奮しただけでしょう?ww」といった反応も寄せられていて、なかば笑いのタネになっている。

筋肉フェチなアナ・マンコさんの、ロンドン旅行はしばらく続く模様。

◆ アナ・カリーナ・マンコ

本名:
アナ・カリーナ・マンコ・グスマン
生年月日:
1967年12月17日生まれ(54歳)
出身:
ベネズエラ(首都カラカス)
最終学歴:
サンタマリア大学、ベネズエラ中央大学
配偶者:
ビセンテ・イグナシオ・ペレス
子ども:
ディミトリ・ニコラス・ペレス・マンコ(息子)
アレクサ・カテリーナ・ペレス・マンコ(娘)
職業:
女優、モデル、声優、弁護士
twitter:
@akmanco
Instagram:
anakarinamanco
公式サイト:
anakarinamanco.com

4人兄弟の末っ子で、母は1960年代にラジオ番組のパーソナリティとして活躍したノルマ・テレーサ・マンコ・グスマンさん。13歳で舞台役者となったが、一旦芸能界から離れて17歳に復帰すると、複数の映画やドラマなどで主役や脇役を熱演した。1995年には当時の恋人ルイス・フェルナンド・キンテーロさんを旅客機墜落事故により失う不幸に遭遇したことで、1年間の休養を余儀なくされた。2002年5月25日に31歳でビセンテ・イグナシオ・ペレスさんと結婚して、二人の子どもに恵まれた。現在は米国のマイアミで家族と暮らしている。

マンコが今季初ゴール! 先制点にも関与して2点に絡む活躍でチームの勝利に貢献

2022.05.08 リーガ2 (ペルー2部リーグ) 2022

▲ 82分にヘディングで今季初ゴールを決めた元ペルー代表MFレイモン・マンコ(青)

5月6〜8日にペルーで行われたリーガ1(ペルー1部リーグ)の後期第3節。ナスカで行われた「サントス・デ・ナスカ vs コメルシアンテス・ウニードス」で、元ペルー代表MFレイモン・マンコが今季初ゴールを決めた。

この日のマンコはベンチスタートで、前半は互いに一歩も譲らずスコアレスでハーフタイムを迎えた。

すると後半、サントス・デ・ナスカのオルランド・ラバーレ監督は開始からマンコを投入。するとマンコがピッチに入ったことでサントス・デ・ナスカのパスワークは向上。そして迎えた59分、右サイドに開いた味方のパスに反応したマンコは、追いかけたボールをゴール前には折り返さず、ヒールキックで味方に戻した。最後はシュート性のクロスをコロンビア人のルイス・アルベルト・ペレアが右足でゴールに押し込んで、先制点をもたらした。

マンコの今季初ゴールは82分。カウンターで右サイドを駆け上がったデニルソン・ラミーレスがクロスを上げると、ゴール前で待ち構えたマンコが頭で合わせてゴール隅に流し込んだ。

マンコの全得点に絡む活躍で今季2勝目を挙げたサントス・デ・ナスカは、9位から4位に浮上した。

リーガ2(ペルー2部リーグ) 2022 前期 第6節 (2022/05/08)
サントス・デ・ナスカ 2-0 コメルシアンテス・ウニードス
ロドルフォ・アンデルソン GK フリオ・アリアーガ
ジャン・フランコ・ファルコニー
ルイス・ロメーロ
ルイス・フェリペ・カルドーサ
ブライアン・オルメーニョ
DF ギジェルモ・エチェアンディーア
(エリック・コアボイ)
ファブリシオ・シルバ
パオロ・メンデス
エディッソン・クンチョ
(イチロー・プラセンシア)
ビクトル・カストリジョン
(レイモン・マンコ)
ジェフェルソン・ナバーロ
エルナン・イノストローサ
アルバロ・パチャモーロ
(デニルソン・ラミーレス)
MF リチャール・チャベス
(クラウディオ・ベラスケス)
セサル・シエーサ
ピエロ・カベル
(フランチェスコ・レカルデ)
ジャイルシーニョ・ゴンサーレス
ケニイ・バリオス
(ホスエー・エレーラ)
ルイス・アルベルト・ペレア
(ジャンカルロ・チリーノス)
FW ジョニー・カノ
(エリック・トーレス)
マティアス・セン
ルイス・アルベルト・ペレア 59
レイモン・マンコ 82
ゴール
ルイス・ロメーロ イエロー
カード
ファブリシオ・シルバ
レッド
カード
ファブリシオ・シルバ
オルランド・ラバーレ 監督 サロモン・パレーデス
主審: セサル・ガルシア
会場: エスタディオ・ムニシパル (ナスカ)

