11年以上の歳月が流れて明かされた秘密 マンコにレアル・マドリーからオファーが届いていた

2019.11.09 リーガ1 (ペルー1部リーグ) 2019

▲ 18歳の頃にレアル・マドリーなどスペインの強豪からオファーがあったことを告白したレイモン・マンコ

ペルー代表への復帰を目指して目の前の試合に全力を尽くしている29歳のレイモン・マンコが、自身のとあるエピソードを明かした。11年前にアリアンサ・リマで活躍していた18歳の頃に、あのレアル・マドリー(スペイン)からもオファーがあったという。

2007年のU-17南米選手権で頭角を現したマンコは、同年のFIFA U-17ワールドカップ韓国大会でも活躍。とりわけU-17南米選手権で大会最優秀選手にも輝いたマンコは、同世代のハメス・ロドリゲス(当時 U-17 コロンビア代表)よりも高い評価を得ていた。そんなマンコが翌2008年に受けた欧州からの複数のオファーに、レアル・マドリーも含まれていたというのだ。スペインのスポーツテレビチャンネル「 Movistar Deportes 」のインタビューに応じたマンコが、18歳だった11年前を振り返る。

「あのとき、もしかしたら私はスペインに渡っていただろう。当時、セビージャ、アトレティコ・マドリー、そしてレアル・マドリー(いずれもスペイン)から移籍交渉に関する電話がきていたんだ。でも、それだけだった」

このときのマンコは、結局スペインに渡ることはなかった。過去にアリアンサ・リマからPSVアイントホーフェン(オランダ)へ移籍してステップアップした“先輩”ジェフェルソン・ファルファンと同じ話題を踏むことが自分にとって大成の近道と判断したマンコは、スペインでなくオランダを選択。マンコは、ジェフェルソン・ファルファンの背中を見ていたのだ。

ジェフェルソン・ファルファンは成功したが、マンコはPSVで成功せず失敗に終わった。“たられば”でしかないが、もしもあのときPSVでなくレアル・マドリーと契約していたら、マンコは今頃どうなっていたのだろう。マンコは当時を振り返った上で「でも、それだけだった」と述べ、選択の誤りを嘆いた。

ペルーのテレビ局「 Panamericana TV 」は、PSVへ移籍して以降パッとしないキャリアのマンコを「ペルーサッカー界において、間違いなく最も無駄になった才能のひとつ」と論じている。

◆ レイモン・マンコ

本名:
レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
生年月日:
1990年8月23日生まれ(29歳)
出身:
ペルー(ルリン)
身長:
172cm
ポジション:
ミッドフィルダー

17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はスポルト・ボーイスに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団した。