10月25〜28日に行われたリーガ1(ペルー1部リーグ)の後期 第13節。トルヒージョで行われた「カルロス A. マヌッチ vs スポルト・ボーイス」は、残留を目指しているスポルト・ボーイスが終了直前に追いつかれて勝ち点3を取りこぼす結果となった。
スタンドに空席が目立つ中で行われた試合は、8分にスポルト・ボーイスが決定機を演出。しかしレイモン・マンコのコーナーキックに合わせたセバスティアン・ペンコのヘディングシュートは枠を捕らえるも、キーパーに寸前でクリアされた。24分に直接フリーキックで相手ゴールを脅かしたマンコは、43分にはセンターライン付近でボールを持つや否やドリブルで前進して、狭いところを強引に突進して2人を抜きペナルティエリアまで達すると、途中出場のホスエ・エレーラに優しいパス。ホスエ・エレーラのシュートが浮いてしまったためアシストを記録できなかったが、マンコは躍動感にあふれる動きでチームにリズムを与えていた。
一方、カルロス A. マヌッチは前半の終了間際にセバスティアン・ペンコの顔面に肘打ちをしたアルゼンチン人のホアキン・レンシナスに、レッドカードが出されて数的不利に陥った。これでマンコ擁するスポルト・ボーイスは数的有利を得た。
0-0 で迎えた後半、スポルト・ボーイスは71分に先制。中盤から送られた浮き球のパスをホスエ・エレーラがペナルティエリアの右側でトラップすると、バウンドするボールに合わせて左足でグラウンダーのクロスを供給。ゴールエリアに駆け込んだマヌエル・テハーダが右足でゴールに押し込んだ。
スポルト・ボーイスには追加点の絶好機があった。79分にマンコが右足で直接フリーキックを放ったが、壁を越えてカーブしたボールはキーパーが指先で触れると、ポストの内側に当たってゴールライン際を転がって逆サイドに流れてしまい、ゴールには入らなかった。ここでマンコのフリーキックが決まらなかったことが、のちに結果を左右する遠因となる。
後半のアディショナルタイムは5分設けられ、スポルト・ボーイスはタイムアップまでに失点を防ぎきれなかった。92分、右サイドからオスマル・ノローニャがペナルティエリアにパスを出して、トラップしたジャンカルロ・ペーニャがマークを振り切りながら右足でシュートを打つと、キーパーが弾いたボールをジャン・ピエーレ・フエンテスが右足のハーフボレーでゴールネットに突き刺した。
勝ちきれなかったスポルト・ボーイスは、勝ち点を2失ったようなもの。マンコの動きは上々だったが、チームは最終節まで残留争いを強いられそうな様相である。
リーガ1(ペルー1部リーグ) 2019 後期 第12節 (2019/10/27) | ||
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カルロス A. マヌッチ | 1-1 | スポルト・ボーイス |
マヌエル・エレーディア | GK | ジョナタン・メディーナ |
カミーロ・ヒメーネス ホアキン・レンシナス ジャンカルロ・ペーニャ ケビン・モレーノ |
DF |
マヌエル・テハーダ パオロ・デ・ラ・アーサ アダン・バルビン ペドロ・ガルシア |
ホアオ・ビジャマリン ジャン・ピエーレ・フエンテス ベンハミン・ウビエマ (ルイス・アレハンドロ・ラモス) リカルド・ラゴス (ディエゴ・マニセーロ) |
MF |
ジャン・カルロス・トラゴダーラ ルイス・マガジャネス (フレディ・オンコイ) レイモン・マンコ ヘスス・チャベス (ルイス・ペラルタ) ジュニオール・ロス (ホスエ・エレーラ) |
オスマル・ノローニャ レリ・フェルナンデス (アンドレス・ロペス) |
FW | セバスティアン・ペンコ |
ジャン・ピエーレ・フエンテス 90+2 | ゴール | 71 マヌエル・テハーダ |
クラウディオ・トレホン レイモン・マンコ |
イエロー カード |
ジャミル・オリーバ ホセ・ルハン サウール・サラス サンデイ・アフォラビ |
ホアキン・レンシナス | レッド カード |
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パブロ・ペイラーノ | 監督 | マルセーロ・ビバス |
主審: ビクトル・カリージョ 会場: エスタディオ・マンシーチェ (トルヒージョ) |
◆ レイモン・マンコ
- 本名:
- レイモン・オランヘル・マンコ・アルバラシン
- 生年月日:
- 1990年8月23日生まれ(29歳)
- 出身:
- ペルー(ルリン)
- 身長:
- 172cm
- ポジション:
- ミッドフィルダー
17歳だった2007に名門アリアンサ・リマでデビューすると、同年にはU-17ワールドカップにも出場して3ゴールをマークし、一躍脚光を浴びた。18歳の若さでオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍したが、1年半でペルーに戻った。その後は国内外で移籍を繰り返していて、やがてペルー代表にも招集されなくなっている。ウニオン・コメルシオで復調すると、2019年はスポルト・ボーイスに加入したが、新監督との確執や起用法への不満などからわずか5ヶ月間で退団した。