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(31歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移した。元ペルー代表。

父を亡くして悲しみに暮れるマンコが哀悼 「貴方は常に我々の前にいます」 「愛してる」

2022.04.21 リーガ2 (ペルー2部リーグ) 2022

▲ 生前の父親を看病していたレイモン・マンコ(右)

マンコの父が逝去したことを、息子が4月21日の朝に自身の Instagram で発表した。

現在31歳のレイモン・マンコは、療養中の父親を以前から看病していたが、20日もしくは21日の未明に天国へ旅立ったようだ。なお、故人の享年や死因は不明。

愛する父を亡くした悲しみを、マンコは次のように表現している。

「ミ・パドレ(我が父)、貴方は常に我々の前にいます。安らかにお休みください。私は貴方を愛しています。これからもずっと」

深い悲しみに暮れているマンコは、「生前に残した遺言に従う」ことも誓っている。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(31歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移した。元ペルー代表。

手に負えなくなったマンコ 乱闘に加わり相手への行為で出場から6分後にイエローカード

2022.04.18 リーガ2 (ペルー2部リーグ) 2022

▲ 72分の乱闘で揉み合う輪の中心に入って激怒したレイモン・マンコ

4月16〜17日にペルーのウアラルで行われたリーガ2(ペルー2部リーグ)の前期第3節。「ウニオン・ウアラル vs サントス・デ・ナスカ」で、短気な性格が災いして乱闘に加わった元ペルー代表MFレイモン・マンコがイエローカードを受ける一幕があった。

乱闘が勃発したのは、0-0 で迎えた72分のこと。ビクトル・カストリジョンがミドルシュートを打とうとした途端、背後からケビン・ロセルのスライディングを受けて転倒。主審はサントス・デ・ナスカのフリーキックを指示したが、ロセルのファウルに対してサントス・デ・ナスカの選手数人がクレームをつけた。

するとそこから両軍入り乱れての乱闘に発展。揉み合う輪の中に入っていったマンコはホセ・ビクトル・ソトと言い合いになり、両手でソトの胸元を押した。この行為に対し、主審はマンコにイエローカードを出した。この日マンコは67分に途中出場でピッチに立ったところで、出場のわずか6分後にカードをもらってしまった。このときの様子を、ペルーのメディア「Libero」のサッカー編集部は「手に負えなくなったマンコ」という見出しで報じた。

マンコは終盤にゴールを奪える決定機に恵まれたが、右足のインサイドキックで放ったボレーシュートは、枠を捉えるもキーパーにキャッチされた。試合はスコアレスドローに終わり、マンコ擁するサントス・デ・ナスカは2戦連続で引き分けとなっている。

