マンコの嫉み ガレカ前監督が依怙贔屓したクエバとは対照的に自分には「走れ」と要求か?

2023.03.08 ペルー代表

▲ ペルー代表の前監督であるリカルド・ガレカ氏に重宝されていたペルー代表MFクリスティアン・クエバ(左)の試合中での走行距離について、元ペルー代表MFレイモン・マンコ(右)は苦言を呈しているが…

マンコのペルー代表復帰を妨害したのは、ガレカ前監督だったのか? 現役引退も検討している元ペルー代表MFレイモン・マンコが、2023年になって同国代表前監督の要求と、それに対して“特別扱い”されていた選手への言及をして物議を醸している。

2007年にU-17ワールドカップや、その南米予選などで一躍名を馳せたマンコは、「ペルーサッカー界の至宝」とまで絶賛されたが、PSVアイントホーフェン(オランダ)へ移籍して以降は尻つぼみのキャリアとなっている。そんなマンコが最後にペルー代表に招集されたのは2013年8月で、以降は一度も代表復帰を果たせぬまま10年近い歳月が流れた。

本人が兼ねてから懇願していただけでなく、ノルベルト・ソラーノ氏ら一部の先輩も“マンコ待望論”を唱えていたのに、マンコはなぜペルー代表に復帰できていないのか。その理由を、マンコ自身が2023年になって明かした。

「“ティグレ(リカルド・ガレカ前監督の愛称)”は、選手に1試合の走行距離として許容しうる距離を走るよう要求する考えの持ち主だった。だが、一人だけティグレの要求に従わなくても代表に招集され続けた選手がいた。クリスティアン・クエバだ。(10番を着けて司令塔としての役割も担った)クエバが1試合あたり何キロ走ったかは知らない。だが、私はティグレが(他の選手に向けて)要求した距離をクエバが走っていないことだけは確信している」

ガレカ氏がペルー代表監督を務めたのは2015〜2022年で、マンコがペルー代表に招集された最後が2013年であることから、それ以降マンコがペルー代表に戻れなかった遠因にガレカ前監督があるとみても不思議ではない。ただ、因果関係は定かでなく、ガレカ前監督がマンコの代表復帰を妨害したとまでは断定できない。

マンコの主張を汲み取って「クエバが依怙贔屓されていた」と捉えるのか。それとも、マンコの妬みに過ぎないと捉えるかは、人それぞれ。果たして、マンコはもっと走る意欲を高め、それを所属チームでも実践していれば、ガレカ監督のペルー代表にも名を連ねたのだろうか。真相は闇の中だが…

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(32歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はレアル・ガルシラッソに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団。同年7月にスポルト・ボーイスに加入してチームの1部残留に貢献した。2020年は前年王者のデポルティーボ・アリアンサ・ウニベルシダーに移籍してリベルタドーレスにも出場したが、COVID-19のパンデミックによる中断期間中に首脳陣と対立して退団。アトレティコ・グラウへ移籍したが、チームを残留には導けなかった。2021年にはアリアンサ・ウニベルシダーに加入したが、こちらでもチームを残留には導けず。2022年はキャリア初の2部リーグに舞台を移したが、半年足らずでサントス・デ・ナスカを退団。同年7月にファン・アウリッチに加入して、チームの残留には貢献した。元ペルー代表。