マンコ最大の後悔はレアル・マドリーからのオファーを蹴ったこと ミヤトヴィッチのお墨付きだった

2022.11.26 元ペルー代表

▲ 元ペルー代表MFレイモン・マンコは欧州移籍時にレアル・マドリーからのオファーを受諾しなかったことを後悔

若き日のマンコがもしもレアル・マドリーに加入していたら… 過去の判断ミスを後悔しているのは、32歳の元ペルー代表MFレイモン・マンコだ。

友人の元ペルー代表DFルイス・グアダルーペ氏とともに動画に出演したマンコは、自身のキャリア最高の時期を問われると、スペインの名門レアル・マドリーからオファーを受けたときのことに言及。

「PSVアイントホーフェン(オランダ)へ移籍する前、まだ私がアリアンサ・リマにいた頃に複数のオファーがあった。当時の私はすべてのオファーを知らされていなかったんだけど、その中にはレアル・マドリーからのオファーもあったんだ」

当時、レアル・マドリー・カスティージャ(レアル・マドリーのリザーブチーム)のマネージャーを務めていた元ユーゴスラヴィア代表FWプレドラグ・ミヤトヴィッチ氏は、マンコをカスティージャに加入させることに合意していたそうで、マンコの元にはレアルからいくつか書類も届いていたという。だが、当時のマンコはリザーブチームのレアル・マドリーより、トップチームのPSVを選択。17歳の若者にとっては、どちらが正しい選択かなどわかるはずもなく、同胞の先輩(ジェフェルソン・ファルファン)が歩んだ道を歩むことが現実的と判断したという。

「もしもあのとき、PSVでなくレアル・マドリー・カスティージャを選んでいたら、成長を続けてもっと良い選手になっていたでしょう。でもジェフェルソン・ファルファンの成功例があって、そちらのほうが当時の私には身近に思えたからPSVを選んだのだと思う」

「あのときアドバイザーやコンサルタントのような人が身近にいて、私に助言してくれていたらどうなっていただろう。『ねぇ、そんなに稼ぎが増えなくても、より良いトレーニングができるほうを選ぶべきだ』と言われていたら…」

“たられば”に過ぎない。が、もしもあのときマンコがレアル・マドリーを選択していたら…

当時はのちに大成するコロンビア代表MFハメス・ロドリゲスよりも評価が高かったマンコ。覆水盆に返らずであり、過ぎた時間は戻せない。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。