兼ねてから怒りやすい短気な性格で有名なマンコだが、31歳の現在も怒りっぽい性格は健在のようだ。

リーガ2(ペルー2部リーグ) 2022 前期 第3節 (2022/04/17)
ウニオン・ウアラル 0-0 サントス・デ・ナスカ
アイロ・カマーチョ GK カルロス・ロマン
ヨルダン・キンタニーヤ
エリック・ロッシ
ブライアン・ベルナオーラ
ホセ・マリーナ
DF ジャン・フランコ・ファルコニー
ファン・マヨ
(ビクトル・カストリジョン)
ルイス・フェリペ・カルドーナ
ブライアン・オルメーニョ
ホセ・ビクトル・ソト
ロヘル・チンガ
(ディエゴ・クアドロス)
ルイス・エンリケ・カノ
カルロス・アウグスト・ロペス
MF パオロ・ブスタマンテ
(ルイス・ロメーロ)
ジェフェルソン・ナバーロ
(レイモン・マンコ)
エルナン・イノストローサ
ケニー・バリオス
ケビン・ロセル
レオネル・ガルシア
(セバスティアン・ラ・トーレ)
FW ホスエ・エレーラ
ルイス・アルベルト・ペレア
(デニルソン・ラミーレス)
ゴール
イエロー
カード
ホスエ・エレーラ
レイモン・マンコ
ルイス・ロメーロ
カルロス・ロマン
フランシスコ・メルガール 監督 オルランド・ラバーレ
主審: ハメス・ウアマニー
会場: エスタディオ・フリオ・ロレス・コラン (ウアラル)

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(31歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移した。元ペルー代表。

大陸間プレイオフの最重要課題は暑さ対策 カタールに移籍したこともあるマンコが口を開く

2022.04.01 リーガ2 (ペルー2部リーグ) 2022

▲ 2012年にはカタールに渡り、中東の厳しい暑さを体で知っているレイモン・マンコ(写真は2012年5月6日のもの)

南米予選で5位になったペルー代表は、6月中旬に行われる大陸間プレイオフでアジア予選プレイオフ勝者と対戦予定。例年はホーム&アウェイで2試合行われてきたが、今回はCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)のパンデミックなどの影響もあり、中立地でもある開催国カタールでの一発勝負となった。

大陸間プレイオフは元々、2022年3月中に開催される予定だったが、COVID-19の余波で各国代表のスケジュールが全世界的に後ろ倒しになったことで、プレイオフは6月の開催に変更。この変更は、プレイオフに挑む各国の選手にとって、より過酷さを増した。カタールのドーハの最低気温と最高気温とで比較すると、3月が約18〜27度、6月は約29〜40度と暑さが大きく異なる。しかもこれは中央値であり、日によっては最高気温が45度や50度を超えることも珍しくない。

そのため、FPF(ペルーサッカー連盟)はCONMEBOL(南米サッカー連盟)の協力を得た上でFIFA(国際サッカー連盟)にプレイオフ開催地の変更を要請。だがFIFA側は開催国カタールでの一発勝負を変更する意志などなく、ペルーはカタールでプレイオフを戦うことになりそうだ。

そんなカタールの猛烈な暑さを肌で感じたことのある、レイモン・マンコが口を開いた。

マンコは、自身がまだペルー代表に招集されていた2012年5月6日にアル=ワクラ(カタール)へ移籍。しかし、同クラブが外国人選手を補強しすぎたため、外国人枠の都合によりマンコはレンタル要員にされた挙げ句、同クラブで公式戦に1試合も出場することなく同年中に退団した過去を持つ。

「試合は常に夜に行われた。とてつもなく暑くて、ものすごく息苦しく、トレーニング中に何度も呼吸困難に陥ったほどだった。6月は、今以上に過酷な暑さになる。10年前に私がカタールのクラブに移籍したとき、チームスタッフから暑さ対策のワクチンを打ってもらったことを覚えている。さらに彼らは、暑さに体を慣れさせようと毎日30分間の(散歩による)日光浴をするよう私に勧めてきた。でも私はほとんど歩くことができなかった。あまりにも暑すぎたからだ」

ペルーの地元メディアにそう回答したマンコは、「カタールの酷暑を知る一人として、今のペルー代表にアドバイスできることはあるか」と尋ねられて、次のようなコメントを残した。

「理想を言うなら、試合日の少なくとも2週間前には現地入りしておくことかな。暑さに慣れるまでは、とても試合に臨める状態にはできないから。対戦相手は未定だが、UAE(アラブ首長国連邦)になる可能性があるよね。UAE代表はあの特殊な気候になれているから、UAEとの対戦になったらペルーにとっては中立地でなくアウェイのような環境になる。注意が必要だね」

