現在31歳のレイモン・マンコは、選手としてはピークが過ぎてしまったのかもしれない。しかし、若かりし頃のマンコは未知の可能性にあふれ、光り輝いていた。当時を知るスポーツジャーナリストが、マンコについて口を開いた。
若い頃のマンコをベタ褒めしたのは、コロンビア人ジャーナリストのハイメ・ディナス氏。1992年のバルセロナオリンピックから第一戦でサッカーの取材を続けている人物で、2007年にはU-17南米選手権の取材のためエクアドルを訪れ、試合を観戦していた。そのとき同氏は、うら若きマンコの輝く姿に心を奪われたという。当時のマンコを思い出して語るディナス氏は、雄弁だ。
「南米サッカー界において、アルゼンチン人やブラジル人よりも優れている選手は、そうそういるもんじゃない。だが、希有な選手の一人は、2007年のエクアドルにいたんだ。それがマンコだった。マンコの才能に感銘を受けた私は、今でもあのときのマンコを忘れられない。私は当時、彼(レイモン・マンコ)はペルーのメッシとまで思った」
その後、マンコはPSVアイントホーフェン(オランダ)に渡ったが、私的な問題などで母国ペルーに戻って以降は鳴かず飛ばず。ペルー代表にも、2013年の親善試合(韓国戦)を最後に出場していない。それだけに、ディナス氏はマンコの内面がより良ければ、欧州のビッグクラブで活躍する一流の選手になっていたはずだと強調する。
「オランダに渡って以降のマンコは、実にもったいなかった。プレイよりも、ピッチ外の問題だけに、なおのことだ。もしマンコが別の脳を有していたら、あのとき私が見た少年はいずれレアル・マドリーかバルサ(FCバルセロナ)にたどり着いていただろう。16〜17歳の頃のマンコを見たときは、真剣にそう思ったよ。それほどの才能の持ち主だったんだ、マンコは」
もしもマンコが、ディナス氏が思い描いた通りのキャリアを歩んでいたならば、マンコは今もペルー代表の一員としてワールドカップ南米予選を戦っていたのだろうか。
そんなハイメ・ディナス氏のお気に入りの街はペルーの首都リマとのことで、リマで味わうペルー料理が大好きだという。2007年に若き日のマンコに心をわしづかみにされたハイメ・ディナス氏は現在、南米随一のグルメ大国とも呼ばれるペルー料理に胃袋をわしづかみにされている。
◆ レイモン・マンコ
- 本名:
- レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
- 生年月日:
- 1990年8月23日生まれ(31歳)
- 出身:
- ペルー(ルリン)
- 身長:
- 172cm
- ポジション:
- ミッドフィルダー
17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移した。元ペルー代表。