大陸間プレイオフ対策を4月に主張していたマンコ ペルー代表側の半端な段取りに憤慨?

2022.12.07 ワールドカップ南米予選

▲ カタールのクラブに在籍していた過去を持つ元ペルー代表MFレイモン・マンコは、ペルー代表がプレイオフの暑さ対策として早めの現地入りを訴えていたのだが…

今年のペルー代表を振り返って、不満を募らせているのが元ペルー代表MFレイモン・マンコだ。

3月末に全日程を終了したワールドカップ南米予選で、ペルーは5位になり大陸間プレイオフに回ることに。6月13日にはワールドカップの出場権を懸けてどこか(4月上旬の時点でアジア予選プレイオフ勝者は決まっていなかった)と対戦することになっていたが、従来のホーム&アウェイではなく開催国カタールでの一発勝負というレギュレーションだった。

これを受けて、4月頭に口を開いたのがマンコ。2012年にアル=ワクラ(カタール)に在籍していたことがあり、6月のカタールがどれほどの過酷な暑さであるかを身を以て体感済みなのだ。自身の経験を元に、マンコは当時ペルー代表に向けてこんな提言をしていた。

「理想を言うなら、試合日の少なくとも2週間前には現地入りしておくことかな。暑さに慣れるまでは、とても試合に臨める状態にはできないから。対戦相手は未定だが、UAE(アラブ首長国連邦)になる可能性があるよね。UAE代表はあの特殊な気候になれているから、UAEとの対戦になったらペルーにとっては中立地でなくアウェイのような環境になる。注意が必要だね」

暑さ対策のために、最低でも試合日の2週間前には現地入りしておくことを推奨。マンコの提言はペルーの国内メディアでも報じられたため、当然ながらFPF(ペルーサッカー連盟)やペルー代表スタッフにも届いているはずだ。

だが、ペルー代表が6月にとった行動は、マンコの提案とはかけ離れたものだった。ドーハへの入国は9日で、練習開始は11日。ドーハ入りするまではバルセロナ(スペイン)でチーム練習を消化。現地入りからプレイオフの試合日までに、練習試合を組む隙などあるはずもなく。その結果、オーストラリアに 0-0 の末にPK戦で競り負け、ペルーはワールドカップ出場を逃した。ここまでの経緯に不満を募らせていたマンコ。

「絶対論ではないから私が全面的に正しいということではないが、4月に私が言ったことは、試合日から逆算して2週間以上前には現地入りして、気候に順応すること。そして可能ならカタール国内で親善試合を行うこと」

最後にマンコは、ペルー代表ないしリカルド・ガレカ監督(当時)が自分の提言に耳を傾けていれば、プレイオフでオーストラリアに勝てていただろうと述べた。一連の発言について、ペルー国内では「自分のアドバイスが無視されたことに、マンコが腹を立てた」と報じられている。

「私の言ったとおりだろう? 現地の暑さに慣れる間もなくプレイオフに臨んだペルー代表は、環境に慣れる時間がなかったのか、試合では途中から足が止まっているように見えた。オーストラリアのほうが良く見えたし、準備の差が結果に表れたのだと思う。だから2週間前から現地で調整していれば、きっと本大会に出場していただろう」

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。