マンコの体験談は、ペルー代表の大陸間プレイオフ突破の一助となるのか。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(31歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移した。元ペルー代表。

頭が色鮮やかになったマンコに宿る“七転び八起き”精神 ペルー代表復帰への思いも語る

2022.03.20 リーガ2 (ペルー2部リーグ) 2022

▲ TikTokで自身への批判に反応したレイモン・マンコ。紙の色を局所的に紫や青などカラフルに染めている

2007年のU-17南米選手権でペルー代表を4位に導き、自身は大会MVPに輝いたレイモン・マンコは当時、将来のペルー代表を背負って立つ逸材ともてはやされた。しかし年を追うごとにかつての輝きは失われ、プライベートでのスキャンダルもあってキャリアは尻つぼみに。最後にペルー代表に招集されたのは2013年で、2017年にサモーラFC(ベネズエラ)からウニオン・コメルシオへ移籍して以降はペルー国内のクラブチームを渡り歩いている。

そして2022年、31歳のマンコはリーガ2(ペルー2部リーグ)でのプレイを選択した。そんなマンコには、1部でなく2部のクラブを選んだことへのバッシングも少なからずあるという。そうした批判の声に反論すべく、マンコが口を開いた。

TikTokに投稿した動画で、マンコは「(リーガ2はペルーで)最高のリーグではないけれど、状況や立ち位置は意識ひとつで変わるし変えられる。これまでにも何度か転んだが、そのたびに起き上がってきた」と不屈の“七転び八起き”精神を発信した。するとこの動画には1万以上の「いいね」が付き、ペルー代表への復帰を待ちわびる多くのファンからの激励コメントが届いた。

「一時的な亀裂に過ぎない」、「将来(ペルー代表復帰)の約束だね」、「より良くなりたい気持ちがあるなら、きっと願いは叶うよ」、「またペルー代表で活躍するマンコを見たい」、「素晴らしい選手。敬意を表して、まだチャンスはあるはずだ。私は(クリスティアン・)クエバの隣でプレイするマンコに会いたい」

TikTokに登場したマンコは、毛を紫や青などを混じらせた奇抜な髪型を披露。色鮮やかになったマンコは、4月に開幕するリーガ2に向けてトレーニングを積んでいる。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(31歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移した。元ペルー代表。

マンコは大人気 練習試合の後に対戦相手の選手から写真撮影を求められ笑顔で応じる

2022.03.14 リーガ2 (ペルー2部リーグ) 2022

▲ 13日の練習試合を終えた直後に対戦相手の選手との写真撮影に応じるレイモン・マンコ(中央)(写真提供:Difusión)

3月13日、ペルーの首都リマ近郊のビヤ・エル・サルバドールにあるエスタディオ・エクトル・チュンピタスで、リーグ2(ペルー2部リーグ)開幕前の練習試合が行われた。「サントス・デ・ナスカ vs フベントゥー・サンタ・ローサ」で前者の選手として出場したレイモン・マンコは、対戦相手の選手からも大人気だった。

試合は、マンコ擁するサントス・デ・ナスカが 0-4 と完敗。だが試合が終わると、マンコの元にはピンク色のユニフォームを着たフベントゥー・サンタ・ローサの選手が集まり、マンコを取り囲むように。その理由は、彼らが元U-17ペルー代表のマンコといっしょに写真撮影に興じたかったからだ。

完敗した試合の直後にも関わらず、マンコはピンク色のユニフォームを着た選手と並び、笑顔で写真撮影のサービス。そんなマンコの姿勢に、フベントゥー・サンタ・ローサの面々からは絶賛の声が挙がった。

2022年のリーガ2は、4月2日に開幕予定。現地報道では、マンコはサントス・デ・ナスカで開幕戦から出場予定とのこと。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(31歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移した。元ペルー代表。